経営学の普遍法則について

このQ&Aのポイント
  • 経営学には普遍法則が存在するのか疑問が出されています
  • 現代の経営学は個別の事例に着目して問題解決を行う姿勢が見られます
  • 経営学は社会科学の一分野であり、普遍法則が立てにくいとの指摘もありますが、その信憑性についての議論が求められています
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 経営学に普遍法則はあるか?

 最近、ある友人と話していて  「現代の経営学は普遍法則は立てない(らしい)」という話になりました。  その代わりにハーバードのビジネススクールなどは3000から5000というような  膨大なケーススタディを蓄積して、それこそケースバイケースで  問題解決にあたるという姿勢(のよう)です。    経営学は確かに社会科学の一分野ですから、物理学や数学のようには  絶対の普遍法則が立てにくいことは十分理解できますが  しかし、学問の一分野である以上、普遍法則を目指さないとなると  にわかには信じられない話です。  これは本当なのでしょうか?  みなさんのご意見をよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

現時点において、普遍法則がない。科学論を勉強されているならご存知だと思うが、非科学的=解明途中、従って、 将来においてだれか普遍法則を見つける可能性がある。  さて、普遍法則がない学問はほかにもある。 例えば法学。扱う対象が人間なら普遍法則を立てにくい という現象があるようですね。  さほど普遍法則は大事なもの?

arakan
質問者

お礼

なるほど、法学には普遍法則はありませんね。  宗教国家ならあるでしょうが、それが極端な方にぶれることを  われわれは生々しく体験していますね。  回答ありがとうございました。

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