- 締切済み
三国志とかで
三国志とかで説客と称して、諸国を回った人達がいます。春秋戦国時代なんかでも沢山の思想家がいたと思います。 ところで、今日の中国でも北京語と広東語はだいぶ違うそうですが、古代中国においてコミュニケーションがうまくできたのでしょうか? 故事や諺など細かなニュアンスもあるし、一つ間違えば命が危なくなった説客・思想家なんかも多かったんじゃないかと思うのですけど。
- chinatsu1984
- お礼率56% (55/98)
- 歴史
- 回答数5
- ありがとう数8
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- GZZ04000
- ベストアンサー率22% (2/9)
中国語は地方によってかなり違いますが、文語は最近までほぼ同じであったようです。 ですので「筆談」というよりも「文語調で会話した」ような可能性もあるように思います。 最近は漢字の簡略化等もあり、「話すとおりに書く」様になってきており、書き言葉についても方言の違いが大きくなっていると聞きます
- Pinhole-09
- ベストアンサー率46% (597/1294)
昔の人は他国の言葉に、容易に習熟出来たのではないでしょうか。 今と違い習うべきものが少ないので。 中国ではその時代表意文字があったので、筆談、手まねをしながら、習熟したと思います。 日本でも石器時代から、南北広範囲で交流があった事が、黒曜石の研究から知られています。 言葉の交流もあり、その共通化も一部分では、進んだでしょう。 幕末のジョン万次郎、高田屋嘉平の例もあり、武士の欧州派遣時も、早く外国語を覚えたと思いますが。
お礼
たしかにそうですね、ありがとうございました。
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
古代中国、周の時代までさかのぼると、その活動範囲は極めて限定され、いわゆる関中といわれる場所に行き着きます。 殷・周の時代から、下ってくるに従って、その活動範囲は広まっていきました。 もとは一緒なので、コミュニケーションは取れていたと思います。 行商人や説客など、各地を回る人々や外交に携わる役人や王族、貴族達も、ある程度言葉は通じていたと思います。 更にいえば、秦によって、度量衡や言葉、通貨も統一されています。 直ぐに滅んでしまったので普及はしていないと思いますが、便利であるので使い続けていたという可能性もあります。 >故事や諺など細かなニュアンスもあるし、一つ間違えば命が危なくなった説客・思想家なんかも多かったんじゃないかと思うのですけど。 相手の国の言葉、風俗に通暁していなければ、相手を論破すること自体不可能ではないでしょうか? いずれにせよ、殺された例はあります。 ですが、どちらかというと、情報源として優遇されるケースが多かったようです。
お礼
ありがとうございました。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答でもなく、またアドバイスでもなく恐縮なんですが、同じ問題は日本の戦国時代でもあったようです。果たして伊達政宗と豊臣秀吉は何語で話したのか?実はこれは謎なんです。バリバリの東北弁のはずの伊達政宗とみゃーみゃーの豊臣秀吉、今だって地方に行くとお年寄りが何言ってるのかわかんないのに、もっと人の行き来が少なかった昔はどうしていたのか。 諸葛孔明も生まれは河北で、華南で劉備と出会い、四川に国家を作りました。劉備も河北の出身なので、どう考えても四川の人々に言葉が通じたとは思えません。ま、単純に考えれば筆談になるんですが。
お礼
そうですね、ありがとうございました。
- Willyt
- ベストアンサー率25% (2858/11131)
なるほど、そういう心配がありますよね。でも通訳が必要だったという記述にお目にかかったことはないですから、当時も標準中国語のようなものがあったのでしょう。春秋戦国時代は今の中国よりもずっと狭い範囲だったので、方言どうしが通じないということはなかったのかも知れませんね。
お礼
ありがとうございました。
関連するQ&A
- 中国の故事に由来する「故事成語・ことわざ」と、その由来となった物語
三国志などで。『三顧の礼』や『泣いてバショクを斬る』のような故事成語がたくさん出てきます。 また、同じ三国志から『鶏肋』とは、大した物では無いが捨てるには惜しいという意味で使われるようになりました。 他にも、先んずれば人を制す出典:史記(項羽本紀) というように、三国志のみならず、中国の歴史書からこのような故事成語がでてきますが、そのような内容をまとめた本を探しています。 中国の故事に由来する「故事成語・ことわざ」と、その由来となった物語をまとめたサイトや書籍を教えてください。
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 中国出身の方の言語に対する意識について質問です。
中国語の知識が全く無い中年男性です。職場に中国出身の方がいらっしゃるのですが、中国語というのは北京語、広東語、上海語などいろいろと多様だと聞いております。一言で中国の方といっても、さまざまな地域出身の方がいると思うのですが、全ての中国の方に理解してもらえる言語というと、やはり北京語なのでしょうか。例えば北京出身の方に、広東語で話しかけて、通じないとか気分を害されてしまうといったことなどはあったりするんでしょうか。コミュニケーションを円滑にしたいと思い、簡単な言葉でいいから話してみたいのですが、事情に詳しい方がいたら御教えいただけないでしょうか。できれば、何語から学んでいけばいいかもアドバイスをお願いします。
- ベストアンサー
- 中国語
- なぜ中国春秋時代には思想家が大量に現れたのですか
世界史は苦手なのですが、興味があって質問しました。 中国の戦国春秋時代に、諸子百家といわれるような思想家、思想が大量に存在したと知りました。 なぜこの時代に思想が現れ、 なぜこの時代に語られたことが、今になっても古典として価値を失っていないのでしょうか??
- ベストアンサー
- 歴史
- 北京語と広東語と台湾語 単語の表記上の違い
北京語と広東語と台湾語というのは、発音が違うのはわかるのですが、字としての表記も異なるのでしょうか?例えばPCのソフトのような物も中国では北京語バージョンと広東語バージョンが別物として存在するのでしょうか? どなたか教えて下さい。よろしくお願い申し上げます。
- ベストアンサー
- その他(語学)
- 北京語と広東語を両方学ぶ
こんにちは。 私は今、中国語を勉強したいと思っています。 理由は自分の好きな俳優の出ている映画を字幕なしで見れたら・・と思ったからです。 北京語を勉強しようと思っていたのですが、先日、その自分の好きな俳優の話している言葉が広東語だということがわかりました。 だったら広東語を勉強すれば・・・と思われるかもしれませんが、北京語は中国語の中で最もスタンダードな言葉だと聞きます。 だからできれば両方分かるようになればいいな~と思っています。 その場合、北京語を先にやってから広東語を勉強した方が良いのでしょうか。 それとも欲張らずに、どちらか一方にした方がよいでしょうか? 経験者の方等、お時間がある時にでもご回答頂ければと思います。 よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- その他(語学)
- 故事にある、邯鄲人の性格
河北省の人に聞いたのですが、河北省、邯鄲の人は、とてもやさしく、人に親切で、よく、人のことを観察しているそうです。 そして、そのことを裏付ける故事? か中国のことわざを教えてもらったのですが、よくわからりませんでした。 戦国時代、邯鄲の人は勇敢に戦い、評価されたそうですが・・ 正直、そのことと、上記の性格のことで関係性がつかめません。 邯鄲の人が優しく、人のことを観察するという、故事や、ことわざを知っていたら教えて下さい。
- 締切済み
- 中国語
お礼
確かにそう思います。ありがとうございました。