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哲学者や釈迦などの人の主著

私は高校生なんですけどとても現代社会の授業が好きです。ソクラテスや孔子、最澄、道元、釈迦などなど有名な人の教えなどの本が欲しいんですけど高校生の私でも読みやすいいい本とかあったら教えてください。お願いします。

noname#98947
noname#98947

質問者が選んだベストアンサー

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  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.3

まず最初に。 ソクラテスと孔子と釈迦の書いた本は存在しません。 ソクラテスが出てくるのはプラトン(ソクラテスの弟子その1)の書いた本や、クセノフォン(ソクラテスの弟子その2)の書いた本など、また他の哲学者の書いた本の中だけです。孔子の教えをまとめたとされるのが「論語」ですが、これまた孔子の死後に誰かが(誰だかわかりません)まとめたものとされています。釈迦も一応無くなった直後に弟子たちが会議を開いて教えを集め(第一回結集)それを暗唱することになった、といわれていますが、これには異説も多く、その上文書化された(これが死後3~400年ぐらい)もので現存するのは早くて4世紀ぐらいのものです。ついでにいえばイエスも書いたものは何も残ってないし(そもそも何か文書を書いたのか、という点も記録上は全く無し)、ムハンマドもクルアーン(コーラン)を書いたわけではなく(読み書きできなかったようです)、つまり三大宗教はすべてこれらの人々の死後数十年ないし数百年経って文書化されたものです。 ですから、これらの人々の教説というのは、ほんとに本人のものと同じなのか、またその姿を伝える文献についても互いに矛盾もあり、そういう点で真実の姿をつかむのはかなり難しいことのようです。 最澄は完成したものをほとんど残していません。というかまさに「伝教大師」なわけで、中国から天台の教えを移入し、これと密教を統合しようとしつつ果たせなかったといわれています。司馬遼太郎さんにいわせれば、この未完成さが後に多様な発展、鎌倉仏教を生み出すもとになった、といわれています。なのでこれまた代表作といえるものは(少なくとも誰もが認めるものは)ありません。 道元は「正法眼蔵」があります。原典はかなり難しい本です。まあ、禅というものはつまり悟ることがすべてですから、読んでわかった、ということにはならないというのがそもそもの主張ですしね。 といって適切な入門書、というのは難しいです。解説者の主観が入りまくるのが普通ですから・・・・。 まあ清水書院の「人と思想」シリーズは教科書の記述を詳しくしたような感じで悪くない感じです。(偏りが少ない) 宗教方面では学研の「~の本」(たとえば「キリスト教の本」)シリーズが比較的丁寧です。 あとは根性出して原典にあたりましょう。 基本は訳注の沢山あるものを選ぶと良いでしょう。昔の人が書いたので、注を読まないと何だかわからない事が多いですから。昔は岩波文庫しかなかったりしたのですが、今はいくつか出ているものもあるようですが、どれがいいかはちょっとわかりません。

noname#98947
質問者

お礼

わかりやすく丁寧に教えてもらいすごく勉強になりました!!本当にありがとうございました。参考にさせてもらいます!!

その他の回答 (3)

noname#117439
noname#117439
回答No.4

「ソフィーの世界」という本が読み物として面白くこれ一冊でちょっとした哲学通になれます。 大きい本屋さんなら大抵置いています。

回答No.2

図解シリーズがわかりやすいと思います。「図解雑学 哲学」とか。最近はこの本のようにイラストでわかりやすい本がいろいろ出ていますよ。

noname#98947
質問者

お礼

そうなんですかぁ!ありがとうございます。見てみます!

  • kid1412
  • ベストアンサー率18% (34/186)
回答No.1

 老子  日本語訳のついてるのを読めばいいと思います

noname#98947
質問者

お礼

わかりました。ありがとうございました。

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