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縁と運命について

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  • PorWord
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回答No.4

こんにちは。これについては、ほかの方の意見と重なる部分があると思いますが、やはり、仏教の考え方とキリスト・ギリシア(西洋)的考え方は似た考えがあります。 「運命」とは、"人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。将来の成り行き。" 「縁」とは、"結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。" という意味があり、どちらも英語で"fate(フェイト)"という言葉で表すことができます。 西洋的な考えは「神」を中心としているので、自分にとって良い運命であれば神に感謝し、逆に悪い運命であれば神から与えられた試練と考える人が多いようです。また、逆にアジア(仏教)的な考え的では自然・社会(≒天)を中心としており、すべてがそれから与えられたモノとされています。また、悪縁については、自力で解決しそのハードルを越す事によって、人間として強くなることができるとされています。 簡単に言えば、「神」中心主義(≒他力本願的考え;西洋的考え)か、「自然」中心主義(≒自力解決主義;アジア仏教的考え)の違いだと思います。 上記の内容は、哲学博士に講義で聞き、私が解釈した文章なので、多少異なった考えかもしれません。(宗教・宗派によって解釈が違うので、他の人の意見も参考にすると良いと思います。)

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