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なぜ中国春秋時代には思想家が大量に現れたのですか

世界史は苦手なのですが、興味があって質問しました。 中国の戦国春秋時代に、諸子百家といわれるような思想家、思想が大量に存在したと知りました。 なぜこの時代に思想が現れ、 なぜこの時代に語られたことが、今になっても古典として価値を失っていないのでしょうか??

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  • 0fool0
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回答No.1

中国の思想は、ほぼ全てと言って良いほどに、基本的に実学としての結果を求める性質を持っていました。 それは約550年にも渡る、春秋戦国時代を生き延びて繁栄する為の学問としての形を求めた経緯があるからです。 そして、その前段階として、殷滅亡と周勃興が関って来ます。 殷時代には遺物の殆どに「神」の姿が刻まれています。 それは「神権政治」を布いていた事を表しています。 しかし周時代からは神を現す意匠は廃れ、人々の生活に関るデザインの遺物がメインになり、「人治主義」に移行した事を示しています。 これは封神演戯が端的に現しています。 これ等が中国思想の現れた背景の要因の一つとして数えられます。 そしてこれ等の思想・哲学が現在でも廃れずに残っているのは、「思考を止めなかった」学問だからではないでしょうか? 中国哲学には「タブー」がありません。 議論に答えるだけの理論・ロジックが無ければ話に成らないからです。 キレイゴトを言っていた次の日に、国が無くなってしまえば意味が無いですから。 「神様がイケナイと言っているから、駄目なんだよ?」等の理屈が通らなかったので、考えつくされて来た為に現代でも通じるだけのポテンシャルを確立したのでしょう。

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  • tanuki4u
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回答No.6

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D5%E4%B8%96%E7%B4%80 紀元前5世紀は人類史的にいろいろあった。 という説を唱えている歴史家がいたが、ちょっと失念 中国 インド ギリシャなどで、のちの思想に大きく影響を与えた人が活躍した。 中国にしてもインドにいてもギリシャにしても、それまでは都市国家から領邦国家への移行期。 都市国家の人口は数万レベル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BA%BA%E5%8F%A3 日本の人口が1.2億人で中学校の数が1.1万なのでざっくり言えば、一つの中学校の校区に1万人が住んでいる。 世田谷区の区立中が30で人口80万なので、3万弱が一中学学区あたりの人口 つまり生まれてから死ぬまで同じ中学校の校区から出て行かない人ばかりの世界で生きていたのが、古代の都市国家。 知り合いばかりなので、細かい論理など不要だった。 領邦国家になると人口が格段に増える 春秋時代で全中国500万程度で、有力国だと数十万になる。 そうなると、生であったことのない人に同意を求めないとならないので、いろんな考え方が「説明する必要があるので」生まれます。 そんな時代が紀元前5世紀のユーラシア

  • Nebu3
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回答No.5

 大義名分という言葉があるでしょう。 現代でも戦争なんてのは銭儲け(国益)の争いに過ぎないのに 戦う両陣営は正義をかざして世界平和のためと 御託を並べます。つまり人や国などは戦う理由 で本音をごまかして正義は我に有りという理屈 及びそれを考えてくれる人を欲するのです。  古くは古代中国の春秋・戦国時代。群雄割拠で だれが中国を統一するのか、いやそれ以前に滅ぼ されずに生き残れるか。大小様々な分国の支配者 が必死で大義名分を求め、それを話してくれる 思想家を探して連れてきました。だから思想家も 多くは良い待遇を求めてあちらこちらを渡り歩き よく練られた考えを生み出していきました。  いつの時代もそうですが需要あるところに供給 されるものです

  • TANUHACHI
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回答No.4

 そうした時代を象徴する言葉に「百家争鳴」や「議論百出」などがありますよね?。文字どおりに「様々な意見がある」ほどの意味ですが、それの裏返しとして、統一権力の不在があります。  そして「統一権力」があれば、それを正当化するための根拠なり思想的基盤を彼等は求めもします。つまり権力のための権威付けとの発想です。  小国家乱立状態ですから、それを「正当化づけるためのこじつけ」が幾つあっても不自然ではないとの話になります。俗流人生訓や処世術はあっても思想性はないですね。

  • FEX2053
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回答No.3

大概思想家は、「国が乱れた時に出てくる」です。特に他の文化と 衝突して国が危ないときに多く出ますね。 ・・・日本では幕末がそうです。 中国は地域によって全然文化が違いますので、国同士が衝突すると 自国の文化が危なくなる=思想家が出やすい、と思いますよ。 なぜ「古典となった」かについては、他の方が言われるとおりかと。

  • fujic-1990
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回答No.2

 まず、「戦国春秋時代」ではなくて、「春秋戦国時代」です。春秋時代は「周」の時代の前半、戦国時代は「周」の時代の後半です。  春秋時代は、おおむね周のトップだけが「王」であって、他の国々は「侯」でした。楚国のトップだけが「俺は蛮族だから、中原の爵位は関係ないもんね」と言って無断で「王」を名乗りました。  時代が下って、周は衰退して戦国時代になるとそれぞれの国のトップが「王」を名乗りました。天皇家が衰退しても誰も「天皇」を名乗らなかった日本との大きな違いです。  さてその時代、国に大小があり、侯(王)に好き嫌いがあり、人口に違いがあり、位置的な違いがあり、中原とは無縁(話が通じない)の蛮族あり、・・・ という具合に国家ごとに、また同じ国内でも立場によって、利害得失が「千差万別」にわかれていました。  となると、例えば斉国に喜ばれる理屈が、楚国に喜ばれるとは限りません。それどころか楚国にとっては嫌悪すべき理屈かもしれません。ならば、「俺が楚を喜ばせよう」という人物が、楚を喜ばす政策を考えて歴史に登場する、という話になるわけです。  同様に、「晋」を喜ばせようとか、「秦」を喜ばせようとかいう人物も、それぞれの国情にあった、「もっと効果のある」政策をひっさげて登場する(実際には遊説して回った)わけです。  また同じ「秦」なら秦の国内でも王と大臣と王太子が争っていたりするので、またそれぞれが喜ぶ提案・政策も違いました。  その結果、たくさんの人が、いろんな国・人のために、いろんな(好き勝手な)論を立てることになりました。中には「白馬は馬非ず」などという不思議な論理を展開する人も出ました。  そういう人たちの立てた論が、いまなお輝きを失わないのは、現代国家のありようも、当時の中国国内のありようと変わっていないからです。くっついたり離れたり、さらに戦ったり。条約を結んだり破棄したり。  すべての国家タイプ、交流のタイプ、問題点、すべてがあの時代に存在したと思われます  あの時代と、基本的なありようが変わっていないから、当時の議論がまだ輝きを失いません。  また、諸子百家の本を読んで勉強したり、そこに書かれた考え方を実践しようとする層(特に政治家)の人って、現代社会でも「勝ち組」ですから。   当時は人権だなんだというめんどくさい話は抜きにして、人間(王侯貴族:勝ち組)の本能的な欲求をそのまま満たすために生まれてきた議論であるがゆえに、現代も、勝ち組の本音のところでは「なるほど」と思えるのです。  建前だらけの議論は時代が変わると廃れますが、本能丸出し、本能に迎合した議論はいつになっても「まあ、本音ではそうだよね」ということになるわけです。  心の底で納得できる理屈を求めて、人間が好き勝手なことを言っていた時代を学ぼうとする人は減りませんね。   

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