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喫完 飯!

文法書に「結果補語の否定は「没」を使う。「不」を使うときは、さらに文が続くニュアンスとなり仮定文の否定(・・しないならば、・・)となる。」という記述がありました。 (1)文例が載っていないので、具体的にどういう表現の場合なのかが分かりません。文例を教えて頂ければ。 まだ・・・し終わっていないならば、・・」という仮定文の否定であれば、「没」を使うような気がします。文例を教えて頂ければ。 (2)また、「喫完 飯」の場合で、「不」を使う仮定文の否定のは、どう考えても、「まだ、・・・しないならば、」という「没」での否定しか思いつきません。、「喫完 飯」の場合に、「不」の文例とは具体的にどんなものになるんでしょうか?

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  • cubics
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回答No.2

最初に書かれた「ニュアンス」については疑問ですが、没と不の違いは、No.1 さんや参考書類に書かれているように、「まだ~ない」なのか「~しない」なのかの違いですね。 考えられるのは、ジャンボ餃子を食べ切れたら、無料にします、というお店で、食べ切れなかったら、お代は頂きます、というような場合でしょうか。(笑) 結果補語の否定ということでは、結果が出ることが前提ですので、そうでなければ「まだ」ということになります。 一方、そういう結果になることを拒絶したり、否定するような場合には、もう「まだ」だなんてことはありませんから、「不」で否定することになりますね。 わかりやすい例文で言えば、「修好」も結果補語ですが、まだ直っていないのが「没修好」、直らないのであれば、こりゃ「不修好」ってことになるでしょう。 結果補語を普通に使う場合は結果が出ることが前提なので、こういった「不」を使う場合は「仮定」だということで、解説がなされていると思います。 つまり「不」を使う場合は、普通ではないので、そういうニュアンスが加わりますね(まだ何かありそうだという)。

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その他の回答 (1)

  • smthy
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回答No.1

「没喫飯 就 去喫」のように、「没」を使うと、質問者さんの言うとおり、「まだ食べていないならば」という文になります。 しかし、「不喫 就 不要喫」のように、「不」を使うと、「食べたくないのならば、食べないのならば」のようになります。 つまり、「没」は動作自体がまだ行われていない事を示し、「不」は「したくない」「しない」のように意思を含む時に使います。

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