• ベストアンサー

江戸時代の医者

江戸時代、医者になる人はどんな階層の人なのでしょうか。 医者の子弟が医者になる以外の場合です。 武士でしょうか?

  • buck
  • お礼率83% (627/748)
  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数7

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#113190
noname#113190
回答No.4

江戸時代は標榜医ですから、医者の看板を掲げれば誰でも医者になれます。 医者にもいろいろあり、現在のような保険もなく自由診療ですから、庶民はなかなか医者に罹る事も出来ませんし、奉公人などはお金があっても主人の許可がなければ医者が呼べません。 町医者でも往診が普通で、1回頼めば薬料ともに現在の感覚では10万円近い料金がかかります。 そこで「鍼灸医」というものが活躍し、これは今で言う健康食品のようなあいまいな扱いで、現在の鍼灸医と違い、守備範囲はかなり広く、料金もリーズナブルで、奉公人も主人の許可を受けなくても通えるので、通常はこういった鍼灸医が庶民の健康を支えることになります。 劇画の藤枝梅安も鍼灸医ですが、外科の領分である怪我の治療から内科的な治療まで引き受け、現代なら医師法違反になりそうですけど、江戸時代は問題なかったのですね。 こういう医者と医者に近いものにより江戸の健康は保たれており、誰でもなれる反面、腕が悪ければ誰も罹りませんから、淘汰されていきます。 医者の身分ですけど、概ね儒学者など学者より下と見られますから、比較的いろいろな身分から入ることが多く、武士の次男以下が食い扶持を稼ぐために医者になったり、地方のお金持ちの子弟がなる場合が多いようです。

buck
質問者

お礼

鍼灸医ついてのご教授、大変興味深いです。 いろいろな身分から医者になったのですね。 回答ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.3

だれでも医者になれたのは事実ですが、少なくとも医学書を読める必要はあり、薬草の効用、それらの区別などを修得する学力の素養は必要です。 従って武士か僧侶からでなければ、それらが修得する事が可能な医学塾に弟子入りする必要がありました。 それが可能な資産が必要で塾の雑用を引き受けて苦学する人もいました。 さらに蘭方医を志す場合はその上に蘭学、オランダ語を修得する必要がありそれが可能な大阪の適塾とか、長崎に留学しました。

buck
質問者

お礼

確かに基本的な素養は必要ですね。 回答ありがとうございます。

  • ffffffff
  • ベストアンサー率35% (68/194)
回答No.2

 司馬遼太郎の「花神」によると、江戸時代には、医師の免許制度は無く、共の者に薬箱を担がせて歩けば、立派な医者として通ったそうです。後は、世間が審判し、腕がよければ、繁盛したということです。つまり、修行をしなくても、誰でもなれたということです。  ただし、これは、町医者の話です。幕府や大名に抱えられた官医は、立派な士分(武士)だそうです。非常に腕が良い場合、町医から官医に登用があった場合もあったそうです。官医は「坊主頭」、町医は「クワイ頭」だそうです。例えば、「適塾」の緒方洪庵が、それです。  「花神」は、町医・村田蔵六の話、「胡蝶の舞」は、官医・松本良順の話です。興味があれば読んでください。

buck
質問者

お礼

町医から官医になる道があったのですね。 回答ありがとうございます。

  • tatsumi01
  • ベストアンサー率30% (976/3185)
回答No.1

誰でもなれたと思います。 開業にも免許なんて不要です。 ただ、腕のある医者のところに弟子入りして修行しないと実力は付きませんから、授業料相当(束修?)を払える境遇の子でないと無理だったでしょう。

buck
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 武士から見た江戸時代とは?

    武士から見た江戸時代とは? 武士から見た江戸時代とはどんな感じだったんですか?

  • 昔(江戸時代など)の医者

    時代小説を読んでいるといつの時代にも 医者がいたと思うのですが、 医学がそれほど発達していない時代、医者になるためには自分で医者だと名乗れば医者になれたのでしょうか? 江戸時代に医学を学ぶ学校や医師免許はあったとは思えないのですが。

  • 江戸時代迄歯医者さんは、居なかったのでしょうか?

    江戸時代迄歯医者さんは、居なかったのでしょうか?

  • 江戸時代の武士は定員があったんでしょうか?

    こんにちは 江戸時代の武士についてですが、 完全な世襲だったんでしょうか?だとすると、 1)戦もない時代、どのように数が増えないように、したんでしょうか? 2)武家の男子に生まれても、武士にならない人もいたんでしょうか? そういう人は何になったんでしょうか? また、いくら世襲といっても、体力など、 3)健常者でも適正検査はなかったんでしょうか? あったとすると、落ちた人は、どうやって暮らしたんでしょうか?

  • 江戸時代どうすれば医者になれましたか?

    江戸時代どうすれば医者になれましたか? 先生について修行するのは当たり前ですが、その後開業するにはどのような 手続きが必要だったのでしょうか? 藩主に許可を願い出る必要がありましたか。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代の武士の結婚。

    江戸時代の武士の結婚。 江戸時代、武士が結婚する場合、家柄が同じであることが条件であったと思うのですが、大名の家臣の場合、家柄が同じであれば、異なる大名の家臣同士の婚姻はあったのでしょうか。 ピラミッドの頂上に近い(つまり、上級の家臣)ほど、同家格の家の数が少なくなってしまいます。 実際はどうなっていたのでしょうか。

  • 江戸時代の結婚について

    江戸時代の(特に後期・幕末)結婚についてですが、身分制度で結婚できる・できないがあったと思うんですけど、どういう人同士が結婚できたんでしょうか。例えば、武士と農民は結婚できないとか、男が農民で女が武士なら結婚できるとか(これはあくまでも例です)。教えてください!!

  • 江戸時代に飛ばされ、活躍できるのは何科の医者?

    医者が一人、江戸時代に飛ばされたとして、何科の医者なら役に立ちますか? JINの人は脳外科ですが、いろんな器具を開発したり、ペニシリンを作ったりとかなり優秀でした。 まさに絵にかいたような総合医。 では、凡人の医者(近所の病院で働いているごく普通の医者)が飛ばされたらどうなりますか? 正直、耳鼻科医が飛ばされたり、放射線科医が飛ばされたら残念なことになると思います。医学部や研修医で一通り学んだ知識をひきずりだしてくるくらいしかないですよね。(それすら危うい・・)では誰ならいいですか?

  • 江戸時代の家系図について

    江戸時代は幕府の命令で上級武士だけではなく百姓や郷士にも家系図(系図)を作るように言われてたらしいです 明治時代に切り替わり、明治時代初期には家系図(系図)を、なぜかは分かりませんが紛失したかたがいたらしいです 江戸期の家系図を紛失した人はどのくらいいたのですか? それと、戦国時代は家系図は武士でもない人が結構いたみたいですが、これについても本当なのでしょうか? うちは江戸時代、郷士ですが、親に実家に家系図自体ないと言われましたが、おそらく明治時代初期に紛失したのかなと思います。家を継いでる人はみんな几帳面な人なんですけどね

  • 江戸時代の大阪の北平野について

    江戸時代の大阪北平野とはどういう場所だったのでしょうか?(ちょっと調べましたが、江戸時代に入ってから、町人達は何処かに行ったみたいな記事が出てきたりしてよくわからなくなりました) またこの場所に住む人は、どのような身分(武士とか商人とか農民とか)の方が多かったのでしょうか?