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仏教の悪い業について

adaypajimyの回答

回答No.8

仏教の本流からボトムアップしていき知識を得てゆくのもよいと思いますが、幕府に反駁してでも気付いていった教えである――今の日本に根付いた鎌倉仏教から始まる日蓮や法然などを学んでもよいのではないでしょうか…となるとまっさきに思いつく浄土真宗の開祖――親鸞について既知でしょうか。 悪人正機説や報謝の念仏などなど、アウトロー思想家が大好きな人物ですが、思想的に行き着いたという点では史上最高の思想家…だからこそ、彼はよく持ち上げられるのでしょう。 そも、悪とは何でしょう。それでは善とは何でしょうか。 世間からやさしい人(いわゆる善人)がいても、雑踏の中に佇む汚れたホームレスを救ったりするでしょうか、まず助けない/助けられないでしょう。 仏教から見放された悪人と、自分の悪人ぶりに目を逸らさなかった男、親鸞は、自分が無力であることを何度も自覚しています。また周囲に持ち上げられると"権威者"になる自分が奢っている部分もあることも自覚します。「小慈小悲もなけれども、名利に人師を好むなり」 本流の仏教を必死に勉強しても彼は境地にたどり着けなかった、そしてそれを自覚していた、煩悩など滅せられるモノではなかった。 そして行き着いた先が他力本願――自分の力では何も救えない救っていない。 No2の人が掲げる五戒にしても、 殺生をしない…でも親鸞は本来の仏教から見放された猟師に、救いの手を伸ばしました(悪人正機)。淫行をしない…でも、親鸞には妻がいました。 仏教をベースに悪を極限まで認識しようとした親鸞のプロセスは、仏教徒に限らず深い思想へと誘います。私は仏教徒ではありませんし、神も何も信じません。ただ、仏教という枠内で、奇麗事に誑かされないで、自分だけの思想の道を築いた親鸞は、思想家として本物だと思います。一度学んでみてはいかが。 http://www.plinst.jp/musouan/inoue18.html

参考URL:
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/00_01_16.html
noname#35509
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 信心・・・読んで字の如く信じる心ですよね?信じなければ何も始まらないという事ですよね。 URL・・・全部読んでいませんが、少し読みました。 真実の宗教の(1)(2)おもしろいですね。裕福な老夫婦にしても立派に家業をやっておられるお方も、お金もあって人柄もよく利発で申し分の無い人生を送っているのに、どちらも共通してどこか寂しく満ち足りてない・・・そんな印象を受けました。生きがいが無いんですね。私もそうです。自殺はしない、殺されたくもない、寿命が尽きるまで、どう時間を潰していくのか。ただ時間つぶしてるだけなんです。ある心理学か哲学かの学者が「生きる意味は、人とのかかわりの中でしか見つける事はできないと断言した」ということを聞いたので、気になっています。人とのかかわりにあたって、仏教の教えの中によい知恵がありそうな気がします。

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