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田一枚植ゑて立ち去る柳かな
noname#1423の回答
ANo.#1のshinkishuです。 調べてみました。やはり、「立ち去る」のを芭蕉とする説と田植えをしていた地元の早乙女とする説があり、また、「植ゑて」の主体も芭蕉であるとする説が登場し、更には、「植ゑて」「立ち去る」のは「柳」だとする説まであるようです。 しかしながら、sesshuuさんも引いていらっしゃる西行の歌に基づいていることを根拠に、「地元の人が田一枚植え終わるまで柳の陰で休んだのち、自分たちはそこを立ち去って再び旅を続けた。」という解釈が主流のようです。 > 他にも、芭蕉の「奥の細道」のなかで > いろいろと、解釈の分かれた句がありましたら > 教えてくださいm(__)m これについては、また新たに質問してください。
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