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源氏?

過去のもので源氏を名乗る事、苗字、姓についての話を読みました。 徳川家康も公文書では源をつかっているとか。 そうなると湧いてきた疑問は源氏といえばあと、倣ったのは平家?ですが、元々日本の姓は源と、平しかないのですか? あまりに初心者で馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれません。 答えるのも馬鹿馬鹿しいと思われるかも知れませんが、その方面に勉強不足のため、素朴な疑問として浮かび上がりました。 普段は考えもしないような難しい社会のお勉強の分野ですので、宜しくご教授お願いします。

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

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  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.7

No6の回答ではちょっと本来的な回答からずれているので・・・ >そうなると湧いてきた疑問は源氏といえばあと、倣ったのは平家?ですが、元々日本の姓は源と、平しかないのですか? 他にもあります。4大というのはNo5さんのとおりの4つです。他には菅原(菅原道真)、大江(大江広元)、在原(在原業平)などがあります。 そして、秀吉の「豊臣」も姓です。しかし、彼の場合は例外中の例外みたいなものでして(というよりも、天皇家に官位を要求したのではなく、露骨に姓を要求した人もかなり珍しいです)。彼の場合、時代がほかの姓よりもあまりに離れているので、の、が入らないのかと思います。 本来的には、の、を入れないといけないとなっていますが・・・どう考えてもしっくりはきませんよね。 >徳川家康も公文書では源をつかっているとか。 はい。使用していました。しかし、源氏の家系であるという確証は家系図以外には0で、99%捏造です。 重要なのは、徳川の苗字の認可を得た際の署名。藤原家康とかいています。つまり姓が完全には一定していない。 戦国時代にはよくあったことです。前田家は菅原家としていますが、利家の代には源氏を名乗っていたこともありますし、平氏を名乗っていたことすらあります。非常にいい加減ですがこんな感じです。 これはNo6にも紹介した http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2192705 のなかの私の回答を行ったのです。粉飾とか、改竄と呼ばれる行為です。戦国ではよくある行為です。

その他の回答 (6)

  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.6

まず、姓の定義は「天皇家から賜った」ものであることです。 この場合は苗字と姓の区別は明確にすべきでしょう。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2201276 ついこの前あった質問ですが、これが詳しいかな・・・ 基本は「の」がはいるかどうかが見分けるには一番ですね。 姓については、いろいろとあります。有名なのは藤原。元は中臣ですが、天皇家から藤原姓を賜っています。 一般的には源、平、藤(藤原)、橘が代表的な姓となっています(詳しくは参考URLにて)。 基本的に姓を賜った家系の流れを汲んでいる人は全員姓を保有しています(逆に言うと、この流れを汲んでいない、つまり最初から農民だったりする場合は、姓自体を持っていないということになります)。 で、使い分けなのですが、苗字はいわゆる普段着、姓はいわゆる外着と考えればいいでしょうかね・・・ 名乗りや書状、公文書では姓を使います(いわゆる他家とか、そういった、外に対するものですね。もしくは公のもの)。逆に普段は苗字を使うほうが一般であったと考えられます。 なお、どうして姓を多くの武家が持っているのかというのは、 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2192705 これのNo2の私の回答にて。 奥州藤原氏についての質問なのですが、藤原姓をもっている武士が多いのもすべてはこれに書いてある理由が原因です。他の姓についても同様ですが、藤原のように僭称の傾向が強いのは平があります(有名なのは織田信長。彼は平姓を名乗っていますがまったくもって確証はありません)。逆に源姓は案外家系がしっかりしている場合が多いです。武田とか、六角とか・・・ 実質的な質問内容よりもかなり広い回答となってしまいましたが・・・そのあたりはご了承を

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/本姓
ijuinreiko
質問者

お礼

教えて頂いたアドレスも確認しました。 本当に難しい話ですね、歴史は・・・。 姓と名字も同じ感覚で使っていましたし、辞書を引いてもどちらも同じように書かれていました。 辞書でさえ、姓と名字の違いをきちんと書いていないのですね。 私達が今使っているのは姓ではなく、名字なのですね。 「の」がつくかどうかの見分け方で言うと、「の」が付く方が姓、付かない方が名字なのですね。 あと、たくさん教えて頂いた事はまだ半分も理解しきれていない気がします。 歴史の素朴な疑問も、たくさんの歴史の色々を知って初めて理解できるものだと感じました。 その証拠に何度読んでも全て理解しきれないのです。 だからこんなにお返事が遅くなってしまいました・・・。 わかって、それにお礼を書こうと思うのに、なかなか思うように行かず・・・。 しかし、文章をコピーさせていただいたのでいつか理解したいです。 ありがとうございました。

  • tachiuo
  • ベストアンサー率32% (92/279)
回答No.5

古代史に登場する人物を覚えておられるでしょうか。大伴(平安時代に「伴」と改姓)・物部・蘇我・中臣・阿倍・菅原などは姓です。後に源平藤橘(げんぺいとうきつ)が四大姓とされるようになり、系譜が怪しげなものも、これらの姓の者を祖先とする系図を作るようになりました。 次に、四大姓の由来について説明します。 1 源。50人もの子がいた嵯峨天皇が皇室のリストラ策として皇子女に源の姓を与えて臣籍降下させたことに始まります。「源は天皇に発する」という意味で、皇族が臣籍降下して賜る姓の代表的存在です。嵯峨・仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多・醍醐・村上・花山・三条・後三条・順徳・後嵯峨・後深草・亀山・後二条源氏などがあります。そのうち、清和源氏が武士として、村上源氏が公家として栄えます。 2 平。やはり皇族が臣籍降下して賜る姓で、平安京に由来します。桓武・仁明・文徳・光孝平氏などがあります。そのうち、桓武平氏高望流が武士として活躍し(平清盛の系統)、桓武平氏高棟流が公家として活躍します(清盛の妻の系統)。 3 藤原。中臣鎌足が死の直前に藤原姓を賜ったことに始まります。後に、天皇の外戚として摂関の地位を確立します。 4 橘。敏達天皇の子孫である葛城王が橘姓を賜って橘諸兄と名乗りました。この橘は母美千代の姓であり、諸兄は母の姓を継承したとも言えます。四大姓の中ではパッとしない姓で、あまり人気はなく、これを祖先としている家は少ないです。有名なところでは、楠木正成が橘姓を名乗っています。

  • edf
  • ベストアンサー率21% (47/222)
回答No.4

武家の肩書きみたいなものですね。 戦国大名で、全国制覇に近かった人達はたいてい源平などの姓を名乗っていたみたいです。 秀吉は流石に武家の出身ではないので、源平、その他の武家の名門を名乗ることができずに 征夷大将軍にはなれなかったのだそうです。

ijuinreiko
質問者

お礼

ありがとうございました。 秀吉についてはあまりに武家の出身じゃなさ過ぎて簡単に名乗ってしまうことが出来なかったのですね。 それでなれないと言うのも悲しいですね。 今の学歴みたいですね・・・。

  • yambejp
  • ベストアンサー率51% (3827/7415)
回答No.3

というか、源氏っていわゆる清和源氏で 平氏は伊勢平氏ですから、源流がそこっていわれても その時代に生きたすべての家系が滅亡したわけが ないので、もっといくらでもあるでしょう。 家康の源氏ってのもまゆつばですからね。 征夷大将軍となり幕府を起こすために必要な 肩書きで、金をつんで買ったという説も。 所詮家系の本質なんてそんなもんでしょう?

  • jiityan
  • ベストアンサー率17% (5/29)
回答No.2

私の知る範囲では、その前に藤原氏とかいろいろ有ったと思いますけど然し我々庶民は確か明治のご維新までは姓は無かったのでは?確か我が母の家は、石屋と言ってたようですがこれは姓ではなく屋号今でも地方に行けば残ってますよね、大宅をいっから名乗ったかは確認してません江戸の町では何々長屋の誰べえという感じだったのでしょう、でも亡くなった叔父貴の話では江戸の時代の江戸の人口は世界屈指だったそうです、それに人別帖も有ったようですし。そこから削られるとお馴染み無宿人と言う事ですこんな事を考え出したら限が有りませんね

ijuinreiko
質問者

お礼

お返事が遅くなり、、申し訳ありません。 石屋というのは屋号で大宅というの姓ですね? (分かりやすい為に敬称を抜いてすみません) うちもまだ屋号は残っていますし、年のいった人は未だに屋号で呼び合っています。 江戸の人口は凄かったのですね。 昔の事は定かなことばかりでないと聞きますがそれだけ多かったら全てを残す事は無理なんでしょうね・・・。 自分の先祖も全部辿ってみてみたいです。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

家康の場合は徳川は苗字で、姓は源です。 姓(氏)は源、平だけではなくたくさんあります。 たとえば前田は菅原、毛利は大江姓ですが、武士の場合は源、平、藤(原)、橘を称する場合が多いです・ これは、武士の中ではこれらの姓は一種のブランドでしたから江戸時代にもなると実際には先祖が誰だったかわかるような由緒のある家は公家やごく一部の武家を除いてはほとんどなくなっていましたから、関係なくとも勝手に源氏だとか平氏だとか名乗ったものです。

ijuinreiko
質問者

お礼

苗字がブランドとは今では考えられないですね。 今は格好良いな~と思う苗字や、歴史上の人物の苗字などでオオォ~と思う事はあってもそれを真似て変える事は出来ませんものね。 勝手に名乗るというのも昔ならではなんだな・・・と思いました。 ありがとうございました。

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