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戦国、江戸期の農民にとって領主(大名)とは

noribou11の回答

  • noribou11
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回答No.6

別に搾取や報酬というの言葉は歴史的概念ではなく 用語として用いたのであって言葉の定義を問われると 正直、困ってしまいますね。 誤解かもしれませんが、一応、補足いたします。 搾取、報酬にしろ、私は現代人が持っている言葉の感性として用いています。 あくまで現代人に例えるならば報酬といった感覚であり、当時の領民が 労働の対価として農作物を報酬と考えていたということを説明している わけではありません。搾取に関しても経済学とは関係なく一般的な現代人が 封建社会を連想する言葉の感覚です。文中でも「搾取という印象」 「報酬という感覚」「報酬といった考え方」など、現代に例えて説明している だけです。イルカの曲芸と報酬は労働と報酬の単純な説明として 多くの方が理解できると思います。そのときに「イルカは水族館の所有物であり 雇用関係ではない、したがって報酬という言葉は妥当ではない」と言う方は あまり多くないと思いますが。 私も研究者のはしくれですから、言葉の定義の重要性は理解しています。 もしこの質問が経済学、社会学の学術議論であれば御指摘はもっともだと 思いますが、ここでは大目に見ていただきたいですね。 このサイトで議論めいたことを書くと削除の対象となっていますが この手のことは対論があったほうが意味が深まるし、なにより回答した本人が 面白いので対論を展開します(densetuさんゴメンナサイ) 領主というといかにも殿様のような感覚ですが、実際に領地を拝領していたのは その家臣団であります。私の御先祖の惣村も正式には尾張藩であり徳川家の領地に なります。しかし、領主としてはその家老職である千村家となります。 もっとも、千村家とて間接的な存在であり多くの村人にとっては名主が直接の 指導者ということになります。つまり、当時の領民にとって領主とは漠然とした 存在にしかすぎないということです。戸籍とて領主が必要としなかったのではなく キリシタンの廃絶のために幕府の命令で寺院に管理させていただけです。 領主にとって必要だったのは生産量にしかすぎません。頭数を必要としていたのは 地請をしていた名主です。領主から見れば何戸で耕しているかなど、 どうでもいいのです。ようは検地の規準通りの石高さえ納められればいいのです。 雇用関係云々は別として感覚としてみればメーカーの社長と現地工場の従業員の ようなものです。所有物というより「そこで働いている人」としか思って なかったと思いますよ。 公式には移住することは禁じられていましたが、実際には厳しい取締があるという わけでもありません。理由としては、そもそも農民が移住するなんて滅多には ないことですね。飢饉などで緊急な場合を除いては出ていく必要がなかったん でしょうね。でも、たまには移住もあります。 私の御先祖の惣村は飛地でしたので隣村は他国、苗木藩になります。 近親交配は良くないことを経験で知っているため嫁入りに限らずなんらかの交流を 行っていました。町人でなくても伊勢参りだってしていましたしね。 もっとも弥次喜多のように個人的ではなくて村の代表としてですけど。 酒や茶にしても同様です。公的には禁じられていてもなんだかんだのイベントで 飲んでいましたしね。今の道路交通法のようなもので、目立ち過ぎる違反でも しない限り取り締まるほどでもないという感じなのでしょう。 もちろん、領地と領民はセットであり、形式的には領民は領主の所有物かも しれません。しかしながら、双方とも粛々と己の仕事をこなしていただけの ことであり、特に仲良くされることもなければ理不尽な要求も気にするほどではなく 所有物いう表現はちょっと大袈裟かもしれませんね。武家が持つ賤民と 惣村に属する村人は別物であり、惣村にはかなりの自治権を与えていますしね。 まあ、前回の文頭で述べてあるとうり、人によってさまざまなんでしょうが この手の問題は具体例で説明した方が面白いということで、あくまでも 一地方の話しです。もっとも、いまだに一族衆には家督を持った ものしか参加できない説法会に古書が存在し、なにかしらの伝承があるので 裏話があるかもしれません。こればっかりは長男といえど秘密にされるので 当代になってみなけりゃわかりませんがね。

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