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大名・旗本の婚姻
noname#113190の回答
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![noname#113190](https://gazo.okwave.jp/okwave/images/contents/av_nophoto_60_5.gif)
大名が娘を嫁がせる場合、自分より若干格下の相手を選ぶ傾向があり、再婚の場合は初婚の相手より格下の相手に嫁がせる傾向があります。 また、幼児の死亡率が高い時代ですから、正室との嫡男が跡を継ぐということも高い確率ではなく、場合によっては両養子ということも少なくないので、正室はたぶんに政略的な意味もあります。 例えば、尾張家では、初代義直の室は浅野幸長の娘、二代光友の室は徳川家光の娘ですが、その後は公家の九条・近衛家出身、田安徳川家出身の方が正室となっていきます。 加賀の前田家では、将軍家、御三家、会津藩、公家の鷹司出身の正室が多く見うけられます。
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