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「欺瞞」の意味と用法
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お礼
hakoburuさん回答ありがとうございます。本当久しぶりです♪。回答を貰うのって嬉しいのですが、hakoburuさんに「OHISAでした」なんて!こんなアホに気さくに声をかけてもらえたことが嬉しいです。 hakoburuさんは熟女だと思い込んでました。回答をこっそり覗かせていたのですが、私の人生で繊細で物腰が柔らかい男性に会ったことがなかったもので、以外でしたね~。 それでも(?)流石! >「必然的欺瞞」は保身とか防御というのは非常に分かりやすいですね。 >「意図的欺瞞」は臆病のところで少し考えさせられました。今時間がとれないので後で補足にいれられたら入れます。 いやしかし、最初からそういってくれれば話が早いものを、「欺瞞」という漢字の発祥も不思議です。どうしてこんな言葉を作ってみんな使うのでしょうね。 私は暢気(面倒臭がり)であったり、勇気(無謀)はあるようで、それが全然美点とも思えない(役に立ったことがない)ので、出来るものなら欺瞞でもしなきゃと!計算高く、計画性や几帳面になれることが人生の課題です。 >他者を欺くことによって自己保身を図ったつもりが、全くの逆効果になるという可能性も案外高い 深い!深い哲学です。欺かない、裁かないことによって逆の効果もあることもあれば一番いいですよね。 それでは~
補足
自分なりに「意図的欺瞞」を考えているのですが、「誇れる確信を持てないのにはったりを言う、信じようとする」ってことになるかなと思っています。それが多いような私、ありり(苦笑)。 検索したり普遍的意図を探してみたのですが、「欺瞞」と「偽善」が似ているよう。 偽善の定義もひとそれぞれに解釈がありそうです。出来る能力のある人の足を挫かせ、欲望の目を摘んで(去勢されて)惰性を与えてしまうことではないかと私は思います。 お節介が過ぎると子供の自立自尊心が育たなくなってしまったり、かといって近い関係でありながら精神的な敵対関係にしてしまったり。「悪」は「善」の衣を好むもの。で、 「悪」の定義は? 一番「邪悪」な人間とは「自分に」嘘をつき続ける。自覚が足りない、無知と無邪気を取り違えることに危険がある?周りも!なんて今のところの設定ではなってます。 偽善も欺瞞も無縁では生きていけなさそうですよね。だって自覚すればするほど、「やってもうてる」んですもの。