• ベストアンサー

戦国、江戸期の農民にとって領主(大名)とは

takaiの回答

  • takai
  • ベストアンサー率51% (36/70)
回答No.3

きっといろいろなケースがあると思いますよ。 領主といっても、その地方出身の豪族が出世して大名になってしまった場合と、縁もゆかりもない地方の大名がお国替えでやってきた場合とでは領民の忠誠度が全然ちがうでしょう。 また天領の領民は一般的に年貢の税率が低く、幕府直属の領民としての誇りを持っていたということです。 時代劇に登場するような悪代官は実際にはあまりいなかったらしいですが、年貢以外のさまざまな課税を押し付けてくる領主もいました。独自の紙幣を発行して領民には金銀のかわりにそれで支払うという制度もよくみられます。 名君とたたえられるような領主の政策としては治水・交通網整備・産業の育成・教育の普及・治安維持・文化の育成などがあげられるでしょう。 忠臣蔵の悪役、吉良の領地は三河の幡豆というところです。上野介は製塩業を奨励した名君でした。幡豆では先日、彼の三百回忌が営まれたそうで、領民の領主に対する思いがうかがわれます。 戦国時代には当然各地に地方ルールがあり、歴史学の用語では「分国法」と呼ばれています。

densetu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 吉良上野介が領民に慕われていた話は聞いた事があります。実際は忠臣蔵で描かれているような悪人でなく、好人物だったんでしょうね。  ところで封地変えでやって来た新領主に対して、領民たちはどんな心境だったんでしょうねぇ。

関連するQ&A

  • 戦国時代の奉行(大名?)

    歴史の本や歴史小説を読んでいると、徳川江戸幕府ができる前、波乱万丈の戦国時代の真っ只中でも、奉行(大名)が登場してきます。(城を持たない人) 彼らは自分のオヤカタ(信長、秀吉、家康など)に仕え、手柄をあげて土地を増やしてきました。 彼らはその与えられた土地、つまりそこにいる農民や収穫物など支配できる反面、土地を治めなければならないのですが、 (1)その支配下の土地で農民同士がいざござを起こした場合、農民は誰にどういう手順で訴えるのか? (2)江戸時代とは違い、その中で、彼らは年貢を自由に決められたのか? (3)戦国時代のまっただ中で一揆などのようなものはなかったのか? あったら誰が鎮圧していたのか。 を教えてください。

  • 戦国大名の収入源は?

     タイトルの通り、戦国大名の収入源がはっきりと分からないです。領内に金山や銀山を持っているものはそれを貨幣にして流通したと思うのですが、それがないものはどの様にして税収を確保したのでしょうか?楽市楽座とか書かれていますが、そこで商いをしているものから税金を徴収していたのでしょうか?さらに言えばどれ位の税率だったのでしょうか?或いは米を年貢として納めさせてお金に換えていたのでしょうか?江戸時代にはその様な方法でお金を得ていたと記述がされていますが戦国時代はどうだったのか記述されているものを見つける事が出来ません。分かる方是非、御教授を!

  • 江戸時代の領主

    江戸時代の和泉・河内の領主が村単位で調べられるサイトや本を探しています。 上記国内でも藩主などは簡単に分かるのですが、旗本や小大名の飛び地などが分からないので調べたいと思っています。 ご存知の方があれば教えてください。

  • 国司、荘園領主、守護、地頭が農民に要求するモノについて

     東京書籍の「新編 新しい社会 歴史」(中学校の教科書)、山川出版社の「改訂版 新詳説 日本史」、「日本史B用語集」等で、日本史を勉強している社会人です。 国司、荘園領主、守護、地頭が農民に要求するモノについて、混乱しています。 ・国司…奈良時代から。朝廷が、地方の国に貴族を派遣。 ・荘園領主…奈良時代の墾田永年私財法から。 ・守護…頼朝の時代から。幕府が、国ごとに警察として派遣。御家人に、領地とともに与えられる地位でもある。 ・地頭…頼朝の時代から。幕府が、荘園・公領ごとに年貢の取り立て役として派遣。御家人に、領地とともに与えられる地位でもある。 という原則は、理解できました。(間違っていたら、指摘してくだされば幸いです。)  室町時代になると、守護大名が国司の権力を吸収するようなので、話は少し簡単になると思うのですが、鎌倉時代における、これら4者の役割・権限分担がよくわかりません。(「領主に年貢を納める」、「地頭が兵役を課す」という記載が中学校の教科書にはあり、ますます混乱しています。) これら4者が農民に要求するモノ、朝廷や幕府への年貢の流れ等、ご教示くだされば幸いです。

  • 戦国大名の国力(石高)について

    江戸時代の大名については、例えば加賀百万石というふうに石高(表高・実高)によって国力の目安がわかりますよね。ですが、これが太閤検地以前の戦国大名のとなると、全然わかりません。 戦国大名について、あえてその国力を石高で示した資料なりWebサイトをご存知の方がおりましたら、どうかお教え下さい。m(_ _)m

  • なぜ、大昔は農民でも米なのにその後は違うのですか?

     教科書の情報でいくと  古墳時代や飛鳥時代の頃の農民は、玄米を食べていたとありますが  その後、戦国とか江戸になると  農民は年貢で苦しいので、あわ・ひえを食べていたとありますが  なぜ、昔は農民でも米が食べれたのでしょうか?  逆にあわ・ひえが貴重だった?  

  • 大名について

    常識的なことだったら恥ずかしいのですが 質問させてください。 江戸時代に農民は将軍が偉い又は天皇もいる ということを知っていたのでしょうか? 地域の大名が農民を支配して大名を将軍家が 支配しているという図式はわかるのですが 大名からしてみれば農民に自分たちが一番 偉いと思わせたいじゃないですか 将軍家は将軍が一番偉いということを 徹底して広めていたのでしょうか? それと昔話などに出てくる殿様というのは すべて大名のことなのですか? 大名の下に殿様がいるのでしょうか? どうか教えてください。

  • 江戸時代の農民は本当に貧しかったの?

    江戸時代の農民の年貢は、よく言われるので五公五民。また、農民の割合は人口全体の約9割といわれています。お米で考えると、国に収めたお米の8割は、何らかの手段で、農民が回収していたと考えています。 生活するためには、米だけでは生きていけないので、何らかの現金収入か、交換できるだけの物を生産していたことになると思います。    そこで思うんですが、普通にお米を作るより副職の方が割が良かったら、割の良い副職が中心になりそうなんですが、そうでもない。  すると、米の生産量をごまかすなり、相応のうまみがあったように思えます。もしかすると収入が決まっている下級武士よりよほど裕福だったのでは?疑問に思っています。  詳しい方、誰か教えてください。前提条件がおかしければ指摘ください。

  • 武士と農民の違い(江戸時代)

    歴史の授業で疑問に思ったことを質問します。 江戸時代の武士と農民の違いは何なんでしょうか。 武士は武器を持っていて、農民は持っていない。 農民は農業を営み、年貢を納め、武士は年貢を納められる側。 このぐらいしか分かりません。(↑も合っているか不安です・・・。) それから、この二つの身分はどこでわかれたのでしょうか。 秀吉のときの兵農分離でですか。 それでは兵農分離のとき、その前に定められた制度(名前は忘れましたが、確か自分の耕している土地は自分の物になる、というようなものだったような気がします。)によって、土地を持っていた人が農民(百姓)で、その前に支配していた人が武士なのでしょうか。 長々とすみませんでした。

  • 昔、農民が農具を国からレンタルする法がありませんでしたっけ?

    昔々、戦国時代あたり昔、国か領主が農民から農具をとりあげて、「畑を耕したければ税金を払え」みたいのありませんでしたっけ? その法律の名前、できればその法律は理にかなったものだったのか、もしご存じでしたら教えて下さい。 無茶な法律だなと思うので…ひょっとしたら私の記憶違いかも…。