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浅井(あざい)尼子(あまご)土田(どた)
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- Pinhole-09
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「土」は(ど)と読む方が普通で美濃の「土田氏」は地名通り(どた)でしょう。 尾張の地名では(どだ)と呼ぶ「土田」があります。 「浅井」は戦国以前から「浅井の荘」(あざいのしょう)があり、また「浅井郡」(あさいごおり)もありました。 つまり両方あった訳で発音し易いよう、どちらも使われていたのでしょう。 浅井長政が現れたら、「うちでは○○というが、どちらでもいい」と、いうんじゃないですか。 「尼子」も同様です。 出身地近くに「尼子橋」(あまごはし)があって、富田城へ行く道は「尼子道」(あまこみち)と呼ばれていました。 しかしこちらは「尼子氏」は(あまご)が普通だったと思います。
- tiuhti
- ベストアンサー率66% (447/668)
信長の生母の家は、"どた"氏(現 可児市土田)か、"つちだ"氏(現 清須市土田) の2説があります。 仰るように、今の地名の読みをそのまま自動的に中世の読みと考えるのは危険ですが、他に特に理由の無い限りは、現在の地名を尊重するのが常識的でしょう。当時の文章で、ひらがな表記が残っていれば、決定的ですが、そういうものが無い限り、地名も人名も、突き詰めれば推測するしかなく、推測する場合、特に根拠がなく一般的な読みに近いというだけの「あさい」「あまこ」、「とだ」のよりも、「あざい」「あまご」、「どた」の方が、今の地名の読みと同じである以上、相対的には根拠がある、そういう事です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 推測の域を出ないから、こういった点を問題視しないんでしょうかね? 手紙とか日記とかの文書資料があれば良いのでしょうが、濁点は確認できる訳ないですものね。
- hazu01_01
- ベストアンサー率31% (341/1067)
苗字はほとんどが地名に由来します。 浅井氏も近江国浅井郡に由来しており、尼子氏も近江国犬上郡尼子郷に由来しています。これらの地名の読みからだいたいのところを推測します。 土田氏はいろいろ読み方があるのであなたが誰を想定しているかわからないのでコメントを控えます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 現在の地名がそうだから、過去もそうに違いない。という根拠は如何なものでしょうか 土田氏は織田信長の生母の出自を想定しておりました。
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