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仏教の悪い業について

hakobuluの回答

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  • hakobulu
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回答No.5

「悪い業」の中身にもよると思うのですが、 「>その悪い思いを紙に」書くまでは、有効な方法だと思います。 しかし、「>くしゃくしゃに丸めて捨て」るのはどうでしょうか。 肝心なことは「(悪い業を)何がなんでも捨てなければならない」などと思い込まない、ということです。 「>悪い事も心の中で思わないようにしたいのですが」とおっしゃっていますが、それは無理なことでしょう。 人間というのはそこまで上等にできてはいません。 たとえ仏教を極めた人でも、キリスト教の信奉者でも、人である以上、煩悩は必ず持ち合わせています。 いくら年老いても性欲が枯れることはないでしょうし、人並みに嫉妬もすれば、独占欲もあるはずです。 なぜなら、煩悩とは悪い業であると同時に、人間が自分を守るために必要な道具でもあるからです。 性欲を全く感じない、ということは生きる方向に体が向かっていない、ということですし、 嫉妬しない、ということは自分に対する愛着が全く無い、ということです。 独占欲が無い、ということは必要なものすら手に入れる能力が欠如している、ということです。 では、感じるままに何をしても良いかと言えばそういうことにもなりません。 大事なのはバランスです。 この場合のバランスとは、世界全体の中の自分という視点を持つということです。 煩悩のように、必ずあるものに対して無い事にしておこうとするのは無意味な抑圧にすぎません。 押さえつけられたものは、必ず反作用として別の面で顔を覗かせることになるでしょう。 「あるものはある」として認めることが大事です。 そして、それを『自分の問題として考える』ことが重要です。 決して他者のせいにしてはいけません。 仏教は良く知りませんが、これが修業ということになるのではないでしょうか。 自分の問題として考えることによって、必然的に他者へ迷惑がかかることは少なくなるはずです。 なぜなら、人に迷惑を掛けるということは、自分の問題を他者に解決してもらおうとする甘えに他ならないからです。 あなたは恐らくとても素直な方なのでしょうね。 「悪い業」を具体的に吐き出してみるのが最も効果的だと私は思います。 先ほども述べましたが、人間というのは煩悩の塊ですからどんなことでもできます。 自分の感情を押さえつければ押さえつけるほど、それが現われる時はより激しい形態をとることになるのは至極当然のことです。 行為となって現われる前に、その感情を吐き出しておくことが大事です。 最初に、紙に書くのが効果的だと述べたのはそういう意味ですが、信頼できるどなたかに思い切り吐き出すのがさらに良い方法です。 日記などで自分の気持ちをぶちまけるのも効果があります。 あとは、自分はもはや庇護されるべき人間ではなく、他者を庇護すべき存在として求められている人間だ、ということに目覚める勇気を持つことです。 あなたは過去の歴史の産物ではありますが、これから新たな歴史を築いていく人間でもあります。 ご質問の意図とずれているようでしたらご容赦願います。

noname#35509
質問者

お礼

お返事遅くなり申し訳ありません。 >ご質問の意図とずれているようでしたらご容赦願います。 いいえ、監視カメラか盗聴器かしかけられてるかと思うぐらい今の自分の状況を読まれていると思いドキッツとしてしまいました。 そうなんです。紙に書くというのを思いついたのは私がよく読む精神科医の人が書いた本に、すごく腹が立ったときの対処法で、紙に書いてほとぼりが冷めたら捨てるというのが書いてあったのです。湧き出た憎悪は簡単に忘れる事が出来ません。でも憎悪は心に留めて置くと苦しいです。それで(紙に書くことで)いったん預けるといったイメージです。私も時々そうするのですが紙に書いてみると客観的にみれて、自分はどうしたいのかとか整理して考える事ができるので有効だなと感じています。 でも、仏教の法話も読んでいて思ったのはそれは悪い業を積む事になるので「くしゃくしゃに丸めて捨て」たら仏教の教えではどういう解釈になるの興味がありました。 >人間が自分を守るために必要な道具でもあるからです。 おっしゃるとおりですね。バランスが大事なのですね。 >無意味な抑圧にすぎません。 煩悩の一つに「我慢しすぎ」というのがあるのですが、そのことですね。 >自分の問題として考えることによって、必然的に他者へ迷惑がかかることは少なくなるはずです。 そうなんですね。 >あとは、自分はもはや庇護されるべき人間ではなく、他者を庇護すべき存在として求められている人間だ、ということに目覚める勇気を持つことです。> 親になるという事ですか?私の事をまだ親の自覚が出来ていないように感じられるのですね。頑張ります! ご回答、その他アドバイスありがとうございました。 「くしゃくしゃに丸めて捨てる」から、どんどん広がっていろいろためになりました。

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