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敵に塩を送る
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謙信が塩を送った事実はありませんが、北条からの依頼にもかかわらず、甲斐との国境を封鎖しなかったのは事実のようです。 越後が米どころになったのは江戸時代になってからで、謙信の軍資金は商業活動への課税(関所や港)によっていました。その謙信が領内の商業活動を制限するのは自殺行為に等しいでしょう。 従って、国益を考えての行動だったと思われます。
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(1)上杉謙信が、彼の事を呪詛した信玄の書を見て、笑い。「弓矢取る身の恥である。末代までの宝物とせよ」と神主に言ったという。(2)その信玄が病死した事を知ると、思わず、箸を置いて、口から湯漬けを吐き出し「さてさて、残念な事だ。東国の弓矢に柱がなくなった」と言って涙をこぼした。(3)信玄が死ぬと、上杉の老臣たちは、信濃に出陣を勧めたが「竹田の代替わりの若武者勝頼を攻めるのは大人気ない振る舞いだ」と言って出陣しなかった。(4)なお、2年後に長篠の戦いで謙信に出陣を勧める者がいたが、「今、出陣すれば甲斐を攻め取る事が出来る、しかし、人の落ち目に付け込むのは卑怯だ」と出陣しなかった。戦国時代には稀に見る清廉潔白の将ではないでしょうか。これからして、やはり義の人ではないでしょうか。
お礼
清廉潔白の人だったのですね。ありがとうございます。
- ao_tomato
- ベストアンサー率42% (11/26)
最新の歴史調査だと 上杉は実は塩を送っていなく、ただ竹田の町への 塩の貿易を止めなかっただけのようです。 と世界一受けたい授業でやってました。
お礼
送ったとばかり思っていました。ありがとうございます。
- hamakko_2003
- ベストアンサー率28% (114/400)
昭和生まれなので、推測ですが 塩がなくて、衰亡したところを叩き潰すより お互いに力を出し合いたかった上で、決着をみたかったのだと思います。
お礼
正々堂々と合戦で決着をつけたかったのですね。ありがとうございます。
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お礼
なるほど。やはり国益もあったのですね。ありがとうございます。