• ベストアンサー

行動

行動=刺激に対する反応 このような考え方が生まれてきた背景には「古典的条件付け」(パブロフの犬など)があるらしいのですが、 「オペラント条件付け」は関係あるでしょうか? 自発的行動についてのことなので関係ないでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Diogenesis
  • ベストアンサー率49% (859/1722)
回答No.1

「行動=刺激に対する反応」というのはいささか古めかしい定義のように思いますが, ワトソンの行動主義のことをおっしゃっているのでしょうか。 レスポンデント条件づけ(=古典的条件づけ)の源流はロシアの生理学者パヴロフの条件反射研究, オペラント条件づけの源流はアメリカの心理学者ソーンダイクの試行錯誤学習の研究です。 19世紀の末,ほぼ時を同じくしてパヴロフとソーンダイクはまったく独立にそれぞれの研究を開始しました。 ワトソンが行動主義を構想するにあたってこの両者の研究が大きな影響を与えたことは事実です。 そしてあらゆる行動を刺激に対する反応=反射の組み合わせで説明するという野望を抱いたわけです。 もっともワトソンの時代にはまだレスポンデントとかオペラントとかいった用語はなく,その区別さえ曖昧でしたので, 「『行動=刺激に対する反応』という考え方が生まれた背景にはオペラント条件づけがあった」という言い方は やや不正確ということになります。 ちなみに オペラントが「自発的」であるというのは「誘発刺激が特定されない」という意味であって, 「自由意志にもとづく」という含意はありません。

sisuado
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございました。 >>「行動=刺激に対する反応」というのはいささか古めかしい定義のように思いますが, ワトソンの行動主義のことをおっしゃっているのでしょうか。 『行動=刺激に対する反応』という考え方が生まれた背景について調べたいです。学校ではパブロフの犬の実験についての話を聞きました。それ以外で何かあるか調べていたらソーンダイク、ワトソン、スキナーなど、何人もでてきて『行動=刺激に対する反応』に関連しているのはどれだ??これはレスポンデントとオペラントどっちだ??と混乱してきてしまって・・・。

その他の回答 (1)

  • Sucher
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.2

 形而上からの考えなんですが、行動というある種の現象をですよね、生理学的に「反応」のごとき物理反応に還元するのはデカルト機械論その他のヨーロッパでの自由意志抹殺の風潮に端を発するのでないでしょうか。  このことは一般的にいくらでも言われていることなんですが、以下は取り立てて注目されていない流れと思うものです:つまりデカルトは人間と自然を分けて前者に精神・後者に機械を押し付けてヒトの特別視を成し遂げたかったはずなんですが、そこまではよく知られているんですが、その後19世紀にド=ラ=メトリ(仏)の人間機械論にいたって精神もひとつの生存手段であり≪足が歩く筋肉なら脳は考える筋肉にすぎない≫とまで来るんですよ。(19世紀末のニーチェが「意志が一つの能力であるという誤謬の大宿業」って書いてます。この人も自由意志を憎んだ。)で問題は、20世紀の精神科学の「99パーセント」(下條信輔)がラ=メトリの主義を採っているっていうんですよ。お答えなってます?  まともかく、行動から意志性を剥奪する考えは私も大好きで、ワトソンの例の本も読んだんですが、でもね、ワトソンを憎悪してるアーサー=ケストラーとか岸田秀とかの方が万倍おもしろいこと言ってるんですよ。行動から意志を抜き取ることは簡単なんですよ。社会学的には環境決定論って言いますよね。しかし自由もまた論理次第で十二分にありうる。っていうより岸田秀の「擬人論の復権」なんか読んでると人間を生理学的に還元することのバカさ加減よと思われます。  それとね、こういう話哲学の先生にすると叱られるんですよ。そんな議論は哲学が何百年もとっくにやってるってね。確かですよ。行動における意志性なんてね、カントの『実践理性批判』にとっっっくの昔に論じられてあるんですよね。まそれと近代自然科学的な論議とは装いが違うから区別しなあかんのですけど。  あれですよね、心理とは生理学に還元できて次に化学に最後は物理学に還元できるって現代の科学の信条を思い出しますね。私はワトソンの気持ちがわかるなあ。だって人間ってほんっとにバカというか、Aと入力してやったらBと出力しよりますもんね。私もそれで人付き合いやってます。人間なんてとことん論理的な生き物やなって毎日思う。巨視的にも、数千年間同じ歴史を繰り返す。そう考えるなら歴史というのは意味を持つ。歴史なんてなくて、人間は何をするかわからんというのはある意味大嘘ですな。こういう人間のアホさ加減に呆れたところから行動主義などが出てくると思います。まあ気持ちの問題はあなたへの回答になっていないでしょうが。ただね、生理学的一辺倒で行くと道徳とか自由とかそっちのけなってまうでしょ?ハンス=リューシュって人の動物実験弾劾書があるんですけど、これは単独に取出して人類史的価値がある本なんでけど、パブロフの動物実験が糾弾されているんですよ。でパブロフも他の動物実験者同様に人格的には欠陥のある男やったこともわかるそうです。(ワトソンが幼児にやった人体実験も糾弾されてます。)かたや行動における意志を抹殺したド=ラ=メトリは動物を尊重した文を書いてる。かたや実験科学者らは非人道性を見せる。こういった思想における道徳の疎外の問題を考える上で参考になる情報になればと思います。  ※ラ=メトリの『人間機械論』は岩波の古いやつで、楽天市場ぐらいでしか手に入らんと思います。余談で悪いんですが、アマゾンの英語サイトでこの『人間機械論』の数種の版の内の1つに書評がしてあって、この版は劣悪やから買うなって書いてあるんですよ!白人はハッキリ言うなあと感心しました。日本でこんな書評を一般読者が書くことはついになかろう。  すいませんごく短い文章で余談ばっかりで。とにかくあなたの質問に対しては、こんなドシロートの書くことじゃなくて、下條信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書)が決定的に参考になると思われます。というか私はこれしか知らん。(本書で下条が称揚するガザニガの動物実験も前掲書で叩かれてます。)

関連するQ&A

  • 古典的条件付けとオペラント条件付けについて

    古典的条件付けとオペラント条件付けについての原理が働いていると考えられる日常的な例はそれぞれないでしょうか?? パブロフの犬の話とスキナー箱以外の例でお願いします。 できればそれのどこがその原理に当てはめられるといえるのかも教えていただけると嬉しいです。

  • 行動療法について

    行動療法についてですが、古典的条件づけ(レスポンデント型条件付け)と道具的条件付け(オペラント型条件付け)の差異を教えてください。 初心者なもので分かりません。

  • パブロフ型条件づけとオペラント条件づけとの共通点

    パブロフ型条件づけとオペラント条件づけとの共通点がどうしてもわかりません。教えてくださいTT

  • 条件づけによって説明のできない行動

    スキナーは生体の行動をレスポンデントとオペラントに分けて説明しようとした聞きましたが、 いわゆるレスポンデント条件づけとオペラント条件づけで説明することのできない行動はあるのでしょうか。 またあるとしたら、どのような行動なのでしょうか。

  • 学習と条件付け

    いつも有難う御座います。 以前に質問に、まだお礼の返していないのですが、私にとって深い問題で、まだお礼をするのに時間がかりそうです。 この状態で次の質問をするのもどうかと思いますが、課題で切羽詰まってしまったので(笑)お許し下さい。  まず、学習について、ですが、鶏が鳴く様になるのは学習でしょうか? 学習は「経験」から得られるものなので違うと思うのですが、人間の子どもが喋れる様になるのは学習ですよね?  次に条件付けについてです。 どうしても、オペラント条件付けと古典的条件付けの違いがわかりません。 パブロフの犬とスキナーの箱で得られる結果の違いが分からないのです。何か例を挙げて下さい。 例えば、子どもがおもちゃを欲しがって泣く→買ってあえる→子どもは買ってもらえると思って泣く というのはどちらでしょうか?(課題から抜粋したものではありません) よろしくお願いします。

  • オペラント条件付け

    オペラント条件付けの基本的な4つの反応強化子随伴性の日常例を一つづつ挙げて、私たちの日常行動をオペラント条件づけがどのように説明するかについて述べなさい。と課題がでました。どなたかお助けください><

  • 条件付けと学校教育

    古典的条件付けと、オペラント条件付けの両者が、 どのように学校教育に生かされているかという点について とても疑問があります。 それぞれ、反応を導く手法として古くからあるにもかかわらず、 それが現実の社会、特に学校教育で生かされていないように 思いますが、どうでしょうか?

  • 古典的条件付けと道具的(オペラント)条件付けの違い

    古典的条件付けと道具的(オペラント)条件付けの違いがよくわかりません。どういうものなのか、という定義を教えていただけないでしょうか?

  • 古典的条件付けの事例について

    古典的条件付けと道具的条件付けについて…事例 今、教育心理学の学習理論について学習しています。 何冊か参考書もよみ、なんとなくわかったのですが、古典的条件付けの事例が思い浮かびません。 その事例が、「幼児や児童」の学習についてなのです。 何個か事例を見たのですが、 ・パブロフの犬の実験 ・ワトソンの赤ちゃんの実験 ↓ ・事例で梅干しやレモンを見ただけで唾液が出る これを幼児の学習の事例では書けないですよね?(汗) 子どもの行動が思いつかず、困っています。 ・火に触る→熱い→触らなくなる ・歯医者→痛い+機械の音+白衣やにおい→歯医者を怖がる これらは道具的条件付けの事例になってしまいますよね? 道具的条件付けなら、 「いいことをした→褒める→またする」 「悪いことをした→叱る→もうしない」 「だだをこねる→買う→まただだこねる」 のようなものでいいと思うのですが。 .

  • 古典的条件付けの刺激の種類について

    古典的条件付けの中でも、「パブロフの犬」についての質問です。 実験では、ベルの音という刺激をもちいていますが、ベルの変わりに人間の声でも同様の効果が得られると仮定できるのでしょうか? 例えば、日常生活においては犬に餌をあげる前にいつも「ごはんだよ」と犬に話かけると、犬は「ごはんだよ」という言葉と餌の関連を学習し、「ごはんだよ」の言葉を聞くだけで唾液を分泌するようになる。 この様に考えるのはあやまりでしょうか? もし何か、声での実験に関する文献がありましたら、紹介していただきたいです。 経験的には、「ごはん」という単語を発しただけで、今までこちらを向いていなかった犬が、こちらを振り返り、尻尾をふったりするので、あり得ることだとは思うのですが。 どうぞ、御回答よろしくお願い致します。