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第2次世界大戦前後の日中関係

第2次世界大戦中、日本は米国に、国際法にのっとり、宣戦布告し(連絡ミスがあったようですが)、南方で戦ったことは知っています。 ところで、日本は、韓国・中国とは当時の国際法上、戦争していないはずだと思うのですが、中韓両国は、日本軍によって甚大な被害を被ったという話をよく聞きます。 韓国は、一時期の植民地支配(日韓併合)に対して、被害を被ったと主張していることは(善し悪しは別にして)だいたい理解できました。 ですが、中国については、日本との関係がいまひとつ理解できません。被害者と主張している側が、なぜか戦勝国になっていることも含めて。 中国に対して、日本は一方的に(100%)、侵略行為をしたのでしょうか? 中国にも若干非があったのでしょうか。 当時の、国際世論も含め、日中の客観的な、歴史を時系列で教えてください。 どうぞ宜しくお願い致します。

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回答No.4

1904~05年の日露戦争で、日本は旅順・大連の租借権(事実上の領有権)と、後の南満州鉄道を手にしました。このとき、イギリスは同盟国でしたし、アメリカも日本に好意的でした。旅順・大連に駐留した日本軍が「関東軍」と言われます。 1914年に第1次世界大戦が始まると、日本は対独宣戦をして、ドイツの租借地青島を陥落させ、ドイツが持っていた山東半島での利権を接収し、翌1915年にいわゆる対華21か条の要求を中国に行い、この利権の継承のほか、満州、内蒙古での権益を要求して認めさせます。このときはアメリカも支持を与えていますが、第1次大戦の戦況を気にしてのことです。1919年に結ばれたベルサイユ条約では、米英仏も同意して、ドイツ利権の日本への引渡しが中国の反対を押し切って盛り込まれます。5・4運動と呼ばれる反日デモが中国全土で起こったのは、これに抗議してのことです。 1921~22年に、アメリカの主導でワシントン会議が開かれますが、中国に関しては「主権尊重・領土保全」を定めた9カ国条約を結び、米英の圧力で日本は21か条要求で手にした利権のほとんど(旧ドイツ利権を含む)を返還します。このときに日英同盟が廃棄されますが、このときから米英は日本の対中進出を警戒するようになり、特に対米関係は緊張に向かいます。1928年に、軍閥の割拠状態にあった中国は国民党によって統一されますが、これに対し日本は山東出兵、張作霖の爆殺で介入しようとしますが、米英を恐れて政府が事態拡大を抑えています。同じく1928年には不戦条約が結ばれ、日本も参加します。 そして、1931年に満州事変を関東軍が起こし、満州を占領、32年には「満州国」を成立させます。形式上は独立国ですが、政府の要職には必ず日本人の副官をつけ、日本が実権を握りました。中国の要求で、国際連盟はリットン調査団を派遣し、その報告では満州国は日本の傀儡だと認定し、日本の撤退を勧告する一方、日本に満蒙での特殊権益を認めるべきだ、とする妥協案も示します。日本はこれを拒否し、国際連盟が報告にもとづく勧告を採択すると、日本は国際連盟を脱退し、国際社会での孤立を選択します。しかし、米英が介入を避けたので、1933年に日中軍事停戦協定が結ばれ、中国は事実上、満州をあきらめることを余儀なくされます。 1935年以降、関東軍は華北分離政策を進めて、華北への介入を強めますが、これに中国はイギリスの支援で経済改革で対抗しようとします。中国で国共合作が成立し、抗日統一戦線が作られるのはこうした状況の下でのことです。 そして、1937年に日中全面戦争が始まります。盧溝橋での日中の衝突は多分に偶発的なもので、現地では停戦協定が成立していたのにもかかわらず、日本は軍を増派して戦争を開始しました。アメリカはこれを激しく非難し、国民政府への援助を強めます。太平洋戦争の前段の日米関係の悪化は、日中戦争の開始に端を発していました。首都南京を陥落させれば、国民政府は屈服する、と日本は考えていたのですが、南京陥落に際して、国民政府は武漢、その後重慶に遷って抗戦します。日本軍の支援で成立した汪兆銘政権は、日本軍占領地域の政府で、日本軍に対する拒否権は持てず、実質は日本軍の傀儡でした。日本軍は占領地域は増やしていきますが、住民の抵抗や、八路軍(中国共産党軍が国民政府軍に編入されたときの名称)などのゲリラ戦に悩まされ、戦争は泥沼化します。このとき、日本軍による住民虐殺が起こったのも、住民と区別のつかないゲリラを掃討するためということでした。このころの中国共産党は「抗日」で民衆と深く結びついて勢力を伸ばしました。中国共産党政権が、抗日戦争を教育に使うのは、中国共産党が中国民衆の味方であることを強調したいためです。 1939年、日独提携に対抗して、アメリカが軍需物資の対日禁輸策をとったため、中国戦線を維持するには物資が不足したことが、日本の南進の動機となります。また、東南アジアからインドにかけて占領する、という作戦の動機のひとつはアメリカによる「援蒋ルート」(アメリカが国民政府に対して支援の兵器や物資を輸送した道)をさえぎる、ということでした。1941年のハル・ノートを日本陸軍がどうしても飲めなかったのは、「中国からの撤退」というところです。このように、太平洋戦争は日中戦争抜きには考えられなかったので、日米が開戦すると、当然のように米中は同盟関係となったのです。 軍事的には、日本敗北の主力をなしたのはアメリカで、日本の降伏時も中国には広大な占領地域が存在しました。しかし、中国撤退を拒否したために、開戦したのですから、中国戦線の泥沼化はその日米戦争の前提条件でした。中国が抗戦し続けたのも同様に前提条件と言えます。したがって、日本の降伏にともない、中国が戦勝国になったのは自然な流れでした。 韓国・北朝鮮はこの戦争においては、植民地として日本の一部だったため、戦勝国として認められず、サンフランシスコ講和会議にも招かれませんでした。朝鮮戦争中ですから、南北いずれにもそれを打開する政治力・外交力はなかったのでしょう。 この過程では、中国が日本固有の領土に侵攻したことは1度もありませんでした。日清戦争も、朝鮮が主戦場です。その後、日本は軍事力をてこに、中国固有の領土上での支配地・占領地を増やしていきました。中国の領土に駐兵し、ついには戦争をしかけて占領地域を拡大していきました。これが侵略でなければ、どういうことを侵略と呼ぶのか、と問いたいと思います。欧米列強の植民地拡大とどこが違うのでしょうか。他の人たちが悪いことをしていることは、自分がしている悪いことを免罪するものではありません。子どものときに悪いことをして叱られたとき、「xxちゃんもやってるよ」と言ったら、「お前が悪いことをしたのには変わりがないだろ!」とさらに叱られたことを思い出します。 中国に非があるとすれば、清朝が近代化に遅れをとり、その一因としては、自由化・民主化をつぶし、民衆の生活を省みなかったこと。1911~12年の辛亥革命で、清朝が倒れ、建前としては民主共和国である中華民国が成立しても、実質的には軍事独裁が続き、その状況をドラスティックに変えることができなかったこと。三民主義を掲げて政権を握った国民党も、政権掌握後は、現在の共産党政府と同じように、独裁と腐敗に沈む状況には、変わりがなかったこと。といったことでしょうか。いずれも国内的要因で、外国の侵略を正当化するのは、「いじめられた方にも原因がある」というようなものです。いじめられた方にどんな原因があったとしても、それはいじめることが悪いことだということを変えることにはならないと思います。 書くのに熱中していたら、とんでもなく長くなってしまいました。ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

monica-g
質問者

お礼

時系列で、歴史をとてもわかりやすく、ご説明いただきまして、本当に、心より感謝いたします。とかく、論争になりがちな近代史を、学校教育の場で、このように理解しやすく、学べればどんなによかったことかと、思いました。大変勉強になりました、どうもありがとうございました。

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  • platon3
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回答No.9

No7です。 この場は某掲示板と違い、質問・回答の場ですから議論しようとは思いませんが、そのままだと誤解を招きそうなので以下の点について追記させていただきます。 まず、満州事変の前提となる「なぜ日本の軍隊が満州にいるのか」から説明します。この地は元々の持ち主である清が北京条約によりロシアに対し、その権益を正式に認めた土地であり、日本は日露戦争に勝利し、ポーツマス条約(日露講話条約)に基づきロシアから譲渡(鉄道含む)され、清国政府も了承しました。そしてこの条約で鉄道保護のため1キロ当たり15名を超えない範囲で守備隊を置く権利が認められていました。ちなみにこれで計算すると最大規模は14,419名です(もちろん日清条約でも承認)。これが関東軍の前身です。この後、日本の資本と移民が入植します(当時の朝鮮人含む)。対する張学良軍は30~40万と言われています。 その後、満州の治安は極めて改善され、産業も活発になり、この土地を求めて中国から人が殺到します。いつの時代でも、人は治安が悪く、税金が高い土地には命令されても住みません。満州の人口は辛亥革命当時1,800万であったのが、満州事変の頃には3,000万に達したとの記録があります。 ここで、「本当に中国が国を挙げて排日活動を行っていたのなら、この満州の人口増加は説明できない」ことをお考えください。要は排日運動は「満州の権益から追い出された者たちの怨念」との側面が強いのです。 「住民の農地を取り上げて・・・」との記述もありますが、全くの逆です。 当時条約で認められていた日本人に対する商工業、農業に必要な土地の商祖権も政府により「日本人に土地を商祖した者は売国奴として死刑に処する」との法律まで制定されました。さらにこうした法令が過去に遡ってまで適用されたため日本人の南満州における商祖権はまったく不可能になってしまいました。 また、中国は清朝の後継なのに「清朝がこれまで外国と結んでいた条約は無効である」と一方的に宣言し、外国に貸している土地や利権を回収する運動を始めました。これらは外交交渉ではなく一方的なものです。まさに現代中国に通ずる行動ですね。日本が不平等条約を幕府の後を継いだ明治政府が50年以上もの外交交渉や自国の成長により解消したやりかたと対象的です。 それら中国の身勝手な行動と、「満州鉄道に平行に走る鉄道は作らない」との日中間の条約に違反する平行線を敷設したこと、日本人に対する殺害事件など問題が多数発生するに及んだ結果、条例、法令を蹂躙し、日本人の生命財産を迫害し、満州住民を搾取してやまない中国側のやりたい放題に、そして現地の状況をわきまえない本国外務省の対支不干渉主義に自重を重ねてきた関東軍が在満日本人を守り抜くために起こしたものというのがごく自然な歴史観だと思います。 次に「盧溝橋事件が中国共産党の陰謀だというのは、1つの仮説であって」とありますが、これは中国の文書である中共兵士教育用「戦士政治読本」に明記されているとのことです。つまり中国共産党は「我々はうまくやった」と兵士に宣伝しようとしたのでしょうが、結果として「自白」しているのです。他の誰かが共産党に罪をなすりつけようとして言い出したことではありません。廬溝橋事件の翌日、ソ連(コミンテルン)は「あくまで局地解決を避け、日支全面衝突に導かなければならい。」と指示を出し、中国共産党は即時開戦の電報を出しています。この電報は中国各地の軍事博物館に掲示されているだけでなく、歴史教科書にも書かれているとのことです。 まぁ、例えば現在の在日アメリカ軍基地に銃弾を撃ち込んだらどうなるか、は想像つきますよね。 「全面戦争に踏み込んだことは、1つの政治判断であって」とありますが、これは間違いなく「国家の意思」です。なぜなら昔も今も「自国民保護は国家の責任」だからです。 東南アジアの件は補給ルートやアメリカの干渉などもあり長くなるので割愛します。 「欧米諸国を非難する論理にはつながっても、日本を免罪することにはなりません。日本は欧米列強と同じことをしたからです。欧米列強も悪くない、というなら話は別ですが。」とありますが(この手の発言はよく聞きます)、免罪する必要などなく欧米も含め何の責任もありません。先に書いたことの繰り返しになりますが、自国民保護は国際法上にも認められた「国の義務であり、責任である」ことから各国共に当たり前のことをしただけです。 また、アメリカを例にさせていただくと、例えばパナマでアメリカ人が殺されるような事件が起きたらアメリカはどう動くか、は簡単に想像がつくと思います。 最後に、「記録を読むと、日本軍の略奪~中略~それは革命を支えた民衆がいた、という事実を消し去るものではありません。」との記述ですが、逆に問いたいのですが、いったいどの記録をお読みになったのでしょうか?もしかしたら「中共軍は清く正しい」ことを揺るぎない大前提として論を組み立てているのではないでしょうか? 少なくとも北清事変の時の柴五郎中佐と日本軍の知性的で礼儀正しい行動が賞賛の的になりイギリス公使が「日本は信頼に足る国である」と本国に忠言した事実が日英同盟にまで影響した点、中国軍は国際的なルールを守らず正規軍でもゲリラ的行動を平気でしている点、当時中国では馬賊、匪賊の類が跋扈し、高い税、圧政に国民が苦しんでいた点、中国共産党軍もその馬賊・匪賊出身のメンバーであること、ソ連が武器の援助と共に軍官学校を作り、青年将校育成を始めたのは1921年以降であることなどを合わせると、当時の共産党軍が規律正しいなどの表記はできないと思います。当時の国民党の様子は台湾の記録に詳しいですが、まさに馬賊・匪賊の類です。同じ環境で戦っていた共産党軍が一方的にすばらしかった、などとする客観的事実はどこにあるのでしょうか?客観的に見れば単なる「プロバガンダ」であるのは明らかです。 「・・同じ党なのかということが信じられない・・」とありますが、自然に考えると、「当時は馬賊・匪賊であったのが、この頃(世界の常識からはまだ劣っているとしても)やっとまともな軍隊らしくなった」のが正解だと思いますよ。あなた、どう思います? 共産思想と革命については当初の質問の趣旨から外れますので割愛します。

monica-g
質問者

お礼

当時の中国は全く国家としての体をなしていないようですね。やはり、中国が一方的に非難するのは、かなり度が越した行為だと思います。 >自国民保護は国際法上にも認められた「国の義務であり、責任である」ことから各国共に当たり前のことをしただけです。 その当たりまえの行為が、当時の歴史的背景を考えず、現在のモラルで論じ、(感情的に)批判するのは、歴史の検証とは全く別次元の気がします。共感するところ多々ありました、勉強になりました、どうもありがとうございました。

回答No.8

満州事変の際にあったのは、日本軍の軍事行動だけで、満州族などによる独立運動があったわけではありません。排日運動も、21か条の要求、日本の国策会社である南満州鉄道の利権あさりと、そのバックにあった関東軍への反発があったからです。まず、日本の侵略があったから、排日運動が起こったのであって、その逆ではありません。「五族共和」も「八紘一宇」とセットで、日本人の支配権と矛盾するものではありませんでしたし、実際には、住民の農地を取り上げて、日本人の植民団に与えることも行われました。 盧溝橋事件が中国共産党の陰謀だというのは、1つの仮説であって、証明されたものではありません。衝突のきっかけとなった最初の銃声は、どこで誰が何のために撃ったものかは諸説あって、通説は存在しません。もちろん、中国軍だった可能性もあります。たとえそうだとしても、現地で停戦が成立しているのに、軍を大量増派して、全面戦争に踏み込んだことは、1つの政治判断であって、それを正当化するものではありません。 東南アジア侵攻は、中国戦線を維持するために、石油などの必要な物資を獲得するためです。最初から東南アジアが狙いだったのなら、まず満州・中国を攻めたことの説明がつきません。少なくとも、陸軍を大量投入して占領地を拡大することは、東南アジアを攻めることを目的とするならば、軍事的に必要なことではありません。 外国を侵略したことは、むしろ欧米諸国の方が先輩です。それは、欧米諸国を非難する論理にはつながっても、日本を免罪することにはなりません。日本は欧米列強と同じことをしたからです。欧米列強も悪くない、というなら話は別ですが。 アジア・アフリカの連中は野蛮人なんだから、俺たちが植民地化して文明化してやるんだ、という欧米の考え方は、少なくとも日本人である僕には我慢できません。本当に文明化するのが目的なら、占領・支配などは必要ではありません。 記録を読むと、日本軍の略奪はすさまじいものがありました。15年戦争全体に言えることですが、日本軍は食料・物資の補給を軽視し、占領地から徴発することを基本としていました。これは、兵站を確保することに腐心した日露戦争と比べても異様です。そうであれば、苦戦すればするほど略奪は激しくなりますし、その心理状態は虐殺や強姦も生み出します。別にそれは日本軍だけではなくて、どの国の軍隊もやることですが、補給を軽視した日本軍の場合はひどかった、ということができます。日本の軍人・軍属の戦死者二百数十万人の過半は餓死だったことが明らかになっています。 抗日戦争のときの中国共産党軍は本当に紳士的でした。軍紀は厳しく、略奪は許さない。支配地域でも、住民の同意なしでの挑発はしない。捕虜は丁重に扱う。これが今中国で政権を握っている党と同じ党なのかということが信じられないくらいです。だからこそ、当時の中国民衆は日本軍と戦う中共軍を支持したのです。 毛沢東は、政権を握るといろんな公約を反故にしました。粛清のたびごとに、そういう美風を体現した党員を切り捨て、「文化大革命」では、それまで彼を支えてきた幹部たちまで迫害の対象にします。 共産主義思想をどう評価するのかは別としても、共産党政権が成立したのにはそれなりの事情があります。そして、革命政権が誤った政策をとったり、革命の初志を忘れて腐敗に陥ったり、ということも世界中によくあります。しかし、それは革命を支えた民衆がいた、という事実を消し去るものではありません。 沖縄のことわざに、「人に殴られても眠ることはできるが、人を殴って眠ることはできない」というのがあるそうです。人間としては、そういう気持ちを持っていたいものです。 侵略されたのなら、戦うこともやむをえないでしょう。それは、日本人であっても、中国人(ここでは、中国国籍の人のことをさします)であっても同じです。

monica-g
質問者

お礼

>外国を侵略したことは、むしろ欧米諸国の方が先輩です。それは、欧米諸国を非難する論理にはつながっても、日本を免罪することにはなりません。 アヘン戦争をはじめ、欧米諸国も中国侵略(香港領土まで取得)したと思うのですが、なぜ、日本のみ集中的に非難されるのか、素朴に疑問を持ちました。(正当化する意味ではありません)ある学者が、同色人種だからと、おっしゃてましたが、今後、自分なりに検証したいと思います。 >抗日戦争のときの中国共産党軍は本当に紳士的でした。 あの時代に、紳士的な軍隊があったとは驚きました。勉強になりました、ありがとうございました。

  • platon3
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回答No.7

まず最初に、「歴史的事実」と「各国の一方的な発言」をきちんと分けて考えてください。発言は必ずしも事実である保証はありません。 まず、中国との間で戦前から問題とされている「満州」について書きます。 前の方も書いていますが、「清」は当時国と呼べる状態ではありませんでした。その「清」は元々「満州人(女真族)」が漢民族を征服して作った国です。知っていると思いますが、「万里の長城」は北からの侵略から国を守る国境線でした。満州は、この「万里の長城」の北に位置します。つまり満州は中国の一部ではなく、「北の蛮族の国」であり、外国だったのです。その北からの満州人の侵略により漢民族が支配され「清」という国になったのです。その「清」が西洋の列強にボロボロにされ、更に辛亥革命の後のクーデターで紫禁城を出され、「元の領土に帰ろう」としたラストエンペラーとして有名な溥儀を皇帝として日本が後見人として独立させたものが満州国です。中国のやっていることを喩えて言うと、昔、アメリカはイギリスの植民地でしたが、独立後に「イギリスも俺たちの領土だ」といっているようなものです。 満州事変もロシアの軍事的脅威と中国の排日主義のために脅かされた自国民保護として軍部が本国の許可を得ないままに起こしてしまったもので、目的はよかったが、その方法・手続きで未だに非難されている、といった側面が強いといえます。そのあたりは中国はしたたかです。 国際世論について言えば、実際にリットン調査団も「満州国政府は傀儡政府だ」としましたが、完全な侵略とはせず、日本にも特殊権益を認めています。また、満州国は23ヶ国の承認を受けています。 実際に満州国の建国以来、治安は回復し、周辺各国から(もちろん中国からも)たくさんの人々が流れ込んできます。ある意味、建国の目的を果たしたわけです(五族共和)。ちなみにこの地に日本人が植民しているのは元はと言えばアメリカが自分たちの都合で日本人を排斥したために移民として満州に向かった人たちです。 この五年後に盧溝橋での日中の衝突が起きますが、これは偶発的な事故ではなく中国共産党が日本と中国国民党を戦わせ、漁夫の利を得ようとしていたことがわかっています。 この後、共産党の作戦通りに日本軍は操られるように中国国民党との戦争に深入りしていきます。(政府は不拡散との方針でしたが) そして、日中戦争を継続したまま、いわゆる「第二次世界大戦」まで拡大して行きます。この日中戦争からアメリカは常に中国を支持し、莫大な援助を与えています。しかし、それにもかかわらず中国の軍隊はぼろぼろで、常に負け戦でした。しかしアメリカの参戦により最終的に日本が負けると中国は「戦(いくさ)には負けたが戦勝国」といった立場になります。この時点ではあくまでも中国国民党が中国政府でした。最終的に国民党を追い出した共産党が「全てを継承した」正式な政府となります。こうして見るとわかると思いますが、共産党は日本に対して何の「勝利」もしていません。戦勝国の立場もアメリカから貰ったものです。そこで国民に自国の政府の正当性を見せるため「あること無いこと言い始める」のです。元々自国民を苦しめていたのは共産党政府ですが、それを全て日本軍の仕業、と言い張るのも一種の情報戦を仕掛ける戦略です。 ですから終戦直後には何の文句も言っていません。逆に共産党の天下になったあと、その正当性がぐらつく場面になると「我々はあの軍国主義の日本を叩きつぶした英雄だ」とアピールするのです。ですから戦後処理が終わってからの方が日本を非難するトーンも上がっていますし、(死者など)数字は勝手に増えるといったおかしな状態になります。つまり日本非難は(うまくいって日本が金を出せば儲けもの、と思いつつ)自国に向けたアピール、との色合いが強いのです。まぁ、昔の中国と今の中国は全く別な国だ、ということはご理解ください。 次に韓国ですが、はっきり言って書くのもイヤになるのですが、まるっきりの嘘だと思った方がいいです。結論から言うと、「中国が親、朝鮮は兄、日本は弟」と思っていたのが、日本に支配された歴史がある劣等感から感情的に騒いでいるだけです。 まず、前提を確認すると、朝鮮は日本とは戦争などしたことがなく、日本の一部でした。ちなみに「植民地支配」とよく言われますが、当時日本が行ったのは「併合」です。これは「対等な国と国」の関係で一つになる、といった意味です。イギリスとアイルランドの関係に近いとお考えください。 この朝鮮併合も合法的に行われましたし、当時アメリカのルーズベルト大統領も「朝鮮は日本のものだ」と発言していますし、イギリスも「我々も以前からそれを望んでいた」と言っています。また、清国、ロシア、イタリア、フランス、ドイツなどの承認もありました。 ですから、いわゆる「第二次世界大戦」中も朝鮮人は日本人として志願して戦いましたし、靖国に祀られているのもそういう訳(日本人だった)です。(中には指揮官として日本人の兵を指揮した人もいました) 次に、いわゆる「植民地支配」についてですが、この期間に人口は大幅に増え、農作物も増産、資源開発も進みました。日本は本来自国の東北地方などに投資するべき資本を「同じ日本」との考えから朝鮮に投資します。更に増産できるようになった農作物を現金収入のために日本に売ります。このため東北地方はますます貧困に苦しむことになりました。ドラマで有名な「おしん」はこの時代の物語です。 韓国では朝鮮総督府の建物を国民感情から解体してしまいましたが、それほど日本の作ったものがいやなら道路や発電所、製鉄所などインフラのほとんどをいっしょに壊すべきです。 また、よく「日本の警察に拷問にあって・・」などの話も聞くと思いますが、ほとんどの現場の巡査は朝鮮人でした。要は自分たちのやったことを日本人のせいにしているだけです。(だいたい、そんなに大量の日本人警察官がいる訳がない。今のイラクなども警察は自国民です。) 終戦時、朝鮮人はころりと態度を変え自分たちを「三国人」と名乗りました。これは「戦勝国でもなく、敗戦国でもなく、第三の国だ」というわけです。ですから石原東京都知事の「三国人」発言は差別語でもなんでもない、まっとうな呼び方です。 最後に韓国の独立について書きます。 韓国は「我々は日帝から独立を勝ち取った・・」的な記述をよく見ますが、まったくの嘘です。 終戦時、朝鮮は「それ、独立」と思ったようですが、アメリカはあくまで「日本の一部」として扱います。(当然です。)1948(昭和23年)8月13日に朝鮮総督府は南朝鮮に朝鮮建国準備委員会を設置し、「自治権」を与えます。しかし、アメリカが駐屯して、あくまで南朝鮮を「日本の一部」として扱い、「自治権」も「独立」も認めず太極旗を降ろし、星条旗を掲げます。そして3年後の昭和23年8月13日に「アメリカから独立」しました。しかし韓国政府はわざと8月15日に日本から独立した、といいはっているのが現状です。 「併合前の朝鮮は平和で健全な国で日本に植民地にされてから搾取されて大変だった」といった発言を聞きますが、「嘘」です。当時の朝鮮はちょうど現在の北朝鮮のような状態です。これらは写真も残っていますので誰でも確認できますよ。 他に「創氏改名」や「ハングルの普及」、強制連行などについても知りたいですか?「いわゆる」従軍慰安婦、独島などもありますけど。 さすがに長くなりましたのでこの辺で

monica-g
質問者

お礼

>「歴史的事実」と「各国の一方的な発言」をきちんと分けて考えてください。発言は必ずしも事実である保証はありません。 一連のお答えを、拝見いたしました。 「勝てば官軍」とでもいいましょうか、中国も韓国も(韓国は勝ってませんが)、本来「歴史的事実」を検証するという、ことの本質からずれて、日本批判している(政治利用)感じをうけました。また、我ら日本人も、「各国の一方的な発言」のみを聞いて、右往左往するのではなく、お答え頂いたように、伝えるべきことは堂々と主張することがとても大切な気がしました。どうもありがとうございました。

  • kageroho
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回答No.6

中国に非が無いという説の方がおられますが、そもそもこの当時の中国って、どの国のことでしょうか!? いみじくみ言われたとおり、清は腐敗しきって列強各国の食い物にされました。そのため、当時の日本が危機感を持ったのは当然で、欧米列強のようにエゴとしての権益だけではなく、自国防備の意味もありました。また、大国が中国やアジアアフリカなどで権益を求めるのは、当時の世界常識では特に問題のあることではありません。○○ちゃんがやってたんだから…というのは、当時としては常識であり、今の常識で「子供と一緒」と言うのは、おかしいと思います。歴史を今の常識で評価するのは間違いです。 さて、清が崩壊した後は、国と言っていいような国家の実効支配はされておらず、国民党も共産党も、自己集団の権益のみを追求する匪賊のでかい集団くらいのものです。 一番迷惑をしたのは中国エリアの住民で、列強各国だけでなく、国民党や共産党、匪賊や馬賊からも迫害、略奪をされています。 従って「善良な中国国家と国民」を日本だけが侵略したという歴史認識は、あまりにも一方的で、もっと全体を俯瞰して、日本を含む列強各国、今の共産党、国民党、全てが正しい史実を解明し、各自が反省すべきことなのです。

monica-g
質問者

お礼

>「善良な中国国家と国民」を日本だけが侵略したという歴史認識は、あまりにも一方的で、もっと全体を俯瞰して、日本を含む列強各国、今の共産党、国民党、全てが正しい史実を解明し、各自が反省すべきことなのです。 一方に偏らず、客観的な、歴史に対する検証が一番大事なことですね。共感いたします、どうもありがとうございました。

回答No.5

中国が勝ったからこそ被害者だと大手を振って言っているわけでそこはもんだいではないと思います。 日本は中国というよりその下に広がるインド・インドシナ半島が目的であったわけで中国はその寄り道程度だったものなのでしょう。それが便衣兵や共産・国民党の共闘などがあり手間取り結果的に泥沼化して侵略という感じのものになってしまったようですから日本は手続き上は中国に関しては奇襲ということになるのだと思います。 当時の国際世論は完璧にアンチ日本であったわけですが現在はそうとう中国の情報のメッキが剥がれ落ちてきていますから微妙ですね。 中国には戦争前にはほとんど非はなかったでしょうね問題は戦後ですから。まぁあるとすれば蒋介石が日本軍と手を結び通り道を作ってやろうとしたのを危機とみた毛沢東が蒋介石を誘拐して脅し無意味な争いを長引かせてしまったことでしょうね。

monica-g
質問者

お礼

>蒋介石が日本軍と手を結び通り道を作ってやろうとしたのを危機とみた毛沢東が蒋介石を誘拐して脅し無意味な争いを長引かせてしまったことでしょうね。 この事実をはじめて知りました。勉強になりました、ありがとうございました。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.3

当時の支那は主権国家といえる政権がありませんでしたから、侵略は成立しません。 当時、第2次国共合作により、国府軍と共産軍が共闘していました。ただ中華民国にしても親日的な王兆銘政権もありましたから事態は複雑です。 日華事変の最中、大東亜戦争が開始され、国府軍は中立では支援を受けられないので、日本に対し宣戦布告しました。 戦闘では、日本に対し最期まで負け戦でしたが、連合国に加わっていたので勝利にありつけました。 支那の各勢力同士も侵略を互いに遣り合っていたのですから、一つの当事者に過ぎません。 確かに香港とか欧米列強の租界に対しては侵略といえるかもしれません。

monica-g
質問者

補足

>戦闘では、日本に対し最期まで負け戦でしたが、連合国に加わっていたので勝利にありつけました。  中国が戦勝国という理由がやっと、理解できました。どうもありがとうございました。

回答No.2

大まかな流れを書きます。 アヘン戦争(英清戦争)⇒アロー号事件(講和の労をとったとしてロシアに沿海州を割譲)⇒太平天国の乱⇒明治維新⇒韓国(当時は李氏朝鮮)開国⇒日清戦争⇒義和団の乱(北清事変)⇒日露戦争⇒日韓併合辛亥革命⇒中華民国成立⇒蒋介石クーデターにより実権掌握⇒中国共産党発足⇒国共内戦⇒日中戦争⇒国共合作⇒日本終戦⇒ 第二次内戦⇒蒋介石、台湾に逃れる。⇒中華人民共和国成立。とまあこんな流れです。 他に書いていないことですが、ロシア帝国による対馬占領事件があり、沿海州まで領有したロシア帝国に対し、日本は警戒心を持っていた。 満州そして朝鮮半島へと勢力を伸ばしつつあったロシアに対抗し、朝鮮半島に対する働きかけを始めた。 そのことが清を刺激し、清は自分より劣ると思っていた日本が朝鮮に働きかけるのを防ぐため、日清戦争となった。 日清戦争後、三国干渉に代表されるようにロシア側の満州・朝鮮半島への働きかけが露骨になってきたため、これに警戒心を抱くイギリス等の支援を受けた日本が、ロシアと戦ったのが日露戦争。 その後、日本に支援を受けた孫文が辛亥革命を起こし、蒋介石のクーデターにあい、となりますが、長くなりすぎるので省略。

monica-g
質問者

お礼

明治以降のわが国を含む国際情勢が、めまぐるしく変化し、一連の流れの中で、多様な戦争が起きていたことを、よく理解できました。歴史は断片的に見ずに、広い視点で検証するのが大切に感じることができました。どうもありがとうございました。

  • thor
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回答No.1

・〉第2次世界大戦中、日本は米国に、国際法にのっとり、宣戦布告し(連絡ミスがあったようですが) おっしゃっているのが「ハル・ノート」に対する回答のことなら宣戦布告ではありません。 東京の米・英大使館に宣戦布告書をもっていったのは、12月8日正午頃ですから。 ・〉日本は、韓国・中国とは当時の国際法上、戦争していないはずだと思うのですが そうすると、フォークランド戦争も、イラクによるクェート侵略に端を発する湾岸戦争も、米国によるイラク侵攻も、「戦争」ではないと? 実質的に「戦争」なのに「事変」と言わなければならなかった、というところがポイントです。 いわゆる不戦条約(「戦争放棄に関する条約」)に反するので、戦争とは言えず「事変」と言いつくろったのですね。 「宣戦布告して戦争を起こす」こと自体が違法ですから。(中国や米国は攻められた側なので合法)

monica-g
質問者

お礼

>「宣戦布告して戦争を起こす」こと自体が違法ですから。(中国や米国は攻められた側なので合法) 宣戦布告して戦争を起こすのが、違法な行為だとはじめて知りました。勉強になりました、ありがとうございました。

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