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存在って概念ってどうなるの

1問目 宇宙の構造と宇宙の一部として認識体である意識があると思う だから、宇宙はフラクタルでないと完全には理解できないと思います フラクタルじゃなくてもいいと思いますか 2.よく決定的世界観とかあるけど、初期仮定の段階で偶然で、法則が確立したら、必然って解釈いいと思いますか 3.独立ってよく使われるじゃないですか 依存も、前提となる存在の概念ってどうなるの だって、存在するものが存在しないと仮定しての議論なんて何の意味があるの

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  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.3

>人間などを例とする意識体は宇宙の構造を理解するためには、意識の構造が宇宙の構造と1対1対応しなくてはならないと考えます そのためには、フラクタル構造が必要であると原理的に成り立つと思うんです それとも、フラクタルでなくてもいいのかどうかが疑問です 数学を研究される方ならではの厳密性の追及だと思いました。 貴女の他のレスも拝見しました。 僕には解りませんが、数学を高度に理解なさるのですね。 僕は意識のフラクタル構造ということは考えたことなかったですが、 (もっと単純にたまねぎ構造ととらえていました。) そう考えてみてもいいのではないかとも思えてきました。 貴女の思考内容と違うかも知れませんが、 以下に長くなりますが、愚考してみます。 お読み捨て下さい。 ◆実在について 大宇宙は「一元」で出来ております。 大宇宙は無限段階の「光波」の充満です。意識の充満です。 この「光波」が本当に存在する「実在」です。 貴女も僕も「自分」ですね。 「自分」とは この「光波」である「自」から 「分かたれた」存在です。 故に、貴女も僕も「実在」で、 遠い昔、同じところから生まれました。 「実在」は不滅です。よって、僕達は不滅です。 ◆生命進化経路 僕達個生命は、それぞれ、同じところから生まれ出て、 原始生命体、植物、動物、未開人類と 長年月をかけて様々な体を与えられ、経験し、 やっと今は、 不良人類(不良星と霊界を往復)の体で経験を積んでいます。 (実は、この上も少し経験しましたが落ちてきました。) この後、順調な生命進化経路をたどると、 優良人類(優良星と上級霊界を往復)、高級霊人、 高級霊、聖霊、神々へと、進化して行きます。 ◆僕達人間が、棲む(認識する)宇宙 僕達が認識できる光は30万Km/secのそれです。 この大宇宙の、あらゆる次元の中で 最も波動を鈍化・調整されて生じたのが 僕達の棲む三次元物理的宇宙です。 この世界は、個生命が、 比較的固定化された物質を認識の対象として、 他の生命と生き合う世界です。 ◆個生命 本質は自ら振動する生命超意識で「ひかり」です。 「こころ」の根源をなすものです。 それを多くの体験により、 様々な意識が層をなして、取り巻いるのでしょう。 ここではたまねぎ構造がイメージされます。 普段、五感で認識する個生命の姿形は、 その個生命が有する「叡智」の三次元的表現です。 叡智とはその個生命が進化するために与えられた属性です。 この物理的宇宙では、 意識は一表現形式として物質の形をとる、ということです。 ですから、肉体はあるレベルの「霊魂」の表現形式です。 ◆物質 物質も僕達の認識する極限は素粒子ですが、 その素粒子の実体も、波動であり、「念」です。 「念」は、今の心とも書きます。 素粒子も「光波」の変化したものです。 素粒子を、比喩として、 ちょうど「たつまき」をイメージするといいと思います。 遠く遠くから観ると何か粒子のように見えます。 たつまきの中に入ってみるとそれは激しい気流であり、 力であり、定常波です。 物質は主動的な意識は有していませんが、 受動的・対応的意識を有しています。 僕達はこれを生命とはいいませんが意識はあります。 ◆こころと物質 僕達の心の波動は、 この物質の形成前の波動に影響を及ぼしているのです。 僕達は気付いていませんが、 僕達の心が物質に影響を与えるのです。 一番身近な物質は体です。 健康体も病気も僕達の心が原因です。 人間の意識が高度に発揮されると、 物質を変質させたり、移動させたりすることができ、 いわゆる超能力の開顕となります。 ナスカの地上絵やピラミッドの建造も、この能力によります。 「想像」が時を経て、物理的「創造」となるのでしょう。 ◆フラクタル構造 以上、考察の結果、物理的宇宙は、 無数の生命達の「今」の表現形式にすぎない、 と考えるのですがどうでしょう? 大叡智者の創造による宇宙の中で、 無限数の生命達が、それぞれの役割を持ち、 フラクタル的な下位の創造を繰返しつつ進化している、 といえるのではないでしょうか? 長文になり、たいへん申し訳ないです。 読み流してください。

その他の回答 (6)

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.7

>自分が何を思うことがいいかという視点で考えてみると宗教とうまく付き合える方向を見出すことができるのでは と思いました これは、たいへん素晴らしい考え方だと僕は思います。 僕の言葉でいいますと、 自己の「欲」を捨て、「良心」で判断して、 「宗教」や「教え」は聴いてみる、 ということだと思います。 実は、かつて、僕は「見たい、聞きたい、知りたい」 という気持ちが先にたって、 ある団体の道徳や宗教の教えを信じ込み、 (~したい、という欲の心があるとそうなる) 酷い目に遭った苦い経験があります(特に宗教)。 反面、これで知りえたことも多々あり、 今となっては感謝しています。 真理を学んでゆくに際して重要なことは、 その教えを教説する人の心の中に、 本当に「愛」があるかどうかを見抜くことだと思います。 どんなに理路整然とした真理らしきものであっても、 教えを説く人に「愛」がなければ、偽物だと思います。

yumisamisiidesu
質問者

お礼

ありがとうございます. たしかに、教説する人の心を知ることも大切だと 思いますが、真実は、教説する人の心とは別に あるようにも思えます (唯物論的) ですから,「良心」で判断することも大切だと思います  それでもしよろしければ、 回答者様の(宗教的な観点に基づくなど)数学のあるべき についてのお考えを教えていただけないでしょうか 場所は下のURLでお願します http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1280086 (数学カテゴリの数学の体系という質問です)

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.6

観念論・・、そうかもしれません。 僕は、過去の哲人の考えを研究した訳ではありませんので、 いわゆる「観念論」がどんなものか知りません。 ただ単に、僕の思いの根底にあるものは、 「人間」より上位の発達段階にある生命もある。 人間も魂(心)の進化発展のために生きる永遠の生命である。 物質(肉体を含む)は、 その為に与えられた、ありがたい「道具」である。 人間同士クラスメート、皆んな仲良く学び合いましょう!! ということです。

yumisamisiidesu
質問者

お礼

ありがとうございます. > 人間同士クラスメート、 皆んな仲良く学び合いましょう!! という気持ちは大事ですね それで、(私の場合)やっぱり宗教の考えは、 科学的根拠を必要としない分 ついつい、信用しないという方向になりがちですが 心の持ち様の知恵を与えてくれると捉えるといいと思います だから、何を言ってるか理解しにくいけど、 自分が何を思うことがいいかという視点で考えてみると宗教とうまく付き合える方向を見出すことができるのでは と思いました

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.5

>宇宙=写像(意識) は前回のご回答と関係あるのでしょうか? はい、貴女が数学者なので、数学的表現を採ってみたつもり?? です。 ちょっと気取りすぎ・・、すみません。 でも、本当にそのような気がしてきています。 >人間などを例とする意識体は宇宙(の構造)を理解するためには、意識(の構造)が宇宙(の構造)と1対1対応しなくてはならないと考えます をより普遍化しまして、 (の構造)を取り除いて考えてみました。 意識による想像(そうぞう)が「原因」の「念」となり、 高次元レベルで物質に影響を及ぼし、 三次元レベルの物質世界に投影(変換)され、 「結果」として物理的に表現され、創造(そうぞう)となる。 ということなのですが・・・。 このことは、レベルは様々ですが、 心に思い描いたことが現実になる ということでは変わりないと思います。 ◆例              心から物への       写像   <意識> →     次元変換   →    <宇宙> 陶芸家のイメージ     土こね等製作    茶碗の創作 建築家のイメージ     図面・工事      住宅の創作 自分の心のイメージ   過去から今まで   自分の肉体 大叡智者のイメージ    原子・構成     物理的宇宙創造

yumisamisiidesu
質問者

お礼

ありがとうございます. 考え方が理解できます. ご回答のような考え方を要約してしまうと 観念論ということでいいのでしょうか?

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.4

宇宙=写像(意識)

yumisamisiidesu
質問者

お礼

ご回答とお心遣いありがとうございます. まだ、理解してる途中なのでお礼遅れそうです 宇宙=写像(意識) は前回のご回答と関係あるのでしょうか? ちなみに、数学用語にも「写像」という言葉はありますが、 宇宙や意識という意味で用いているとは思えません。 どういう趣旨からなのでしょうか? どうも宗教や哲学は理解に苦しむことが多いです

  • yoh001
  • ベストアンサー率34% (24/70)
回答No.2

yumisamisiidesuさん、こんにちは。 一度、回答にチャレンジしてみます。むつかしーー。 まとまりのない思いつき乱文で失礼します。 1問目 僕も、宇宙はフラクタルに間違いない、と思います。 フラクタル、即ち相似象。 天体を想い浮かべますと、 小系は中系の周りを自転公転し、 中系は大系の周りを自転公転し、 大系は大々系の周りを自転公転し、・・・ となっていますね。 この三次元物理的宇宙は 「一」なる大叡智者が 「生命」を育てるために創造されたものです。 宇宙は「生命」のための無限の「愛」のシステム。 宇宙には無数の恒星、惑星、衛星がありますが、 フラクタルと考えると全て、「星」ですよね! 宇宙は理をもって考えると、単純明快な構造であるようです。 そのほとんどに、様々な進化レベルにある「生命」が 棲息している!!! マサカ!? 昔、おばあさんが、 野良の帰りに太陽に手を合わせた意味、理解できますでしょう! 僕達は「愛」が無かったため、宇宙と隔絶され、 籠の中の鳥であったわけです! 江戸時代、ペリーの黒船がやってきて多くの日本人に、 外国人が「存在」に入ってきました。 そして今度は、宇宙から他の生命がやってきて多くの地球人に、 宇宙人が「存在」に入ってくるのでしょう。 僕達人間は、この物理的宇宙の構造を理解するのに、 身の回りを見つめ、 個と全体との関係を観察し、 類推することにより、無限への理解を進めるべく 図らわれていると思います。 僕達に身近なのは自分の体と60兆といわれる細胞との関係です。 細胞も各々意識をもっています。 もちろん、僕達地球人も、人間という形態の意識体です。 食べ過ぎてお腹が痛いのは、細胞がまず痛いと思い、 それを僕達に伝えている。 これはちょうど、僕達と地球との関係ですね。 「地球さん」も「地球」という肉体に宿る意識です。 と、ここまで羅列気味に書きましたら、はて・・ 何をかいていたのやら。 2、3問目は次にさせてください。

yumisamisiidesu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます. 非常に長いご回答だったので、読むのが大変でしたが、これからも率直なご回答お願いします > まとまりのない思いつき乱文で失礼します。 正直言って3,4回ほどご回答を読んでいましたが、 よく理解できませんでした でも、気にしないでください、 私の文章もかなり乱文なので、短くても分かりにくいと思います.そんな中でも貴重なご回答を得られただけで喜びです ですが、なんとなく、この宇宙がフラクタルの様相を成しているような考えを伺うことができたと思います そして、私は思うのです 人間などを例とする意識体は宇宙の構造を理解するためには、意識の構造が宇宙の構造と1対1対応しなくてはならないと考えます そのためには、フラクタル構造が必要であると原理的に成り立つと思うんです それとも、フラクタルでなくてもいいのかどうかが疑問です

noname#11839
noname#11839
回答No.1

神学、仏教、哲学等々の道を歩むものから回答させていただきます。結論から申しますと存在する者の認識自体に誤りがありますので、全ての質問には独自の貴方の回答で良いかと思われますが。それが真実かどうかという事になりますと、また別問題ですので。存在に対しての疑問に対しては天に唾を吐いてるというのが実情でしょう。言語による質問は最終的に言語による回答、それも誤った回答しか導きだせません。存在は言語を超越しているのです。しかし、この超越していると言う事自体に矛盾を孕んでいるのは言うまでも ありません。

yumisamisiidesu
質問者

お礼

ありがとうございます 大変、奥の深いご回答をいただきました. 哲学の上に数学有きと思いました これからも何でも教えて下さい でも哲学は大事だと思うマス

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