- ベストアンサー
乗り物と中間
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
江戸時代初期ならまだ中間も一代限りでもちゃんとした家臣でしたから主君を守って戦うこともあったかもわかりませんが、(主君のほうもめったに駕籠になど乗りませんでしたが)、中期以降はずっとその家に奉公しているわけではなく1年毎のいまでいえば契約社員みたいなものでしたからそこまで主君を守って戦うなどということはほとんどなかったでしょう。
その他の回答 (2)
実際の襲撃事件、「桜田門外の変」では、勇猛を誇り訓練された井伊家の一団が苦もなく倒されてしまいました。 さて、ドラマに話を移しましょう。向かっていったところで、大して役に立たないどころか、護衛の者たちからすれば、かえって邪魔でしょう。 逃げてもそんなにとがめられないのでは?
お礼
うろちょろされては邪魔というのですね。どうもありがとうございます。
- Pinhole-09
- ベストアンサー率46% (597/1294)
駕籠かきは担ぐのが職務ですから、襲われたら身を隠さねばなりません。 騒ぎが納まったらすぐに出てきて駕籠をかつぎます。 担ぎ手がいないと困ることになります。 主人を守るのは護衛の武士の役目です。 脇差は自分の身を守る為のものです。 時代劇で騒ぎが納まったあと、よく木陰から駕籠かきが出てきますが、正しいのです。
お礼
なるほど。騒ぎの治まった後担ぎ手がケガして担げないでは困ると言うのですね。どうもありがとうございます。
関連するQ&A
- 奉公人,水呑百姓,地借などの身分について
江戸時代の身分について調べています。いろいろと調べていくうちに疑問点が出てきましたので、いくつか質問させてください。 1 水呑百姓や本百姓に隷属した名子、被官などは「百姓身分」になるのでしょうか? 2 正式には地主、家持が「町人身分」らしいですけど、地借、店子や奉公人などの身分はどうなるのでしょうか? 3 武家奉公人の中間、小者などの身分は「武士身分」でしょうか?
- 締切済み
- 歴史
- 江戸時代の武士がもつ日本刀について。
うちには先祖が武士家系ということで 日本刀が何本か残されているのですが 時代劇に使われているような見事なものではなく とても質素なものです。 鞘にしろ鍔にしろ 簡素なもので 刀身も63,8センチ の無名刀です。 小柄とよばれる小刀もついていません。 そこでいくつか質問があります。 (1)やはり昔も 上級武士(位の高い)はそれなりにいいものを身に着けていて 持っている刀がその武士の 品格を表すようなものだったのでしょうか? (2)また映画などではチンピラ風の町人も脇差しのようなものがありますが そういうチンピラ風のものでも高級な刀をもてたのでしょうか?とくに 「先生」と呼ばれた腕のたつ殺し屋みたいなのもでてきますが長いいい刀を持っているように見受けられます。。 (3)また武士に生まれた家系は 子供のときから刀を差していますが 体の成長により刀を自分の体格にあったものに常に変えていたのでしょうか? (4)時代劇のように あんなしょっちゅう刀を抜く機会って 武士でもチンピラでもあったんでしょうか?いまでいうピストルを相手に向けるようなものですよね お互いが刀を抜いた時点で 死を覚悟するようなものだと思いますが。 ドラマや時代劇では みね打ちとかいって どしどしやっつけていますけどあれでも実際やったら相当なダメージではないですか? 以上わかることだけでも結構です。 お詳しい方どうかよろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 武士言葉っていつから?
映画やテレビに登場する武士って、たとえば 「拙者は○○でござる」 という風に独特の話し方をしますよね。 過去の質問を検索してみたのですが、当時、本当にこんな話し方をしていたのかどうかは、録音機器がないため、よく分からないらしいんですね。 とすれば一体いつごろから、武士はこんな話し方をしていたに違いないと、されるようになったのでしょうか? つまり時代劇に登場する武士の言い回しがこんな形になったのはいつ頃からでしょうか? 何かそれらしい資料なり裏づけがあっての事でしょうか? もうひとつ、ヤクザの三下なんかも 「たしかに、アッシにちげえねえ」 とか言いますよね。 決して武士がこんな話し方をする事はないと思うのですが、おそらくこれも録音機器が無かったため、本当に当時のヤクザがこんな話し方をしていたのか分からないと思うのですが、それでは一体いつ頃から時代劇映画に出てくるヤクザがこんなセリフの言い回しをするようになったのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代、脇差と短刀はどのように使い分けられていたのでしょうか。
江戸時代、二本差と呼ばれていた武士は、脇差と短刀をどのように使い分けていたのでしょうか。 相撲で、行司が短刀を一振り帯びているのは、差し違えた際に自害するためであったということを聞きました。 このように武家においても、短刀はもっぱら自害やその他儀礼などに単独で用いたのでしょうか。 幕府による大小拵の規定(『幕儀参考』)によりますと、 大刀 2尺2寸~2尺3寸(定寸) 脇差 1尺6寸~1尺7寸前後 (刀ハ長サ貮尺二三寸を定寸トシ、脇差ハ壹尺六七寸前後ナリ) とあります。 〔参照〕 http://www.kyoto.zaq.ne.jp/yamasiroya/banzasi.html 刃渡り1尺以上2尺未満のものを脇差、1尺未満のものを短刀と理解しておりますが、「二本差」としての大刀の差し添えはあくまで脇差で、大刀と短刀を2本差すということはなかったのでしょうか。 大刀の定寸を2尺3寸とするならば、1尺7寸前後の脇差というのはかなり大振りだと感じるのですが、いかがでしょう。 ちなみに、時代劇(特に70年代以前の古い作品)でも、明らかに1尺7寸には満たない脇差(短刀?)を大刀に添えて差している武士の描写が、ある程度見かけられます。 ただ、脇差といっても1尺3寸程度の小脇差もありますので、これは短刀ではないのかもしれません。 少々話がそれますが、現在普及している模造刀は、 大刀 2尺3寸5分 脇差 1尺5寸 程度のものが多く製作されているようです(2尺8寸などの長尺物を除いて)。 上の『幕儀参考』というのは、1828年に生まれて1890年に没した松平慶永(春嶽)が著したものですが、江戸時代265年の間には、脇差(または短刀)の定寸ともいうべき長さは、その時々によって異なっていたのでしょうか。 例えば、幕末期の新撰組副長・土方歳三については、局長近藤勇の書簡に 「土方氏モ無事罷在候、殊ニ刀ハ和泉守兼定二尺八寸、脇差一尺九寸五分堀川国広云々……」 とありますから、彼は2尺8寸の刀に1尺9寸5分の脇差しを帯びていたのでしょうが、かなり目立ったのではないでしょうか。 また、町人の「道中差」については、ある辞書には「武士の大刀と小刀の中間の長さ」とありますが、侠客が用いた「長脇差」とは異なるものであるはずですので、この記述は非常に曖昧ではないかと思います。 実際、道中差は「武士の」「小刀」(長さの基準はわかりませんが)よりも長かったのでしょうか。 以上、話題が二転三転いたしましたが、長さも含め、脇差と短刀の使い分け、差料としての「短刀」の位置づけについて質問いたします。 よろしくお願いいたします。
- 締切済み
- 歴史
- 武士言葉の本を探しています
時代劇で武士が話す言葉 「それがし」「したり」「御意」など、 その他にもたくさんあると思いますが、武士言葉の解説や辞書のような本を探しています。 お薦めの本がありましたら教えてください(出来るだけ簡単な本)
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代の町方などの階級などについて
1. 町の治安などを担当する役所は奉行所ですね。 その役職の階級としては奉行、吟味与力、与力、同心、そして岡っ引となっていたのでしょうか? 2. 江戸時代のこの階級は今の警察制度の階級のどれにあたるでしょうか? (現在の警察官の階級って、警視総監、警視監、警視長、警部、警部補、巡査部長、巡査長、巡査となりますよね。江戸時代の奉行所って警察とは職務が違うでしょうが) 3. 武士としては足軽が一番下で、その下に武士ではない中間、さらにその下に小者とかがいたのでしょうか? 4. 足軽の上にはどんな階級があったのでしょうか? 5. 奉行、吟味与力、与力、同心には武士のどんな階級が就いたのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 9/8の「子連れ狼」の中で言った一言を教えて下さい。
子連れ狼を見ていらっしゃる方は多いかと思います。 私は、休み明けの月曜日で憂鬱ですが、このテレビを 楽しみに一日を過ごしています。 この時代劇の中で多々私的に名言に残るうな一言が あります。 9/8の中で、山小屋にて拝一刀に武士(坂上忍)との会 話で、拝一刀が行った一言が思い出せません。武士 が、大五郎が行方不明になってしまった事について、 拝一刀に尋ねた時、拝一刀が言った句がとても印象に 残っています。 Googleで調べてみたのですが、引っかかりませんでした。 すみませんが、教えて下さい。 また、時代劇等の名言集を集めたサイトがありました ら、教えて下さい。
- ベストアンサー
- ドラマ
お礼
江戸中期以降はちょっと考えられないのですね、どうもありがとうございました。