• ベストアンサー

敵に塩を送る

上杉謙信が敵に塩を送ったのは、純粋に義のため、人道主義、武士道のためと考えてよいのでしょうか。国益を考えてはいなかったのですか。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数9

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.4

謙信が塩を送った事実はありませんが、北条からの依頼にもかかわらず、甲斐との国境を封鎖しなかったのは事実のようです。 越後が米どころになったのは江戸時代になってからで、謙信の軍資金は商業活動への課税(関所や港)によっていました。その謙信が領内の商業活動を制限するのは自殺行為に等しいでしょう。 従って、国益を考えての行動だったと思われます。

kokutetsu
質問者

お礼

なるほど。やはり国益もあったのですね。ありがとうございます。

その他の回答 (3)

noname#35575
noname#35575
回答No.3

(1)上杉謙信が、彼の事を呪詛した信玄の書を見て、笑い。「弓矢取る身の恥である。末代までの宝物とせよ」と神主に言ったという。(2)その信玄が病死した事を知ると、思わず、箸を置いて、口から湯漬けを吐き出し「さてさて、残念な事だ。東国の弓矢に柱がなくなった」と言って涙をこぼした。(3)信玄が死ぬと、上杉の老臣たちは、信濃に出陣を勧めたが「竹田の代替わりの若武者勝頼を攻めるのは大人気ない振る舞いだ」と言って出陣しなかった。(4)なお、2年後に長篠の戦いで謙信に出陣を勧める者がいたが、「今、出陣すれば甲斐を攻め取る事が出来る、しかし、人の落ち目に付け込むのは卑怯だ」と出陣しなかった。戦国時代には稀に見る清廉潔白の将ではないでしょうか。これからして、やはり義の人ではないでしょうか。

kokutetsu
質問者

お礼

清廉潔白の人だったのですね。ありがとうございます。

  • ao_tomato
  • ベストアンサー率42% (11/26)
回答No.2

  最新の歴史調査だと 上杉は実は塩を送っていなく、ただ竹田の町への 塩の貿易を止めなかっただけのようです。 と世界一受けたい授業でやってました。

kokutetsu
質問者

お礼

送ったとばかり思っていました。ありがとうございます。

回答No.1

昭和生まれなので、推測ですが 塩がなくて、衰亡したところを叩き潰すより お互いに力を出し合いたかった上で、決着をみたかったのだと思います。

kokutetsu
質問者

お礼

正々堂々と合戦で決着をつけたかったのですね。ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 「敵に塩を送る」・・・あなたなら、どの敵に何を送る?

    武田信玄は、敵である上杉謙信に塩を送りました。 「敵に塩を送る」・・・例え敵であっても、相手が困っている時には助けてあげるという人道的な心を表していますね。 今で言えば「北朝鮮に米を送る」がピッタリかもしれません。 で、そんな現代風の、又は皆さんの個人的な「敵に塩を送る」バージョンを教えていただきたいのです。 自由な発想で、例えばアニメや映画なんかでも考えてみたいですね。 宜しくお願いします。

  • 敵に塩を送る

    上杉謙信の有名な「敵に塩を送る」という精神は、私達の現代でも通用すると思いますか?

  • 敵に塩を送る、という言葉がありますが

    上杉謙信の美談として有名な、敵に塩を送る、という話ですが。 これ本当でしょうか? これは昔から興味があったのですが。たぶん事実だろうと思われることとしては、北条などなどが武田勢に対して塩止めをしたけど上杉謙信は特にしなかったということことぐらい。商人の商いを邪魔するとかえって駿河も困るし、塩止めしたって美濃あたりのルートで武田は塩を手にいれられるんじゃないですか? だから要するに特に上杉謙信も気にもとめなかっただけのような気がします。

  • 上杉謙信が送った塩

    上杉謙信が武田信玄に送った塩は「伯方の塩」でしょうか?

  • 上杉謙信が武田信玄に塩を送ったのは本当でしょうか?

    上杉謙信が敵の武田信玄に塩を送ったという言い伝えがあります。 これは歴史的事実なのでしょうか? 他領主による経済封鎖で民衆が困っているから塩を送ったといわれていますが、眉唾もののように思えてなりません。 戦国武将がそんなに慈悲深いとは考えられません。 それによって利益があったからではないでしょうか? よろしくお願いします。

  • 武田信玄、上杉謙信&塩

    有名な武将の武田信玄と上杉謙信は、何故いつもセットで出てくるのですか? お互いが強敵だったのは知っていますが、他に敵がいなかったのか、何か特別な因縁でもあったのでしょうか? あるいは単に有名な作家の原作で取り上げられて、以来セット扱いになったのか教えてください。 また、川中島の戦いで敵に塩を送ったというのは嘘で、塩の運搬を妨げなかっただけだそうですが、 卑怯なことを嫌った昔の戦いで、塩の運搬を妨げなかったことが、それほど異例なことでしょうか? お分かりになる方、よろしくお願いいたします。

  • 塩をもらった信玄の反応は?

    塩止めの際に上杉謙信から塩を送られた武田信玄はどんな反応を示したのでしょうか? 記録など残っていますか?

  • 謙信のこの言葉の真意は?

    上杉謙信が子育てのコツについて語ったものなんですが 上杉謙信公はこのように仰った 「武士の子を産み育てるには、14,5歳の頃に及ぶまで、いかにも我儘にさせて、 勇あることを勧め、臆する道を制した形で成長させるべきである。 父に勇のある子供は、必ず臆することはない。 これは父親が常々、その道を説諭するためである。 この様に、人というものは生育が第一なのである。」 (上杉謙信言行録) 勇については武士だからわかるのですけど、 謙信がいかにも我儘にと、我儘になるようにと我儘を推奨した理由は何なんでしょうか? 自分はこれを読んだとき、 我儘ということは「お前は我儘だ!!」などと言って叱られ、我儘ということは絶対に悪いことの一つであり、その悪徳を持つものは必ずそれを矯正しなくてはならない、そのことについて議論の必要はない。というふうに我儘ということは考えられていると思ったので驚きました。 我儘は現代ではそのようなものでも昔は徳目の一つか何かだったのでしょうか?それとも武士特有の何か理由からでしょうか? 謙信がこう言った真意が知りたいです。この時代の思想や背景に詳しい方教えて下さい。お願いします。

  • 謙信の塩と信玄の遺言

    ・上杉謙信が武田信玄に塩を送った話は事実ですか? ・武田信玄が死の間際息子の勝頼に「困ったときは謙信を頼れ」と言い残したのは事実ですか?

  • 上杉謙信等について

    上杉謙信が義を掲げたのは、なぜだと思いますか? 利の為に身内にすら裏切り裏切られる戦国の世で義を掲げる理由が分かりません。何か裏があるのでしょうか…? あと、上杉謙信は完全に義を貫きましたか? まだ気になるのがもう二点ありまして…。 甲州兵、三河武士は強く、尾張兵及び近畿兵は弱い、みたいな話を聞いたのですが、それは何故なのでしょうか? 信長は兵農分離を行い、いわゆる武装農民ではなく、戦争のスペシャリストのような、制度を、作ったと聞きます。それなら四六時中訓練してれば強くなるものではないでしょうか? また、三好長慶は天下人と言うに等しい存在だったのでしょうか? 色々と知りたいことが多いもので、統一性のない質問になってしまい、申し訳ありません。 分かる部分だけでも結構ですので、どうぞよろしくお願いします。