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釈迦、ソクラテス、イエスは自身で書物を残したか?

学生の頃から疑問に思っていた質問です。 歴史や哲学に登場する、釈迦、ソクラテス、イエスはそれぞれ自身で書物を残したのでしょうか?後世に残っている彼ら自身で記した書物はありますか? もし、本当に本人の書物が存在しないなら、その理由は何でしょうか? 彼らの弟子達が記した語録や書物は多く後世にありますが(有名なものばかり)、しかし本人が記した書物はあまり聞いたことがありません。 誰かの説や推測でも構いませんので、どういうことなのか解説をお願いします。

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  • pyon1956
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回答No.4

はっきりしていることは、この3人とも自分で書いた書物は残っていない、少なくとも彼らが書いた明確な証拠のある書物も、彼らが書いたという伝承のある書物もない、ということです。 では彼らが書いた書物は本当に無かったのか? 少なくとも体系的な書物や、手紙なども書いた形跡がありません。 手紙ぐらい書いているだろう、と思われるかもしれませんが、郵便制度の無い時代、手紙を書くのは書物を書くのと大差ない行為でした。少なくとも現在残っている当時の手紙は実は論文であったりします。 なぜ残さなかったか(残らなかったか)は、学説の問題になりますが、結局のところ書かなかったから、というのが最も説得力があります。もしいくらかでも彼らの書いた文書があったとして、あるいは書いたものがあったという伝承があったとして、後世にいくらか断片でも伝わるか、あるいは捏造さえされていないのはおかしいでしょう。このことからほぼ無かったのだと言えると思います。 なぜなかったかはそれこそ学説の問題で、それだけで論文が書ける内容だと思います。 ただ私見としていわせてもらえば、私は教師稼業なのですが、人にちゃんと物を伝えるにはマンツーマンでないとほんとには伝わらないな~、といつも痛感しています。また生徒との対話の中からこそ、考えの深化、発展があります。彼らもまたある意味教師だったと思うので、そういうひとりひとりの人との対話をこそ重視したんじゃないかと思うんですが。 一冊の書物を書くのは教師稼業と同時に進めるのは困難です。とりわけ彼らは新しい考えを作っていっている現場にいたのですからなおさらだと思うのですが・・・・(私見です、あくまで) さらに当時の社会が必ずしも書物を中心とはしていなかった、ということもあるでしょうが、このあたりこの3人では多少事情が違うと思います。 いずれにせよ少なくとも書いたものを人に読ませる、という行為はある程度文書そのものを広める、という意思の元で行われる行為ですから、彼らには無縁だったと思うのですが。

technova
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 やはり彼らが書いた書物は無いのですか。書こうという意思すら記録されていないということですね。対話を重要視していたというのはわかりますが、対話を補助するための本人直筆の絵とか図なんかも記録にないのでしょうか? もしそうなら、記録することを目的とせず、土の上に棒で図・絵や言葉を書いては足で消している光景が思い浮かびます。いわゆる現代でいう黒板ですね。

その他の回答 (9)

  • flashprim
  • ベストアンサー率23% (51/218)
回答No.10

本を読むことが出来ない人がたくさんいる。以下で分からなかったらどうしようもない。 ヨハネによる福音書 6-41「彼らはみな神によって教えられる」 7-14「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである」 16-13「真理の霊が来ると・・・自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなた方に告げる」 マルコによる福音書(マタイによる福音書、ルカによる福音書) 6-8「旅には杖一本のほかには何も持たず、パンも、袋も、また帯びの中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。」 10-20「引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊(聖霊)である。」

technova
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 冒頭は、本を読むことができない人にレベルを合わせた、ということですね。 そして福音書の引用の内容ですが、「それ」は、何かを耳(という機能)を使用して聞いたり、何かを目(という機能)を使用して読む、という人間の機能を使用した行為によって得られるものではなく、自身の心の中(脳の中)に直接作用するものである、ということと解釈しました。・・・(1) そもそも引用いただいた内容のなかでイエスが言っているのは、真理や神の教えそのものではなく、真理や神の教えの“性質”についてですよね。・・・(2) ゆえに(1)と(2)からわかることは、「真理や神の教えは、人(イエスも含む)との対話や書物でわかり得る性質のものではない」ということですね。非常に納得できました。ありがとうございました。

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.9

>記録することを目的とせず、土の上に棒で図・絵や言葉を書いては足で消している光景が思い浮かびます。いわゆる現代でいう黒板ですね。 これについては、イエスの場合はヨハネによる福音書にファリサイ派との問答の最中に、指で地面に書いていた(内容は不明)という記述があります(8-6)。 ここは説明のためではありませんが、恐らくおっしゃるようなことはあったと思います。

technova
質問者

お礼

ご解説ありがとうございます。 記録としての自書、教えの解説としての自書はないにせよ、「書いて(描いて)示す」という行為はあったのですね。大変参考になります。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.8

書物を残さなかった理由は以下のようなことだと思います。 (1)真理の本質は、書いたもの(一方通行)では伝えられない。すなわち、真理の本質は、人と人との「対話」を通して初めて伝達可能。 (2)「書く」という行為は、多大の時間が必要、しかも、(1)の理由で効率が悪い。そのため、「書く」より「行動」することが必要。 (3)古代においては、「口承」が「書物」より権威があった。「口承」を通しての記憶能力は現代人よりはるかに高かった。 (4)古代においては、「書物」という伝達手段は一般化していなかった。印刷技術はなかった。字が読める人もあまりいなかった。 (5)宗教の対象者として、為政者、金持ち、貴族、知識人よりも、庶民、貧乏人、困窮者、被差別民、教育機会のない人をより重視した。すなわち、多くの字が読めない人が対象(哲学のソクラテスの場合は、これに該当しない)。

technova
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 私も“(1)真理の本質は、書いたもの(一方通行)では伝えられない。”ということを彼らが何らかの確信を持って理解していたことが大きな理由ではなかろうか、と考えています。 (2)の“多大な時間をかけて書く”というのは、必要であれば多大な時間をかけて書くはずです。ですから効率の問題ではない気がします。 (3)、(4)、(5)は彼ら本人から来る理由というより、当時の社会背景や周囲の人たちに起因する理由だと思いますが、それを彼らが書かない理由とするのは、なんだか俗っぽい感じがします。あくまで仮定として、彼らが現代のような情報化社会の人だったら書物を記したのでしょうか?それでもきっと記すことに意味を見出さなかったのでは、と予想します。 対話という手段を使用しても、実は彼ら自身の(真理にもとづく)価値感や感性を相手にもたらすという目的を達成しえないのではないか、と彼ら自身が強く理解していたものと推測しています。「真理」とはそういう性質のものである、と考えていたのではと予想します。そうであってもやはり対話の方が書物を記すよりは遥かに良いと彼らは考えていた、というのが表面的な理由と推測しています。 では、本質的な理由とは?というところに興味があります。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

追伸 釈尊の場合:弟子ー如是我聞(私はこのように聞きました)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.6

孔子の場合:弟子ー師いわく(先生はこのようにいわれました) イエスの場合:弟子ー(マスターはこういわれた) ソクラテス:プラトンー(マスターはこういわれた) 以上のような大先生は、良き弟子を連れているということですね。弟子は師の一言一句も見逃しまいとしたから師は教えを説くことに専念したのですね。それを師はまた良しとしたわけです。現代風に言えば、教授の講義を弟子が本にしたということですね。 大教授は、思考時間があれば凡人の何十倍もの仕事ができるでしょう。書けば効率が落ちるということですね。多くの弟子が一生懸命聞いて書き残したので世界的な思想や宗教になったということです。現代では師と弟子の関係が理解できなくなってきてますから理解できないかもしれませんが、不立文字といって口述のみもあるのですね。上に行けば行くほど不立文字になってきますね。師は弟子を選びますからね。

technova
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 師は世界的な思想や宗教を目指していたわけではないと思いますよ。ただ師の教えを理解していない一部の弟子達の優秀なる書物によって世界的な思想や宗教に発展したとは考えられます。

  • pyon1956
  • ベストアンサー率35% (484/1350)
回答No.5

#4です。 ついでですが、釈迦、イエスについてはそもそも本人どころか直弟子の書いたものも残っていません。 イエスの場合パウロはイエスに会っていませんし、使徒のかいた、とされる文書(これは存在する)も、実際には使徒本人が書いた可能性はない、というのが学説です。つまり重要な部分はすべて口伝であったらしい。まあ失われたものでQ資料というのがあって、これが文書かもしれないですが、いずれ存在を推定されているだけで書かれた、という記録はありませんから当然筆者もわかりません。 釈迦の場合も第一回結集が釈迦死後100年ですから、当然ながら直弟子は生き残っていません。この場合も弟子が書いた、とされる文書があるだけで、事実は不明です。というより口伝であった可能性の方が高いです。 ということなので直弟子が書いたとはっきり解っている文書があるのはソクラテスのみです。

technova
質問者

お礼

補足のコメントありがとうございます。 なるほど、釈迦やイエスの直弟子は師匠の「いちいち記録するな」という意向を理解していた可能性が高いということですね。 プラトンはきっと師匠の教えを記録したかったのではなく、師匠を見て感動した自身の気持ちを表現し誰かに伝えたかった、と現代人の私は勝手に解釈することにします。

  • erista
  • ベストアンサー率51% (54/105)
回答No.3

すこしみなさんとかぶるかもしれませんが推測程度の私見です。 彼らは、後世に名を残そうとして活動していたわけでないから(おそらく)、当然その必要性に関しては感じなかったからではないでしょうか? 歴史というものに対しての意思が希薄、あるいは、重要視しなかったのかもしれません。 イエスのみについて語るならば、彼は神の子ですから(宗教上は)、自身では書き残さず、人が(神の使役として)述べ伝えるべきかもしれません。 また、実際上は、宗教、哲学というものは、内容に齟齬、誤りがないように体系化するのは大変なことであり、優れた弟子あるいは後継者が矛盾の無いように文字化するべきかもしれませんね。 最後に逆説的ですが、もしかしたら歴史には文字化されなかった偉人もいるのかもしれません。

technova
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 当時、書物を記すことは後世に名を残すための活動だったと断定はできませんよね。日記やメモのようにプライベートな書き物をしてもいいのではと思います。

  • ebinamori
  • ベストアンサー率21% (96/439)
回答No.2

何の根拠もないただの推測を述べます。 「書物」を書き記すことの意味とは著者の考え方を流布することにあると思います。 質問者さんが挙げた釈迦、ソクラテス、イエスは別に自らの考えを広く知らしめることよりも 目の前の一人ひとりに対して真摯に自らの考えを示したかったからなのではないでしょうか? たとえばソクラテスでいうならば対話法を手法として取り入れていたことに その精神(?)を感じることができる気がします。 また、書物を書き記すことで考え方を流布しようとするのは むしろ弟子たちがこんなにすばらしい考え方なのに知らない人がいるのはかわいそうだという まさに第3者であるからこそ着想しうる行為なのではないでしょうか? また、こんな風に考えることができると思います。 どんなに一流の考え方でも一般の人に理解できなければ ただのたわごとに過ぎないという考え方です。 つまり一流の考え方に弟子たちの残した書物などの一流の「解説書」があるからこそ、その考え方が一般に定着したと考えることはできないでしょうか?

technova
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 自らの考えを広く知らしめることよりも目の前の一人ひとりに対して真摯に自らの考えを示したかったから、ということを弟子達に伝えなかったのはなぜでしょうか。なぜ一部の弟子達は「自らの考えを広く知らしめることよりも目の前の一人ひとりに対して真摯に自らの考えを示す」を守らずに書物に頼ってしまったのでしょうか。 疑問はつきません。

  • yow
  • ベストアンサー率23% (181/782)
回答No.1

私が自分で考えだした説ではありませんが。。。 釈迦は仏教徒ではなかったし、イエスはキリスト教ではなかったらしいです。彼らは宗教を起こすことを目的としたのではなく、実践として、ちゃくちゃくと行動したり語ったりしていただけだ、と。悟りであったり、救済であったり。書物を書くのに時間をついやすよりも、行動したり人と出会うことに彼らは意義を感じていたからではないでしょうか?それに感銘をうけた弟子たちが、本人がいなくなったあとでも自分たちがうけた感銘を後世の人たちがうけられるようにと願って書物を残したのでは?

technova
質問者

お礼

コメントありがとうございました。 学生の頃はそう思いました。しかし、もっと合理的な理由があるのでは?と思ったりします。

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    松尾芭蕉は有名ですが、その一番弟子の宝井其角という人は、恥ずかしながら最近知りました。俳句の世界では、有名なのかもしれません。このように、まだ私が知らない有名な弟子がいるかもしれませんので、いろんな分野でそこそこ名をあげている師匠と弟子を教えてください。 (一先ず、歴史上の人物とします。) 例 分野    師匠    弟子 哲学者   ソクラテス プラトン 随筆家   夏目漱石  寺田虎彦 物理学者  寺田虎彦  中谷宇吉郎  こんな感じでお願いします。

  • ニーチェの《生きる》からソクラテスのそれへ!?

     ニーチェ論において次のような課題つきの回答をもらったところ その次にかかげるような応答をしました。  この問答そのものを主題として問いたいと思います。    無条件にご自由にご見解を述べておしえてください。  ◆ 《或る回答》 ~~~~~~~~~~~~~  ニーチェの思想に対抗するなら  ソクラテスの思想になると思います。  「それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、  善く生きるということなのだというのだ。」  この「善く生きる」でしょう。  ソクラテスの自殺。  もしくは無理やり仏教の話題を出すなら  ブッダである、サーリプッタの自殺。  長生きしたゴータマ・シッダッタよりは  サーリプッタのほうが、生への執着を断っていると思います。  このヨーロッパとインドの自殺。  善く生きるなんて言ってソクラテスは自殺した。  さすがアイロニーの使い手のソクラテス。  結論が自殺なんですから。  ソクラテスの思想は難しいですね。  ☆ 《応答》 ~~~~~~~~~~  おおきな主題を投げ入れてもらいました。  てめえで考えよというところも 結果的にあるようですが それはわたしはいぢわるですからハッキリと言っておきますが  ◆ 善く生きるなんて言ってソクラテスは自殺した。  ◆ ソクラテスの思想は難しいですね。  ☆ というふうに触れておられるからには ご自身もこの主題を立てつつさらに問い求めるという姿勢でいられるものと思います。  そうですね。ボールはこちらのコートに入ったからには これはねじり鉢巻きで打ち返さねばなりませんね。  1.ニーチェにおいて《生きる》とは? ソクラテスの《善く生きる》とは?  ● (渡邊二郎:補論 ニーチェ――生きる勇気を与える思想)~~~~  もうひとつ 『悦ばしき知識』におけるニーチェのもっと恐ろしい言葉を掲げよう。     *註 《もっと恐ろしい》:この議論は次の《恐ろしい言葉》の指摘のあとを承けている。          《小さな復讐は たいていの場合 まったく復讐しない      ことよりも なにかいっそう人間的なものである》     ( Eine kleine Rache ist zumeist etwas Mensch-     licheres als gar keine Rache. )      (『ツァラトゥストラ』I 《まむしのかみ傷》)    《生きる( Leben )》とは 何かと言えば それは      《死のうとする何ものかをたえず自分から突き放すこと》   ( fortwaehrend Etwas von sich abstossen, die sterben will )  である。したがって   《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化   するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》   ( grausam und unerbitterlich gegen Alles sein, was schwach    und alt an uns, und nicht nur an uns, wird )  である。それゆえ《生きる》とは   《死んでゆく者たち 哀れな者たち 年老いた者たちに対して 敬虔な念を   持たないこと》   ( ohne Pietaet gegen Sterbende, Elende und Greise sein )  ではないのか それなのに 老いたモーセは 《汝 殺すなかれ!》と言ったが それは矛盾ではないのか と ここでニーチェは仮借なく鋭鋒を振りかざして しかも問題の矛盾点を指摘したまま ぷっつりと断想を打ち切ってしまうのである(『悦ばしき知識』26)。  (渡邊二郎編解説:『ニーチェ・セレクション』 2005 pp.302 )  ~~~~~~~~~~~~~~~  論者の言おうとするところは ニーチェが恐ろしく過激な言い回しを用いているが 真意はそこにはない。です。  そう見ておいて たしかにニーチェも《生きる》ことについて考えを述べています。  回答者さんの主眼点は しかももしたとえその定義をふくむ議論を受け容れたとしても なおその上に問題は《善く生きる》という主題がわれわれ人間には持たれているのだ。にありましょうか?  ◆ 「それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、  善く生きるということなのだというのだ。」  2. 《善く生きる》には 《自死》を避けることがむつかしいか?  しかも・しかも 《善く生きる》とき人は この人間の社会にあっては《自死》というかたちを取ることさえあるのではないか?  《アース役》を超えるか? の主題でもあるようです。  2-1. 幼い時からの親友でゴータマ・ブッダの同輩弟子であるマウドゥガリヤーヤナ(モッガラーナ)が死に臨むとき シャーリプトラ(サーリプッタ)は 《死のうとする何ものかをたえず自分から突き放すこと》をせずに 自死をえらんだのか?  それとも そのときには《死んでゆく者たち 哀れな者たち 年老いた者たちに対して 敬虔な念を持たないこと》を実行し その考えをみづからにもおよぼしたのか?  あるいは もうそのときには じゅうぶんこの世を見たのだ じゅうぶん過ぎるほどわれは生きたと捉えたということなのか?  2-2. マウドゥガリヤーヤナにしても かつて間違った考えを持った人たちにそのマチガイを指摘したことの恨みを買って とうとう攻撃を受けたとき それは 受けねばならないとさとって暴力に甘んじたというのは シャーリプトラと同じような心境だったのか?  2-3. それにしてもゴータマ氏は 自分の寿命のことについて話をしたとき弟子のアーナンダがそうではなくもっと説法をつづけてくださいと言うべきところを言わなかったそのことを うらみつつ 死地に就いた。寿命を延ばすことも出来たが アーナンダの振る舞い(無反応)があったから もう生き続けない・つまり自死をえらんだ。というのかどうか。の問題。  2-4. おそらくアブラハムが長子イサクをいけにえにささげるという考えを持ったとき 大錯乱に落ち入り迷いに迷った挙句に得た結論。《人は他人(ひと)をもおのれをもころさない》。理屈抜きと言うべきか。公理と言うべきか。これが 人間の自由だと言うべきか。  ちなみにモーセはこのアブラハムの心なる《非思考の庭(信仰)》に火花を散らしたヒラメキの中身を《なんぢ ころすなかれ》と言いかえたのである。倫理規範としたのだ。このオシエなる形態とシンジルかたちとは別である。  2-5. ソクラテスの場合は けっきょく自分の弟子にあたる人間ふたりがアテネの町に害を及ぼしてしまった。人びとはその教師ぶりをうたがってとがめた。ソクラテスは――先ほどのマウドゥガリヤーヤナの場合ではないでしょうが―― このような自分の仲間としての弟子たちにしろ一般の市民たちにしろその咎めを受け容れ死刑のさばきにも甘んじた。のではないか?  おそらく《善く生きる》にしろ《生きる》にしろ アテネの町の人びとにおいてさらにさらに熟慮を持ち得た〔のにそれを打ち切った〕のではないだろうか?  3.  ● 《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化   するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》  ☆ これは 《あらゆる弱化するもの 老化するもの》というのは 《歳を取ることにおいていわゆる自然に反する考えや振る舞いをおこなうことによってシガラミを増し加えるかのごとく現われて来る老弱化のそのこと》であると採ればよいかも知れない。  つまり《者》つまりその老化する人間に対して《残酷で仮借ない態度を取る》のではなく そうではなく 要するに考えと行動について自然(ないし人間の自由)に反するようなマチガイに対して容赦なくこれを捨てるということ。そのマ(間)の違いをおのれの内面において捉えこれを自然本性への違反として(ないし人間の自由への違反として)みづから批判しこれを内的に棄てるということ。であればよいかも知れない。  《生きる》ないし《善く生きる》のささやかな議論でしたが 《2》は課題として述べて立ち止まり思惟をなお残しております。そのおあとがよろしいようで。  ~~~~~~~~~~~~~~~

  • イエスなる愚か者の無能は後世にいかなる禍根

    さて、自らの推論が不愉快で仕方ない。 今回は初めに言っておこう。 継続中の哲学研究での質問だ。 あえて、過去質問は締め切らないでおくよ。 テーマに差異があり広範囲に証言を収集するためだ。 2500年ほど前、人間が人間であることを自覚すると、人の群れの中で特に仏陀といわれた。現代語訳すると「まさに人間である!」とでもいうところだ。 シャカはその手法で解脱した一人だ。 仏教研究で標語的に注目される点は日本人ならいくつか挙げられるだろうから問うまい。 現代哲学に焼き直すと総論は「観念への昇華」だ。 これは私が認識する限り「死の儀式」だ。 自らの生を差し出し、死を学ぶことだ。 私は今、腹が立っている。 この難易度の高い人間としての生存の自覚は、太古は簡単だったのに愚か者イエスが死の儀式として定着させた。 さて、予言者? イエスに予言能力があるか? 実のところ私は人に備わる予言能力を実証した。 その点は、任天堂に犯罪集団審問しろ。 予言能力とはすなわち、自分自身で未来を手にすることだよ。 これは運命を手にするといえるだろう。 社会性において、確立した自己の運命が周囲の人々に波及することでもあり、したがって予言まじない師の言葉をうっかり聞いてしまった人々の運命を取り込み自己が所有する。 これが予言者の資質だ。 さて、イエスは死ぬ必要があったのか? したたかに生き残ってユダヤ王復興すれば、後世に甚大な被害を与えなかった。 マザコンイエスは「死せる神」の伝承で、観念への到達と生存の自覚を、シャカの開拓を覆し「死の儀式」に逆行させた張本人だ。 予言能力のある私は、9.11スポンサー企業任天堂を出し抜いてしたたかに生き残っているぞ! すげ~迷惑だよ。 イエスは無能だ! なぜ?殺人鬼集団につぶされることを望んだ? ユダヤ人を全うした? あるかもしれない。 しかし、殺人鬼集団に栄華を与えたじゃないか! さて、質問文は以上です。 何か慰めてください。 美女は期待しません。 オカマを踏みにじるのが好きです。

  • 釈迦の無の悟りはこのように解釈するとちょうどいい

    初期の仏教には今も同じ問いかけが成されている。 神を語らないことに、今も続く押し問答が、果てしなく繰り広げられる。 お前の神を明らかにして見せよと。 答えるにそれを表すなら無であると。 これこそが無の悟りとは何かという問いかけである。 そこで私の述べる一切無の悟りを心得るならば、目指すのは、お釈迦さまと同じく、自らが仏陀となる修行の道のりであり、個人的な信仰心の探究であり「救ってください」「助けてください」これは無効になり、それもまた無である。 それでは、聖職者は問う者に答えないことで、その無を語ることが、それ自体を答えとする考え方だ。 釈迦に問うた者どもは、むしろそれを恐れている。だからこそいまだに悟りに至らないのだ。 お釈迦さまを始祖とする仏教の迷走はここにあり、禁を破り、仏を神に列した後世の仏教は誤りで、仏陀と言う人としての最高の状態であることが、それでこそ人間であるという境地だ。 お釈迦様の信仰をまねることとは、後世の仏教徒にとって、自らの信仰を殺し、それによって自らの精神が死に、しかる後に釈迦の信仰を受け入れる死と転生だ。このように自らを滅し、死を理解する後に仏陀となることが、長らく釈迦の弟子であるということになっている。 仏教の初期から現代までこのことに異論をはさんだ者はいない。 それは信仰を心に宿す手法として、死にまい進し、死の自覚によって悟る修行だ。 こうして、死を理解してこそ仏陀になるという荒々しい修行は仏教に限らず、釈迦誕生以前から現在も続くインドの伝統である。 生きてこそ人であり、信仰に到達したならば仏陀だ。 旧来のように死にまい進することは、自らを自覚した仏陀の信仰を打ち立てることは全く正反対である。 それは信仰を携えて生きることではなく、お釈迦さまに感化されるあまりに、自らが死に改めて仏陀として転生を体験する考え方だ。 お釈迦様と同じく自らの信仰のみに生きるなら、勧めるのは、お釈迦様の信仰をまねること、すなわち現在の自らが死ぬ無の悟りではなくて、自らの唯一の信仰を切り開くこと、「信仰の道を我が大道としてゆけ」これである。 それは西洋哲学の標榜する自由の概念と同じであろう。 仏教とは常にお釈迦様のお葬式を挙げている。 そして死を繰り返す。 処で日本語とは面白い言語で、私の表した「我が信仰の大道を行け」この言葉を噛んで含めると、「あなたたちそれぞれが自らのみとを我が信仰の大道としなさいよ」こうなるが、「我」という言葉に「みんな」という意味があるのが私の言い回しである。 以上は現在執筆中の「いかに猿は踊るか」こういうタイトルの原稿から抜粋した。 文章の推敲の助けとなる意見を聞かせてくれ。