同席対面五百生について

このQ&Aのポイント
  • 同席対面五百生とは、いまこの世で席を同じくしている人との出会いが、五百回前の前世から決められていたことを意味します。
  • 五百回生まれ変わってやっと実現できた、かけがえのない出会いとも解釈されています。
  • しかし、同じく五百回の人生を共にしたという意味との解釈もあります。
回答を見る
  • ベストアンサー

同席対面五百生

こちらのカテゴリーでいいか迷ったのですが、仏教哲学にも通じていると思いますので質問させていただきます。 以前に、邦画の『ドライブ』を観ていた時に映画の中で “同席対面五百生”なる言葉が出てきたのですが、劇中ではこの言葉は“いまこの世で席を同じくしている人との出会いは、五百回前の前世から決められていたいたことだ”というような意味合いで使われていました。 そのくらい出会いと言うものは縁があって大切なものだというニュアンスは何となくわかったのですが、 あらためてこの言葉の意味を知りたくて検索してみたら “五百回生まれ変わってやっと実現できた、かけがえのない出会い” という意見と “過去生に五百回出会っているほどの縁” という、前者は五百回の人生出会えなかった     後者は五百回の人生を少なくとも共にした と真逆な意見があることが分かりました。 これってどちらの意味が正しいのでしょうか? ご存知の方、ご教授願います。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

どちらの意味も正しいのではないでしょうか。 どちらの言葉も今、現在の出会いを大切にしようという意味でしょう。ですから、言葉を使う本人が、ぴったりくる言葉を選べば良いのであって、自分に合えばどちらの言葉でも良いのです。 言葉は手段であって、目的ではないと思います。ですから、もし、言葉が人間を不幸にするなら、その言葉を捨て去る事を躊躇すべきではないと思います。

mikenyanko
質問者

お礼

確かに、あまり細かい部分にこだわって言葉の本質を忘れてしまっては本末転倒ですもんね。 “現在の出会いを大切にしよう”という大意を大切にしていきたいと思います。 回答して頂き、ありがとうございました。

関連するQ&A

  • オーラの泉で

    オーラの泉で、須藤元気さんが出演した回の番組中の会話のことです。 「この世で一回会った者同士は、前世で500回すでに会ってる。」 との仏教の言葉を引用していました。 その、言葉の正確な内容を教えてください。

  • 酒の席に未成年の同席は悪?

    所属しているスポーツ団体の忘年会を行う際の未成年の同席は悪でしょうか? 去年の忘年会では未成年も同席していました。 もちろん未成年にが呑みたいと言っても呑ませませんし補導される時間になる前に帰らさせています。 喫煙者はエアコン風向き・換気扇場所考慮の上、端に寄せ未成年者は真逆に配置しています。(多少の煙は流れてしまいますが・・・) それでも60歳くらいの方から「未成年者を酒の席に同席させるなんて・・・」と言われました。 30歳手前の僕の感覚では守るべきことをしっかり守れば酒の席に未成年を入れても法律はもとよりモラルの観点から見ても問題ないと思っています。 間違いなのでしょうか? 年に一回くらいは皆で食事をし騒げる場所をと思い所属メンバー皆に声をかけ開催しています。 子持ち夫婦等なかなか普段参加し辛いメンバーとの交流の場所にもなっていますのでこのまま未成年を入れ続けたい思いもあります。 しかし一般的に悪とされるのであればそれはそれで問題ですので止めようと思います。 親御さんから見て悪であれば印象が悪すぎますので・・・ 「問題あり・問題なし」どちらの意見も共に理由を添えて頂けると助かります。 是非とも幅広い年代の方からの意見を聞きたいと思います。 宜しくお願い致します。

  • 仏教の矛盾

    最近仏教の入門編のような本を読みました そこにはブッダがひらいた悟りの内容は「これあれば、かれあり」、「これ滅すれば、かれ滅す」等の「因縁」、つまり「結果には必ず原因がある」というコトだったと書いてありました しかし結婚や出家には説明できる理由はなく、あるのは「縁」だけだとも書いてありました 「ご縁があったから」で済まされるのであれば他のことも「運命だったから」で済まされてしまいます これは過去からのご縁「袖触れ合うも他生の縁」などのように死後の世界から続くものもこの世に影響しているから、「原因はあるけど説明はしきれないんだよ」と、いうことなのでしょうか? でもそれだとしたら「結果には原因がある」と分かった所でどうせ抗えないのなら、心も軽くならないし意味がないのではないのか?と思ってしまいます 仏教はとても素晴らしい教えで屁理屈を言いたいわけではないのでご理解ください もっと理解を深めたい、との心から出た質問です 宜しくおねがいします

  • 古典での「契り」と「縁」

    古文で「契りを結ぶ」という言葉があります。 現代語では(1)行く末まで変わらぬことを互いに約束を取り交わす(2)男女の交わりをし夫婦の縁を結ぶ、と訳されることが普通です。 現代語訳としてはそれで問題ないと思うのですが、色々古典を読むようになって、平安時代などで一般的だった輪廻、因縁、因果応報などの仏教思想からすると、単に「約束」や「交わり」という言葉では説明できないような、もう少し深い(重い)意味を持って使われていたのではないかと思うようになりました。 古語辞典によると 縁:(1)因縁(2)手づる・頼り(3)血縁・夫婦の関係 契り:(1)契約・約束(2)宿縁(前世からの約束)(3)縁・ゆかり・関係(4)男女が会うこと、夫婦の交わり とあります。 「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世の縁がある」という言葉があるように、当時の感覚としては「契りを結ぶ」には、ただの約束や関係にとどまらず、今生でまた会うための/添い遂げるための縁を深めよう、または来世につながる縁(宿縁)をつくろう、という意味(思い)も含んでいたのではないかと思うのです(結ばれない運命にある恋人同士などの場合は特に)。 ただ、国文科出身ではないので専門ではありませんし、裏づけとなるような資料/サイトも見つけられないでいます。 深読みになってしまうのでしょうか?

  • 容姿が悪いのは前世の行いのためか

    この世に生まれてくる人の顔は千差万別ですが、一般的な基準にてらしてやはり美醜があります。 よく、人の顔をいう時に、上の上から下の下などで評価しますね。「俺は中の上だと思ってるよ」などと。 なんだかんだいっても、容姿のいい方が、悪いよりは人生において何かと有利です。特に、恋愛方面では顕著だと思います。私も、昔から不細工といわれてきましたが、案の定、いい歳ですがいまだ素人童貞です。 自分でも「下」に属するなと自覚はしてます。昔は、親を恨んだこともありますが、今は次のような結論に至り、まあしょうがないなと思ってます。特別な経験をしたわけではありませんが、いろんな本や情報、自分の感覚などから得た結果です。なお、この考え方は、霊魂や霊界、輪廻転生といったものの存在を認めることが前提となっています。 *主に前世でハンサムに生まれ、女性にもて、それをいいことに適当に遊んで捨てたりして泣かした結果である。 皆さんご存知でしょうが、仏教の因果応報ですね。上記のことは、霊界関係の有名な本には大体書かれています。前世の記憶は無い(この世に生まれる時に消されるようです)ので、いったい何をしたのかわかりませんが。容姿に限らず、家庭環境など全ての面に現れるらしいけど、ここでは容姿に限定します。 この世の無数の人の顔がみな違い、醜く生まれた人は前世でそれなりの理由があり、現世でそのカルマを償わさせられる(異性にもてない、結果、性の喜びも普通に味わえない=プロにお相手してもらう)ということだと考えてます。私もそうですが。 皆さんは、このことについてどうお考えでしょうか?なお、「顔が悪くても、性格が大事」「そんな無意味なこと考えるな」といった類のご回答はご容赦下さい。質問の趣旨とは論点がずれてますので。

  • 霊視・前世について。

    最近3年ほど付き合った彼と関係を解消しました。原因は彼の心離れです。 でも私の気持ちは変わらず、また彼の方も別れたからってもう会えなくなるのは嫌だということで、連絡を取り合ったり、たまに会ったりもしています。 そんな彼との縁や今後私はどう進んで行ったらいいのか悩んで、今まで4人ほどの霊能者(内1人はアカシックレコ-ドリ-ダ-)に視てもらったことがあります。 その結果は 霊能者A:「彼とは前世で兄弟だったことがある。そんな縁は切っても切れない。変に彼とこうしたいと望まず彼の気持ちを受け止め、今は自分を磨き向上させる時期だと理解しなさい。絶縁しない限りはまた最後に元に戻る」 霊能者B:「彼と生涯を添い遂げることは難しい。彼は自由に空を舞う蝶のようにあなたを好きでいる。ただ二人の縁は割りと長く続くから二人の今の時間を大切にしなさい」 霊能者C:「魂の中に似ている部分はあるが前世・今世ともそこまでの縁が見えない。彼は蝶のように次へ次へと飛んでいく人。友達になるのはあなたが辛いだけ。彼が好きならば彼のために離れてあげなさい」 リ-ダ-:「今世の彼と元に戻る可能性は薄い。ただ前世では夫婦だったことがある。彼は何もしない夫だったけどあなたは彼を愛していて最期に「幸せだった」と死んでいった。そんな愛し方もある」 というものでした。 「蝶」のように自由で落ち着くことがないという意見は重なっています。実際私もそんな印象を持っています。 ただ前世からの深い縁があるかどうかは二分しています。縁はないという人、前世で一緒だったという人・・・ 鑑定結果が全く同じであれば目安とすることができたのですが、今も結局どうしたらいいんだろうという思いがあります。 誰が正しい何が正しいと言えないなら霊視などで前世や縁を鑑定してもらうということは無意味なんでしょうか。

  • 生まれ変わりを信じますか?トラウマと前世

    私は何かの宗教に入っているわけではありませんが、 直感的な、感覚的なもので生まれ変わりを信じています。 誰しもトラウマ的なものがあると思うのですが、 そのトラウマが実際に体験したことではないものの場合 現世ではなく前世に体験したものなのではないかと思うのです。 私はとある事柄に物凄く恐怖を覚えます。 それに関する言葉や、文章を見るだけでも眩暈・吐き気を催し 本当に深い絶望の中に放り出されたような、そんな感覚があり、 そのことが頭から離れなくなります。 最近、生まれ変わりや前世の記憶や生前記憶にすごく興味を持っているのですが、 こういったトラウマは実は前世からのものなのではないかと思うのです。 例えば高所恐怖症の人は高い所が関係する状況で死んだ・殺されたとか、 閉所恐怖症の人は狭い場所で死んだ・殺されたとか、そういったことです。 前世の生まれ変わりに確信を持つ方や また真逆で絶対に無いと確信を持っている方など、 どんな方でも構わないのでよかったら意見を下さい。

  •  皆さんは、恋愛において、よい出会い(縁)があるのを待ちますか?それと

     皆さんは、恋愛において、よい出会い(縁)があるのを待ちますか?それとも、自分から積極的に動いて出会いそのものを見つけますか?  彼女がほしいのですが、前の彼女と別れてからなかなか出会いがありません。来年から社会人の22才です。  僕は男ながら、運命の人みたいのを信じてしまって、やっぱり縁なのかなーと思ってしまいます。  恋愛以外のことに力を入れて縁を待つという手もありますが、一方で彼女がほしい、という矛盾した気持ち。そもそもこのまま縁がなかったらどうしよう、と思ったり。。。  皆さんの意見を聞かせてください。  ※縁を待つ、というのはいい人と出会えるのを待つ、という意味で、自分から積極的に告白やアタックをしない、という意味ではないです。  

  • 占いで言われる 運命の人って?

    占いでよく聞く・言われる、 運命の人ってどうやって分かるんでしょうか? 「運命の人」っていうのは結婚相手だったり、 自分のこれからの人生を変える人であったり、 前世で繋がりのある人だったり、 守護霊様のお導きであったり何でも構わないのですが、 どのような診断結果からそのような「運命の人」ってわかるのでしょうか? 例えば恋愛結婚に全く縁がない人生と診断で出ているのに ある月に異性との出会いがあるとか出たら「運命の人」だ!とかなるのでしょうか? 当たる当たらないという事ではなく、 純粋にどういう診断でそのような表現になるのか気になりまして 質問させて頂きました。 占いなどに詳しい方、どうぞ宜しくお願い致します。

  • マヤ暦 龍族 が関連する宗教はなんでしょう??

    私の身内があるサイトで知り合った方とお会いする予定なのですが、 その方はどうも何か宗教に入っているらしいのですが(その方の日記によると)どこの宗教団体がわかりません,,そして教えてくれません。 日記を読んだだけでは意味不明で私にはさっぱりわかりませんでした。 日記の途中に頻繁に”マヤ暦”、”龍族”などのことばが出ていて、 前世についての文章があるので仏教かな??とも思いましたが、 検索してもわかりませんでした。 そして一ヶ月に二回くらい山に登ったり、参拝をしたりするそうです。どなたが知っている方がいらっしゃたら教えてくれませんか?特に宗教批判をするつもりはありませんが、宗教団体の名前だけでも知りたいところです。できたらどんな教えなのか、教義もしりたいですが、、、 信者さんでないとわからないでしょうかね??