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203高地は低くなったか?

戦闘前に203高地と称していたと思いますが、戦闘後にも203高地でよかったのでしょうか?実際の標高は変わってたのではないでしょうか(203耕地的に)

noname#41852
noname#41852
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  • buchi-dog
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回答No.3

「203高地の203は標高ではなく,中国語で「ニーレイサン」と呼ばれていた山を,日本が「203」と当て字をしたものです。」 遼東半島の先端部、旅順要塞の近辺というのは、山が連なって水が全くないところですので「不毛の荒野」です。旅順を北洋水師が根拠地とし、ロシアが大規模な要塞を作るまで、中国人の住民などはほとんどゼロで、山は皆「無名山」だったはずです。 203高地の「203」とは三角測量による測量値(若干の誤差は出る)です。戦後に、漢詩人であった乃木司令官が語呂を合わせて「爾霊山」と表現したのが一般に広がりました。旅順在住の中国人もその名前を使うようになったとしてもおかしくないですが、順序が逆です。 ご質問の 「実際の標高は変わってたのではないでしょうか(203耕地的に)」 大量の砲弾が落下、炸裂しましたが、それによって巻き上げられた土砂は大部分が引力で下に落ちます。また、砲弾は鉄で出来ていますが、その破片は落下した周辺に一定の範囲で落下して散らばり、土に戻ります。203高地を主に砲撃した28センチ榴弾砲は「臼砲」ですから、弾道は空中に高く上がって真上から落ちてくるような感じになります。ですので、標高を変える(土砂を水平方向に吹き飛ばす)ことはあまりなかったと思われます。 日本海軍のエピソードで 「瀬戸内海の小さな無人島を目標に射撃訓練を行った。弾丸は水平に近い弾道で目標に命中するので、土砂が水平方向に吹き飛ばされて島が消えてしまった」 という話が、阿川弘之の「軍鑑長門の生涯」に収録されていたと思います。こちらならありえる話です。 また、旅順要塞攻撃時に、攻撃側が敵の攻撃範囲外から三角測量して測定した山の標高の数字はそんなに精度が高いものではありません。ロシア軍の砲弾が降ってくるかもしれない、ロシア軍の騎兵が現れるかもしれない危険な状況下で、測量班が念入りに何度も測定して平均値を出したりする余裕などないですから。

noname#41852
質問者

お礼

詳しいかいせつありがとうございます。 無名山であったのですね。戦闘中は203とは呼んでいて、それは一応測量によってつけられたと。でも203メートルという確信がないから、戦後でも203くらいだろうと言うので「爾霊山」でいいだろうと。 私は、第一次大戦のヴェルダン戦の資料を読んだことがあって、304高地だったかモルトンムの丘だったか、旅順戦の203高地的存在だった高地の標高が変わったという記述を読んだことがあります。意味があるほどです。そこで、類似的な攻撃のあったここはどうなのだろうと思いました。砲弾は落下し炸裂すると、土砂を放射円状に撒き散らしますから、標高の高いところはやはり削られていくはずです(重力作用)もっとも山頂付近を集中攻撃しなければならないわけです。この精度が十分な砲撃があったのかどうか。ご指摘の通り、水平方向射撃ならば、もっとその効果は激しいものでしょうね。

その他の回答 (4)

回答No.5

再びの投稿です。 どうやら,私は勘違いしていたようですね。 勉強になりました。ありがとうございます。

回答No.4

ニーレイサンとは後に大将乃木希典が漢詩にこの高地のことを詠み、その際音を写して爾霊山と充てたものであり、現地のもとの名ではありません。 やはり、標高203mということから203高地と日本軍が呼んだのが正しいです。軍事上の目標や拠点となる高地についてはその標高を記して個別名とすることが世界の多くの軍隊で採用されており、過去に記された外国の軍事資料や文献からもその例は見て取れます。 なお、標高が変わったのではないかとの問いについてですが、その可能性もまったく無いとはいえないでしょう。 ただし、その場合においてももとの名として203高地という通り名が変更されるということは無いかと思います。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/203%E9%AB%98%E5%9C%B0
noname#41852
質問者

お礼

わかりました。203高地はそのまま一人歩きして203のまま残ったということらしいですね。すっきりしましたです。

  • a-koshino
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回答No.2
noname#41852
質問者

お礼

リンクをはっていただいたこの○(読みが分からない)石山っていうのはじめてみました。二霊山ともまたちがいますね。206メートルあったということなのに203高地にしたのは、やはり元の名前からきているのでしょうね。

回答No.1

203高地の203は標高ではなく,中国語で「ニーレイサン」と呼ばれていた山を,日本が「203」と当て字をしたものです。

noname#41852
質問者

お礼

そうだったのですか!全然勘違いしていました。でも、203程度なのでしょうかね?勘違いを直してもらってありがとうございます。

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