• ベストアンサー

イエスキリスト様は実在の人物だったのでしょうか

イエスキリスト様は実在の人物だったのでしょうか。過去に何人かの知り合いに訊いたりしましたが、意見が分かれるだけでわかりません。このカテゴリーでしたら、専門家の方も拝見して下さると思いましたので質問させて頂きました。

  • 歴史
  • 回答数6
  • ありがとう数20

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hhituji
  • ベストアンサー率30% (15/49)
回答No.6

saba1973さん。私は専門家ではありません。あなたと同じく、真実が知りたくて調べ続けた者です。(ちなみに私はクリスチャンです。) あなたが知りたいような事柄の答えは、全てリー・ストロベル氏の「ナザレのイエスは神の子か?」(原題case for christ)で、探すことができます。彼は、元法廷ジャーナリストであり、検証の論理性、緻密さは、専門家の批判にさらしてもまったく問題ないものです。ぜひ読んでみてください。

saba1973
質問者

お礼

hhitujiさん。早速のお返事をありがとうございます。真実を知りたくて調べ続ける・・・素敵なことですね。私もこれから色々と読んでいこうと思います!これからもこのカテゴリーで質問させて頂くと思います。またよろしくお願いします。さて、お薦めの本ですが今から書店へ行って探してきます。重ね重ねありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • hhituji
  • ベストアンサー率30% (15/49)
回答No.5

考古学的な結論を言えば、キリストは実在の人物です。このことは、この分野の学術的研究者の間では、もはや疑いの対象でさえありません。キリスト教そのものに懐疑的な研究者であっても、キリストの存在自体はもはや議論の対象でさえなく、明白に認められています。 いろいろな人がすでにあげていますが、証拠として、2、3の面から指摘し、そのことに対する研究者の認識を挙げておきます。 (1)福音書の起源と正確さ  福音書は、まだ、キリストを目撃したひとが、大勢生きているときに書き始められてことがすでに確認されています。たとえば、使徒行伝を読むと、パウロの物語が唐突に終了してしまいます。これは、パウロが、ローマに自宅軟禁されていて、処刑されたことを示唆しています。処刑の場面が記述されていないことを考えると、使徒行伝はパウロの処刑以前に書かれはじめたことが推定されます。さらに、使徒行伝というのは2部構成になっており、その第一部がルカによる福音書です。ということは、ルカが引用しているマルコによる福音書はそれより起源が古いことがわかります。仮に、各書物間の年代差が1年だとしても、マルコの福音書は死後20数年以内に書かれたことになります。実際は早いでしょう。この時代に、存在もしない架空の人物をでっちあげたら、そのことに反対する歴史文書や、社会運動の記録が必ず残るはずです。それがないということは、架空の人物ではないのです。 (2)福音書以外の文献 よく、引用されるのが、ヨセフスの著述です。ヨセフスが実際のキリストを見たことがないから、キリストの存在を疑う意見をこの質問の回答でたまに見ますが、考古学的にみればまったくナンセンスです。ヨセフスが著述したということは、キリストが社会で一大ムーブメントになっていたということであり、多くの民衆が、キリストの存在の証人だということです。また、その他にも、ユダヤ教の聖典のタルムードを忘れてはいけません。彼らは、キリスト教を激しく嫌い、迫害しましたが、キリストそのものについては存在するものとして、著述しています。(それどころか、キリストのおこした数々の奇跡についても否定していません) (3)他の考古学文献との比較 このように、死後間もない時期に、記録が残され、しかも複数の証言が存在するという人物は、実は歴史上そう多くはいません。たとえば、アレキサンダー大王の記録などは、死後500年近く経ったものしか現存していません。それでも、歴史家は、アレキサンダーの存在を疑う人はありませんし、その業績についても大筋でほぼ正確だと考えられています。それは、口承文学の貢献もあるのですが、500年の間に歴史がほぼ忠実に伝えられるという経験律に基づいているのです。それでは、キリストはどうでしょうか?他の歴史人物とは比べ物にならないほど多くの証拠が残されているのです。 キリストの証拠についてはまだまだ挙げればきりがないし、反論についても一つ一つ書きたいところですが、今回はこの程度でにしておきます。

saba1973
質問者

お礼

ありがとうございます。と同時に恐縮です。この様な質問をした事を恥ずかしく思います。まったく無知なもので・・・。専門家の方なのでしょうね。私はまったくの素人ですがとてもこの件に関して惹きつけられます。ですがあまりにも難しくて・・・。NO3さんが推薦して下さった本の他に、何か素人でも理解しやすい本をhhitujiも薦めて下さいますか。またの御助言、待っています。

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.4

確かにローマ側の記録はないし、70年のエルサレム破壊によってあったとしても散逸してるので確証はありませんが。 あれだけの人物をでっちあげる、っていうのもちょっとあり得ないように思います。 この時代の文書は神秘がそのまま存在していたような書き振りになるのが普通ですから、事跡そのものはあまりあてにはなりませんが、かといって主役そのものをでっち上げた、というのもちょっと考えにくいことです。 ということで恐らくイエス(というのは後世の読みで、当時の発音だとヨシュアに近い)という人物そのものはいた、という説の方が有力です。 福音書については最初のものがマルコで、書かれたのは遅くとも70年、早ければ40年代末の可能性もあるが、まあこれで死後20~40年ぐらい。 あとの3つは明らかにマルコより後なので70~90年の間あたり。マルコを改訂しているので少なくともマルコ以外の伝承資料があったようだ、ということはわかっています。 パウロの手紙が50年以降。これもイエス死後20~30年、といったところなので、いかに伝説の人物、とはいえ、生きていた時代の記憶もある人々を前に、その人の実在そのものをでっちあげるってのはちょっと無理があるように思います。もっともパウロはイエスには会ってませんがマルコは少なくとも「使徒」の生きていた時代に書いていますから。 なおイエス・キリストというのはキリスト(救世主)であるイエス、という意味でキリスト教独自の言い方です。(間違っても名前の一部じゃないです)ですから、キリスト教信者以外、特にほかの宗教の信者にとってはキリストではありません(そう呼んだら自己矛盾してますね)。 なお、じゃあ実際のイエスはどういう人物でどういうことをしたのか、という点をめぐっては例えば 田川建三「イエスという男」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4878936819/249-7932277-6597123 がすぐれた研究書です。

saba1973
質問者

お礼

ありがとうございます!そして御礼が本当に遅くなって申し訳ありません。私が知らない事まででてきて恐縮です^^;単なる興味だけで質問させて頂いたのですが、こんなに丁寧に教えて下さってとても嬉しいです。お薦めの本を早速、買って読んでみようと思います。これからもお願いします。本当にありがとうございました。

  • 2199
  • ベストアンサー率14% (74/525)
回答No.3

 福音書を除きイエスはおろか十二使徒の実在を示す同時代の記録はありません。福音書の成立についてはNo.2さんのおっしゃるとおりです。  福音書に書かれている通りの人物ではないにしてもイエスのような人はいたとは思いますが実証できないというところでしょう。

saba1973
質問者

お礼

ありがとうございます。うーん。とても興味をそそられるところですね。本当に謎です。なぜその様なものが書かれる事になったのか、調べる余地がありそうですね。ありがとうございました。そして御礼が遅くなってすみませんでした。

  • rarike
  • ベストアンサー率27% (9/33)
回答No.2

実在の人物であることはほぼ間違いないようです。 しかし、福音書については、イエスの死後50年から100年位たってから、当時の伝わっていた内容をもとに作られたものですので、各福音書毎に事実関係の記述にさまざまな矛盾点があります。 また、当時の政治状況や宗教状況から、いろいろ作成意図が存在していたようで、成立状況はかなり複雑なようです。 キリスト教は、キリストという実在の人物の言動を基に後の人が宗教上の意図をもって作り上げた宗教といえると思います。

saba1973
質問者

お礼

ありがとうございます。お返事が遅くなってすみません。お正月でバタバタしていて・・・。幼い頃から気になっていた事です。が、根拠を元に教えて下さる方は中々いらっしゃらなくて・・・。当時も色々しがらみがあったという事ですね?まだまだ興味をそそられる問題です。専門家の方なのでしょうか?どうもありがとうございました!

  • silk123
  • ベストアンサー率27% (68/251)
回答No.1

>過去に何人かの知り合いに訊いたりしましたが、意見が分かれるだけでわかりません。 ここでも同じだと思いますよ。(^^; >このカテゴリーでしたら、専門家の方も拝見して下さると思いましたので質問させて頂きました。 専門家とは神父さんとか牧師さんでしょうか?それとも歴史学者、宗教学者とかでしょうか?いずれにしても回答者が本当にその様な人かどうか証明できませんので、念頭におかれて下さい。

関連するQ&A

  • イエス・キリスト

    イエス・キリスト イエスはマリアから産まれたとよく聞きますが、神であるマリアから産まれたとしたら、イエスは実在していたからマリアも実在していたという事になりますよね。 そうなんですか? それともイエスはマリアからなんて産まれていなかったけど、そういう事にしていたんですか? 気のせいかもしれませんが、そのほかにも神が実在していた人物と実際に関係していたものがあった気がするのですが、 それは絵画とかでそう描かれているだけなんですか? すごく初歩的な質問ですみません; 古代の神と実在人物がごちゃごちゃになってしまって・・・

  • キリストは実在なの?

    質問です イエスキリストは実在の人物なのでしょうか? だとしたら、奇跡を起こしたのも事実なの? それとも、それは脚色? 事実なら奇跡が起こることがありえるのですか?いくらなんでもそれは信じることができません。 前テレビで、おなかからでっかいハリを取り出すというものがありましたが(最中は撮影禁止)、最近「おなかからじゃない」というのを聞きました。当たり前ですけどね。あるわけないじゃないですか、ケンカの末釘とかハリを飲み込んだ話ならまた別ですが。 一番知りたいのは、キリストは実在の人物なのか?です なんでそんなに有名なのか。

  • キリストは実在した人物だと思いますか?

    今となってはよく分かりませんね。 クリスマスはキリスト降誕祭とされていますが、 現在浸透している西暦も、 キリストが生まれた年を基準に作られたものの、 後から紀元前4年生まれだったと判明したそうな。 あなたはキリストは本当に実在した人物だと思いますか? それとも実在した複数の人物を合成して作られた 半分は人工的な人物像だと思いますか? はたまた完全な合成人物だと思いますか?

  • イエス・キリストは実在した?

    ずばり、キリストは実在したのですか? 歴史の年表ではキリスト誕生の年が載っていますが、本当に実在したのでしょうか? 信者の方は実在を信じているかもしれませんが、一般的にはどのように捉えられているのでしょうか?

  • 三人の東方の博士は実在の人物ですか?

    聖書に三人の東方の博士がイエス・キリストの生誕をを祝福したとあります。 この三人の人物について詳しく知らないのですが、 実在の人物なのでしょうか? どこの国の人で何民族の人でしょうか。 また、どうして三人なのか、どうしてキリストの誕生を知ったのか、どうしてその後のキリストに関わらなかったのか? とても神秘的です。 ご存知の方教えてください。

  • キリストは実在人物ですか?

    子供の頃から無神論者でした。 絵本やら紙芝居でキリストの話を見聞した時、神話だと思っていました。うまく表現できませんが「まんが日本昔ばなし」みたいに。 ところが中学生になり「キリストの生まれた年を基準に紀元前・紀元後に分けている」みたいなことを習い、「実在人物なの?」と思いました。今現在も信じていません。 死後の復活とか、湖の上を歩いたとか、マリヤが処女で受胎したとか、多少着色した逸話としても信じ難く、なぜあんなに世界中に広まっているのかわかりません。 自分自身で宗教に関する本も読んでみました。しかし信ずるまでには至りませんでした。教会に行ってお話しを聞こうかと思いましたが、私の質問が水掛け論になると思い、やめました。 キリストはやはり実在しましたか? ※最後に・・・これは別にクリスチャンの方々を侮蔑しているわけでなく、私自身が信じていないだけです。信じている人をとやかく言うつもりはありません。みなさんは何を根拠にキリストの実在を信じているのかなあと思いまして。

  • キリスト空海は実在の人物ですか?

    キリストや空海は、本当に実在した人物なのでしょうか? それとも、後世の人々が架空の話を仕立て上げた物なのでしょうか? 私は、実在が良くて、架空が悪いと言う価値基準を持っていません。 人間には、架空のものをさも実在の事として たしなむ知的な側面があるものだと思うとります。 よろしくお願いします。

  • イエスとは人間存在として実在していた。その2

    イエスとは人間存在として実在していた。その2 その1は下記 https://okwave.jp/qa/q10242245.html ーーーーーーーーーーーーーー イエスとは人間存在として実在していた。 イエスという人物の伝承を謎解きすると、イエスというのは史実として実在したことを示唆する論考も可能だ。 イエスを信じる宗教は、イエスが実在した人物なのか、明白な答えを出していない。 信じることですがっている。 イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教徒だと伝承は認めている。 イエスはキリスト教徒ではないのだ。 イエスの生きた時代のユダヤ人は奴隷だった。 イエスは聖職者として卓越していた。 奴隷のユダヤ人に信仰心を授けた。 現代でも信仰心の忠実な人を人間であると認めることは誰もが了解可能だろう。多少の異論は挟まるかもしれないが些細なことだ。 奴隷階級のユダヤ人を人間だと認めさせるイエスの行いは、「奴隷解放運動」「人権運動」これと似ていた。 そしてローマの治世には悪影響を及ぼす。 イエスは国家反逆罪で処刑。 名目は、残っている伝承だと、古代王の末裔を名乗ったことにされている。 誠実なローマの提督はユダヤ人の訴えで偽物の救世主を処罰したことになっている。 そうした言及が書物に記載されたのは、イエスの処刑からかなり後で、当時を知る者は一人もいなかった。 行政には犯罪者に恩赦を与える権限がある。 ローマは過去に功労が大きかった提督を恩赦する意図で、提督の不手際をユダヤ民族の不手際にすり替えた。 この巧妙な手口では、ユダヤの人として生きて、ユダヤの救済を生涯にしたイエスをわからなくさせる効果がある。 ユダヤ人がイエスを殺したというイエスの意図の真逆を演出する事なのだ。 イエスの後世に成立したキリスト教はイエスの生涯を蹂躙する取引でローマで地位を獲得した。 したがってキリスト教徒とは、イエスを理解してはいけない信仰心に収まった。 イエスの事は彼らにはわからない。 新約聖書編纂前の原始キリスト教の成立はおそらくはこう。 人が人らしく生きる事すらも、無下に蹂躙したイエスの処刑は、古代ローマとその周辺をローマの横暴として震撼させた。 そしてイエスを英雄のように祭る素朴な畏敬から、イエスの故事はユダヤ教徒以外に拡散していく。もしもそうした現象が無ければ、イエスの処刑は単なるユダヤ人弾圧だ。 そうした集団のイエスの意志の継承は「奴隷解放」「信仰心に守られた人間の謳歌」そして「反ローマ」だ。 ユダヤ人を離れて、広域の各部族社会に拡散したイエスの志は、改めて意思統一するために唯一神の概念を必要とする。 反ローマや革命的な意図のある反社会的な集団だから当然弾圧を受けるし、結束が強い半面で排他的だ。 そして治安維持対策をしたいローマの思惑と地位安定を図りたい原始キリスト教の思惑が一致して、編纂されたのが新約聖書。 それはイエスに背を向ける契約書だ。それ以降は言わば、新約キリスト教だろう。 私は単に考察してみただけだけども、イエスの処刑されたいきさつにねじれがあるという前提でそこを組み立てなおすと、人として生きたイエスの人生と、その功績というのが浮き彫りになるからだ。 キリストというのは、今のところ彼らに安寧をもたらすように寡作した、パウロキリストでないか? 私の論考は、イエスがキリストだという前提をいったん外して彼の人生を浮き彫りにしようとする検証だ。 キリスト否定と言われて、趣旨説明に聞く耳を持たない事だろう。 私は考えるんだ、彼らば集い祈る教会で、「我々の元にイエスを返してくれ」そういえばいい。 そして、イエスが彼らの元に戻ったならば、イエスはキリストだと、私も(自分の信仰ではないが)称賛しよう。 イエスが唯一のキリストで、これからキリストになるのだ。 古文書にイエスの姿からは彼を見る者は、彼の姿の背後に神の存在を感じ、成したことに他に多くの人を彼が生きたというだけで救いもしたのだろう。 それは了解している、だから偉大な人物だと承知しているよ。 ------------------ ここまでが個人研究の取りまとめ。 社交的な場では、政治と宗教の話はご法度という慣例があって、哲学の学問カテゴリーはそのど真ん中だから、投稿する時は原則的に喧嘩を売る姿勢なんだよ。 その方が円滑なんだ。 それで、過去の喧嘩腰よりも、だいぶマシな論説を暫定的に組み立てています。 その1で、論説の甘さが多数指摘されました。 まあいいんだよ。浅学な私なりにパズルを解こうとしたんだ。 そして、現時点の完成度で思うところもあるのです。 特に「イエスが唯一のキリストで、これからキリストになるのだ。」これは、キリストの再臨という予言めいた示唆と符合可能で、パウロキリストの陰謀で2000年間の新約キリスト教は迷走し、結局はイエスだけがキリストなのだと、さらに深くかみしめるヒントになるだろう。予言としてつじつまも合うのだ。 単なる親切心で、彼らの内部からは出てこない助言をしているんだよ。 私はキリスト教徒でないから、改革をしようとしないし、布教もしない、教祖になりたくない。 そういう趣旨で遊ぶ「おもしろ娯楽読み物」なのですよ。 すぐさま喧嘩になるとも思いましたが、キリスト教徒というのは、むしろこの娯楽でうわさ話に花盛りになる傾向があり、実は大好物なのではないか? そのように思いなおしました。 それで、その2で現時点の取りまとめをして仕切り直ししています。 喧嘩腰は学問カテゴリーの特徴なので、上品な解答だけしてくださいとか、そこいらのヘタレみたいなことは言いませんよ。 この先にも、個人的に思案を続けたいので、新着ネタになんでもいいから助言してください。

  • イエスとは人間存在として実在していた。

    イエスとは人間存在として実在していた。 イエスという人物の伝承を謎解きすると、イエスというのは史実として実在したことを示唆する論考も可能だ。 イエスを信じる宗教は、イエスが実在した人物なのか、明白な答えを出していない。 信じることですがっている。 イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教徒だと伝承は認めている。 イエスはキリスト教徒ではないのだ。 イエスの生きた時代のユダヤ人は奴隷だった。 イエスは聖職者として卓越していた。 奴隷のユダヤ人に信仰心を授けた。 現代でも信仰心の忠実な人を人間であると認めることは誰もが了解可能だろう。多少の異論は挟まるかもしれないが些細なことだ。 奴隷階級のユダヤ人を人間だと認めさせるイエスの行いは、「奴隷解放運動」「人権運動」これと似ていた。 そしてローマの治世には悪影響を及ぼす。 イエスは国家反逆罪で処刑。 名目は、残っている伝承だと、古代王の末裔を名乗ったことにされている。 誠実なローマの提督はユダヤ人の訴えで偽物の救世主を処罰したことになっている。 そうした言及が書物に記載されたのは、イエスの処刑からかなり後で、当時を知る者は一人もいなかった。 行政には犯罪者に恩赦を与える権限がある。 ローマは過去に功労が大きかった提督を恩赦する意図で、提督の不手際をユダヤ民族の不手際にすり替えた。 この巧妙な手口では、ユダヤの人として生きて、ユダヤの救済を生涯にしたイエスをわからなくさせる効果がある。 ユダヤ人がイエスを殺したというイエスの意図の真逆を演出する事なのだ。 イエスの後世に成立したキリスト教はイエスの生涯を蹂躙する取引でローマで地位を獲得した。 したがってキリスト教徒とは、イエスを理解してはいけない信仰心に収まった。 イエスの事は彼らにはわからない。 しかし、冷静な私の史実と符合しうるこの論説はいかに評価できますか。 哲学研究なので、助言を募集する質問です。 皮肉ですよね。イエスを認めるためには彼らには信仰心が必要だ。

  • イエス・キリストについて

    キリスト教徒の方にお聞きします。 昔、「キリスト教徒はイエス・キリストを崇拝しているわけではありません。キリスト教徒が崇拝しているのは、天におられる主です」、と聞いたことがありますが、そもそも「天におられる主」とはだれのことなのですか? また、イエス・キリストは、キリスト教ではどのような位置づけなのでしょうか? キリスト教に対して無知な質問ですが、ご回答をよろしくお願いします。