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幸せと価値観について

現在、国立大学工学部の3回生の女性です。 研究室配属で、世界的に有名な研究室に配属され、女性一人で頑張っているのですが・・・。 最近、ここの研究室の助教授の先生の奥さんが研究室のイベントにいらっしゃり話をいろいろ聞いていたのですが、 ・某旧帝大の工学部修士卒 ・現在は、修士時代同じ研究室だった先輩(うちの助教授)と卒業と同時に結婚し、今では毎日、犬と遊んではブログにアップし、ブログ仲間や犬仲間と遊び歩いている。 ・専業主婦で、一切研究には関与していない。 ・この上なく幸せそう・・・。 こういうのって、なんだかもったいないって思いませんか・・? 本人が幸せだったらそれでいいって思うけれど、 やはり、女性が旧帝大に入り、修士まで卒業するってすごいことだし、それなりに意味や目標があったか、あるべきだと思うのです。 研究職につくべきだとか言っているのではなく、 どうして、それだけの苦労を活かさないで幸せでいられるって何なのだろうって思うんです。 と同時に、自分は研究職を目指しているけれど、女性にとっての幸せっていうのは、そういう助教授の奥さんみたいな生き方が一番いいのかとか、最終的に専門を活かさないで幸せになるのだったら、別に自分はこんなに女一人で苦労すべきではないのではないだろうか・・・なーんて、ふと思ったわけです。 この奥さんは、うちの助教授に出会って、専業主婦になり幸せになるために旧帝大に入ったのでしょうか・・。 人の幸せなんて人それぞれではかることなど出来ないのですが、そういう人を見ていると、このまま自分のようにただ研究職を目指す盲目な努力の先には、実は、幸せも何もないのではないかと最近思うようになりました。 うまくいえないけれど、女性が学ぶことの価値ってなんだと思いますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • nonnian
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回答No.3

お気持ちよく分かります。 哲学を専攻したわけじゃないので回答するのに気が引けますが、 同じ境遇の方を知っていますので、私なりに感じたことを書かせて下さいね。 人間って「今現在」に幸せを求める人と「将来」に幸せを求める人がいて、 前者は「過程」を重要視し後者は「結果」を重要視する傾向があると思うんです。 質問者さんの文のなかに『苦労』という言葉がありますよね。 研究=苦労と感じているのであれば、質問者さんは「将来」に価値をおき 結果が出れば必ず幸せが待っていると考え、 「今現在」の幸せを優先度2にしているのと思います。(優先度1は将来) 助教授の奥さんは、学生時代はどうだったんでしょうね? 当時、研究や勉強に興味があって楽しく充実していたと考えれば、 いまブログ仲間や犬仲間と遊び歩いているのも納得です。 だって当時も「今現在に幸せを求めている」性格なので…。 私は米駐在者なので、日本からの留学生さんと接することがあります。 彼ら(彼女ら)も二通りで、 「英語が好き!」「外人さん好き!」「人と接するのが好き!」「英会話楽しい!」 という今現在の興味のために留学している人たちと 「英語が話せるようになるため!」「実力をつけるため!」「米国就職希望!」 という、未来のために情熱を傾けている人たちがいます。 同じお勉強をしているのにも関わらずですよ。 難易度や知名度や地位は関係ありません。 そのつど、自分がどっちの選択肢を進むかで、 人生が変わってくるのでしょうね。 冒頭の「同じ境遇の方」というのは、日本の大学院で出会いました。 私はその後、米国大学院へ行ったのですが、米国人は楽しんで研究していましたね。 今の会社の米国人もトラブル大好き人ばかりです(笑) トラブルシューティングや出来ないことを可能にすることが大好きなんですよね。 夜も遅いし程ほどにして帰りたいときもあるんですが(笑 幸せが見つかるといいですね♪

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その他の回答 (9)

回答No.10

>このまま自分のようにただ研究職を目指す盲目な努力の先には、実は、幸せも何もないのではないかと最近思うようになりました。 とお感じになられたということは,何か今に対する“何か違うぞ感”というようなものがあるというわけですね. それをさらに深く追求してみることは苦しいかもしれませんが,大事かもしれませんね.(こうして質問されているわけですが) >女性が学ぶことの価値ってなんだと思いますか? 僕の今までの自己分析によると,それは社会での基礎的な女性の役割だと思います. それそのものに価値はないと思います. 女性の学ぶことの価値はその後の段階に見出されます. 昔は男が外へ苦労して狩をし食料を持ち帰り,家で子供たちと待つ女へ提供していたといいます. そして,その食料を受け取り子供たちや自分たちのために分け与え,調理などをして活かしていたのが女の役目ではないかと思うのです. したがって女性が工学の“正しい知識”を学ぶことは前段階です. 女性がそれをどう“形にしてゆく”かということがメインテーマです. この段階に価値があると思うのです. 逆に男性の場合は知識を人に教えることそのものに価値はありません. これも前段階です. 男性は未知の分野をリスクを携えながら開拓し,最先端の新しい知識を会得することに本来の価値があると思うのです. つまりその価値に気付かない限り,既存の研究を繰り返すばかりでループし続けることになるのです. また例を上げますと,宗教の教えに夢中になっている女性と説法だけに力を注いで理想を追わない教祖の男性などに魅力を感じますか? 互いに夢の幻想に浸っているだけに見えます. 大切なのは教えを受けた女性達がそれを現実に実行すること,説法する男性が今までの自分の説法を取り壊すくらいの気持ちで,新たな境地を目指し一人邁進することではないのでしょうか? なにやら例えが悪かったかもしれませんが,一番説明しやすいモデルだったので利用しました. 女性と男性の性について,熱く自分で研究された方がいらっしゃる様なので下記にURLを載せておきます. 昔自分もジェンダー問題に悩んだ時にこちらのHPをたまたま見ていて,納得した部分も多かったです. 是非,あなた様だけの新しい答えをいろんな人の意見を参考にされてd築いて(気付いて)見てくださいね. よりよい幸せにあれますように.

参考URL:
http://iwao-otsuka.com/fm/indexfm.htm
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noname#31063
noname#31063
回答No.9

固定された目標のないことを「自由」といいますね。 わき目も振らず不自由の執行 (この場合研究に費やす時間、及び付随した身体の拘束) を推進すればその後の人生において有意義といっても、 自由がなければ実行も実現も出来ないことの方が人生や世の中に多いと思いますよ。 自由には保証もありませんが、それも一つの生き方、個性を活かせたり。 他人に責任を負わせられない分、自己責任もつく? ちょっと醍醐味かなと思います。

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.8

[研究職を目指す盲目な努力の先には、実は、幸せも何もないのではないかと最近思うようになりました。] チルチルミチルの世界ですね。山のかなたの空遠くに青い鳥も、幸いな人間もいませんよ。これ真実ですよ。努力即幸福と思わないといけないですね。いろんなことに対して努力出来る自分、新しい知識を学ぶことの喜び、それが幸福なんですね。貧しい国の子供は勉強したくとも勉強できない、勉強できるようになるとどんなに幸福だろうと思ってますね。でも豊かで勉強がいつでも出来る国の子供は、勉強はいやだ、気がめいるといいますね。つまり何でも簡単に手に入ると幸福ではないんですね。未来に青い鳥を期待するのですね。でもこれ完全な間違いです。研究職についても学ぶこと、新しいことを発見することに喜びを感じられないなら、向いてないんですよね。 「女性が学ぶことの価値ってなんだと思いますか?」 これも同じことですね。女性も男性と同じように学べるのですから、楽しく学べばいいだけですよね。結果はついてくるだけですね。

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  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.7

あんまり哲学とか詳しくないのですけど、今のこの時代を生きるものとして肌で感じる実感は、持って生まれた社会での性差が段々と関係なくなってきてるな、って事です。(もちろん、生物として構造としての性差は厳然としてあるのですけどね) 旧帝大なんて呼称がある時代の事ですから、確かに大変だったかもしれません。でも、男性でも旧帝大に入るのは並大抵の事ではないでしょう。それでも旧帝大と関係のない(ように見える)暮らしを営んでいる人もいます。(親戚の大叔父がそうでした。今では普通の酒飲み親父です)本当に人それぞれなんですよ。 そして、未来というのは誰にも分かりません。貴方が今知る事の出来るその奥さんの過去は、在学中の彼女から見れば未来なんです。旧帝大に進学した当時は多分『(今のご主人である)助教授に出会って、専業主婦になり幸せになるために旧帝大に入った』などとは思いもよらなかったでしょう。その為に進学したわけではないでしょう。でも、そこで貴方の助教授に出会った。彼と彼女が親交を深める内に今こうやって貴方が見ている状態を夢見たのかもしれませんね。 幸せは人それぞれです。そして同じ個人の内であっても、未来永劫その胸に抱く幸せが変わらないとは誰にも言えません。 貴方の幸せは貴方が見つけるんですよ。学ぶ価値も貴方が決める事です。女性とか男性とか関係ありません。貴方が価値を見出すかどうかなんです。

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noname#155689
noname#155689
回答No.6

俯瞰からちょっとデフォルメすると ■エリート街道の入り口に立ったが、このままエリート街道を走り続けることは幸せか? と、ご質問を捉えなおすことが可能だと思います。 (エリートはデフォルメ表現ですので意図を汲んで下さい。) こうすると男女を問わない普遍的な問題になります。 (女性固有の問題は後で論じたいと思います。) そしてこの問題は、(過度のサクセス願望に取り付かれているような人を除く) ほとんどの人を人生のあらゆる局面で悩ませ続ける問題だと思います。 ただし。 これは経験を積みながら考えていかないと (経験のフィードバックの中で自分の価値観を精査するような作業を重ねないと) なかなか解答に辿り着かない問題だと思います。 つまり、(悩み続けるのが当たり前だから)今悩むことには意義があるが 今悩んでも解答は出ないといった諦観を持つことも必要だと思うのです。 むしろ、その悩んだ履歴こそがその人の「人生」もしくは「生き様」に なっていくのだと思います。 > この奥さんは、うちの助教授に出会って、専業主婦になり > 幸せになるために旧帝大に入ったのでしょうか・・。 もしかしたらその奥さまの子供の頃の夢は、いい妻になり、いい母になり 素敵な家庭をつくることだったかも知れません。 ただ、たまたま勉強が出来たために、両親や学校の期待を背負うようになり その期待に応えることが人生の目的に成り替わってしまったのかも知れません。 そして、それが結婚を期に、やっと元の自分に戻ってもイイかも知れないと 転換を図ったのかも知れません。 あるいは、専業主婦になり幸せになるために旧帝大に入ったのではないのかも知れません。 しかし、夫の才能に惚れて結婚し、結婚を期に 自己実現の達成よりも「内助の功」的なことに使命感を転換したのかも知れません。 もしかしたら夫の成果を待って、いずれ社会復帰を考えているのかも知れません。 人生は案外長く、その流れは決して一直線ではないと思います。 そして、決して一点にとどまることなく、常に流れ続けます。 でも、それが人生の面白さだと思います。 あなたの疑問に対して、最適な啓示を与えてくれるのは 何を隠そう、その奥さまだと思います。 > どうして、それだけの苦労を活かさないで幸せでいられるって何なのだろう その質問を助教授とその奥さまに聞けるような、関係を築いていくのが 当座の最も有効な手段ではないかと思います。 ご質問に対する直接的な回答になっていなくてすいません。

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

「>自分のようにただ研究職を目指す盲目な努力の先には、実は、幸せも何もないのではないかと最近思うようになりました。」 :助教授の奥さんは、選択できるご自分の未来像のひとつと言えますが、その可能性に今まで気付かなかったというある種のカルチャーショックを受けたといったところでしょうか。 研究職を目指すことが幸せにつながると感じていたが、彼女はそれを否定する存在として目の前に現われたことになります。 そのために、今までの「努力」が「盲目な努力」へと評価を下げてしまったわけでしょう。 助教授の奥さんの出現によって「盲目な努力」という評価を与えられてしまったということは、ご自分の(最終的)目標自体が曖昧であったことを示していることになるように思います。 具体的には、何の為に研究職を目指しているのだろうかということです。 この根幹がぐらついていたために(あるいは目を逸らしていたために)、「研究職=幸せ」という設計図より目に入っていなかったのだと思います。 しかし、実際は「?=幸せ」であって、gacchomanさんの場合は、この?を解く鍵がたまたま研究職であったということでしょう。 そしてその?はまだ解かれていない状態です。 無論、鍵は自分で加工するものですから様々な解が用意されているのは当然で、 助教授の奥さんの場合はその鍵によって(gacchomanさんの予測とは)異なる解に辿り着いたということになります。 大事なのは鍵ではなく解のほうでしょう。 研究職を目指すことが(何らかの意味で)人全体の幸せに貢献することになるという認識が妥当なものであるのと同時に、 たった一人の人間を幸せにすることもまた価値のある、そして難しいことであるということもまた事実だろうと思います。 ですから大事なことは、今までの努力を無駄にしたかどうかではなく、本人が本当に納得しているかどうか、でしょう。 >女性が学ぶことの価値ってなんだと思いますか? :女性だけに限りませんが、様々な意味で真実に近づくことでしょうね。 真実に近づくということは、新しい発見であり、より本質的理解であり、何より自己の変革でしょう。 盲目的な努力は自己の変革を前提にしませんから、真実へ近づくことにはおそらくならないと私は思います。  

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  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.4

幸せの源泉は喜びと楽しみであり、喜びと楽しみの源泉は<持続する>「関心・愛着・創造」だと思います。 何に対して「関心・愛着・創造」が持続できるかは、人それぞれ異なります。研究の分野で「関心・愛着・創造」が持続できる人もいれば、専業主婦になって夫や子供との生活に「関心・愛着・創造」を見出す人もいれば、あるいは、色々なことを渡り歩くことに「関心・愛着・創造」を持続する人がいるかも知れません。 これに関して、2つのことに注目したいと思います。 (1)喜びに苦労はつきもの。  人生には、苦労、不運、不幸、不条理がつきものです。「関心・愛着・創造」を持続しようとすると、必ずこれらの障害にぶつかります。だからと言って、これらの障害をさけて安逸な生活を求めると、結局、「関心・愛着・創造」の「わが道」をも見失うことになります。「わが道」を行くには、ささやかな「幸せ」を求めるのではなく、「苦労も辞せず、障害も何のその」の覚悟が必要です。「継続は力なり」と言います。「わが道」を継続することで、力が付き、苦労も障害も乗り越えられるというものです。 (2)知らない世界の評価は誤る。  人は具体的によく知らない世界については、それを過小評価したり過大評価したりしがちです。例えば、「専業主婦」と言う言葉は、その具体的な生活内容や可能性を知らないと、「平凡で、非創造的で、専門性の低いつまらない役割」のようにステレオタイプな見方になる場合も少なくないと思います。でも、実際には、個人個人の生き方で如何様にも変わりうるわけで、素晴らしい才能を発揮しているいわゆる「専業主婦」はいっぱいます。もちろん逆の場合もありますが。 結論としては、苦労や障害があっても、めげずに、「関心・愛着・創造」を持続できる「わが道」を見い出すのが良いと思います。男性か女性か、研究か専業主婦かというような枠組みに捕らわれる必要は全くないと思います。

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回答No.2

わたしは、学歴無しの兼業主婦です。 こんなやからが言うのもなんですが・・・、結局は他人と比べて自分が不幸に感じるということでよろしいでしょうか? その奥様は・・・自分や家族、目の前にあるするべきことを自分なりに考えて、やっていったらそうなっていた・・・ただそういうことなんだと思うんです。本当に強い人は、どんな災難にあっても、どんな状況でも、結婚してもしなくても、研究職をつきつめていってもいっていなくても幸せを感じることができる人なのかなと思います。箱は関係ない、自分の心ひとつです。 gacchomanさんも目の前の自分が思うするべき研究をもくもくとやっていったらそうなっていたというところは同じなんですが、自分以外の幸せそうな人と比べてしまったり、今までしてきた自分の実績や努力にとらわれているのかなと感じましたがいかがでしょう? 概念は概念として受け止め、スキルなど過去は過去とさらっと流し、もっとシンプルに、フットワーク軽く生きませんか? 私は「学び」は特定の研究職でなくても何からでも学べるんだな~ということを最近実感しています。男女関係なくね。料理も子育ても読書もテレビもゲームも庭弄りも夫の浮気も(笑)仕事の人間関係もなんでもそう。毎日が驚きと発見です。ぜんぜん違うことなのに共通点を見つけたり、正しいと思っていたことが覆されたりドキドキハラハラです。(私の状況を聞く人は、私を幸せそうと思ったり、不幸だなと思ったりいろいろなんですよ。それもおもしろいです。) そしてgacchomanさんのように、特定の研究職をつきつめていくと、他のあらゆることに対して普遍的に応用できたりするのかもしれないな~とも思っています。 そう考えると楽しくなりませんか?

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  • TAHTAH
  • ベストアンサー率45% (10/22)
回答No.1

学ぶことの価値は、それが工学であれ、文学であれ、自分が、自分自身や外界について洞察し、とらえ、自分なりに理解することに繋がるのだと思います。そして、それは、目的ではなく手段にすぎないとわたしは思います。つまり、その目的とは、「自分なりの幸せの定義と実現」です。 幸せになるための方法が沢山あって、幸せの定義も50億通り(今いきているひとだけでも)あって、自分の幸せを定義する(これ、本当に難しいと思いますよ)だけでも、勉強も必要と思いますし、定義したあとの幸せの実現にも、これまた勉強が必要と思います。 私が言っている「勉強」は学校の勉強だけでは決してありません・・・自然科学なり、社会科学なり、芸術なり、なんであっても、また、学問の場をはなれて人々との対話をする、人々を眺める・・・すべてが勉強と思っています。 そして人生は、どんな天才でも、計画して、最短距離で歩むような、単純で貧相なものではなく、もっと豊かで、不確実性に満ち、スリルとロマンスに富んだ、大変でも有り楽しくも有るものだと思うのです。単純だと馬鹿馬鹿しいので、先の見えないとこもあってこそ、いい部分もあるのだと思いますよ。 助教授であろうが、国連事務局長であろうが、それは、職位にすぎないわけで、すべて、勉強であれ職位であれ、手段です。目的は、自分なりのオリジナルな幸せを感じることです。 助教授の奥様のすべての人生の文脈を、あなたは知る由もありませんし、その人の幸せの定義も、知る必要もないと私は思います。 それよりも、あなた自身の幸せの定義が今、一番大事なのでは?目的なくして手段は生きません。 でも、今、勉強されている工学を通じた思考回路や思考力があってこそ、幸せの定義という、最高レベルに難しい自我発見論題が対処可能になります。 ですので、ハイレベルな思考力の研鑽を積んでいらっしゃるようですので、それを、ダイレクトに 自我の内面の整理作業に適用してみては? わたし自身も、文系ですが、大学院で学んだことを通じて得た、「しつこい思考力、長時間、長期間にわたる思考、分析、統合の脳内作業」を通じて、自己の内面分析と統合の大論題への対処がずいぶんと進んだのです。 お役にたてたかわかりませんが、私見です。 真剣にこのように問うておられるということは答えは近いと思います。リサーチクエスチョンがたてられれば、あとは、執拗に、作業を進めていくだけなのですから。かくいう私も奮闘中ですよ。 でわ。

gacchoman
質問者

お礼

なるほどなるほど・・です。 幸せになる手段ということですね。 なんだかものすごい納得です。 確かに、他人の幸せの定義なんて関係ないですよね。 ご回答ありがとうございました。

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