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産業革命前夜のイギリス経済について

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お礼率 33% (82/248)

およそ1700年~1750年代の間に、農業発展にともなう大衆購買力の上昇があったと勉強しました。このころ、
(1)穀物輸出国への転換
(2)農業人口割合の低下
(3)農業生産力急上昇
があるとも勉強しました。
ここで疑問なんですが、
どうして農業人口割合が低下するのですか?輸出国へ転換するということは、もっと生産を増やさなくてはいけないということですよね?それとも、農業生産力の上昇によって、農業人口の減少に伴う生産物の減少分を上回る生産が可能なのですか?(1)(2)(3)の因果関係と、順番を簡単に教えてください。お願いします。
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  • 回答No.2

イギリスの産業革命では.その下地として.重商主義の発達がありました。
重商主義の流れの一環として.産業革命を考えています。

イギリスは.へんぴな農村であり.特に産業らしきものはありませんでした。が.植民地を持つようになり.原料供給地区と製品市場としての植民地が確保され.産業発展の基盤となりました。
初期の英国では.主な輸出品が羊毛製品です。製品を生産販売しているのは英国の地方の豪族(貴族・領主等)です。囲い込み前はみずからの領土内に.領民を住まわせ.領民の生産物を販売して生活を立てていました。その中で.羊毛製品の市場価値が上昇し.豪族はみずからの利益を確保するために作付けを変更しました。つまり.各種農作物を作りある程度の自給自足生活を送っていた領民を追い出し.柵を作り柵の中で羊を飼うようになったのです。
これが.囲い込み運動です。農村での生産性が向上しました。が.住まいを追われた旧領民は.都市部に移住しスラム街を構築して行きました。
都市計画の成功例の見本としてイギリスの都市計画があげられます。この都市計画の考え方は.農村部に住む豪族が都市部に出かけて仕事をする。沿道には商店が並び.その奥に都市系住民が居住する様子が描かれます。この状況です。沿道の商店は.食い物がなくのた打ち回る都市系住民・糞尿を捨てる場所がなく室内に積み上げている都市系住民の生活を為政者である農村部に住んでいる住民の目に触れないようにする目的があります。
この後に産業革命が始まるのですが.この内容は省略します。

一方為政者でもある農村の豪族は.羊毛製品の輸出によって富を貯えて行きました。一方では.植民地からただ同然で原料が供給され.工業生産が盛んになってきました。初期の重商主義では.工業生産を盛んにするために障害となる海外製品の輸入規制を主体とする重商主義が取られましたが.貿易業者への富の蓄積は貿易業者の利益保護を主体とする重商主義へと変化し.イギリス工業は衰退しました。

簡単に言えば.貧乏人の食い物(自家消費の為に生産性が向上しない)を作らなくして.都市部に追い出し飢え死にさせ.輸出商品を専門に作るようになって売り上げを伸ばした(農業生産性が向上した)という内容です。
ただ.この内容が.いつ頃の内容が年代を覚えていません。

英国の日本に知られているような経済学者の著作ならば.当時の様子がよくえがかれています。囲い込み.つまり牧畜経営を推奨した経済学者.都市計画を推進させた経済学者.重商主義を唱えた経済学者.色々いますので適当に見つけてよんで下さい。
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  • 回答No.1

1700年代と囲い込みの時期と.どちらが先でしたか.一致していますか.ちょっと思い出せないのです。 教えていただけませんか。 ...続きを読む
1700年代と囲い込みの時期と.どちらが先でしたか.一致していますか.ちょっと思い出せないのです。
教えていただけませんか。
補足コメント
cosmopolitan

お礼率 33% (82/248)

「囲い込み」という言葉は、初めて聞いたので分かりません。申し訳ありません・・・・。ただ、基本的なことしかやっていないのは確かなのですが。もしよろしかったら、レスください。
投稿日時 - 2001-07-17 13:44:13


  • 回答No.3
レベル12

ベストアンサー率 66% (447/668)

おっしゃられる「穀物輸出国への転換」というのが、どの程度のものなのか、つまり継続的なものなのか、一時的なものなのか、がわかりませんが、産業革命で、農村から都市部への人のシフトによって農業人口の比率が低下したにも関わらず、増加した人口を相当程度賄うだけの農業生産の増加はあったので、農業生産性の向上をもたらした「農業革命」と呼ばれる過程をご説明します。(但し、イングランドの例です。) 従来は、農業革命は ...続きを読む
おっしゃられる「穀物輸出国への転換」というのが、どの程度のものなのか、つまり継続的なものなのか、一時的なものなのか、がわかりませんが、産業革命で、農村から都市部への人のシフトによって農業人口の比率が低下したにも関わらず、増加した人口を相当程度賄うだけの農業生産の増加はあったので、農業生産性の向上をもたらした「農業革命」と呼ばれる過程をご説明します。(但し、イングランドの例です。)

従来は、農業革命は、第二次囲い込み(18世紀後半~19世紀前半)の結果としての資本家的大規模農業経営として、産業革命とほぼ同じに起きたものとされてきましたが、最近では、もっと複雑で長い過程と考えられています。

その元は16世紀半ばにはじまり、19世紀半ばまで続いたと考えられる「農業革命」は三つの段階にわけられます。

1. 第一段階(~17世紀半ばまで)
カブなどの根菜、クローバー・ツメクサなどのマメの系統の作物が、穀物生産の間作として導入される。
→(地味の回復が早まり)休耕地の減少、家畜飼料の生産量の増加
→農業の生産性の向上

2. 第二段階(~18世紀後半~19世紀前半)
第二次囲い込みにより、より規模の大きな農場が徐々に増加。資本の蓄積とその農業生産への投下により、生産性は上昇

3. 第三段階(1830~1860年頃)
人工肥料の投入、粘土質の土地の排水事業など、資本集約的な農業生産の拡大

産業革命と農業革命との関係で言えば、それが同時に起きたものではないにせよ、少し長い目で見れば、「農業革命は、非農業人口の比率が高まる為の前提条件を作った」とは言えると思います。

尚、「囲い込み」(Enclosure)については、一般向けのイギリス通史か、大きな百科事典になら、きっと載っていると思うので、ご自分で勉強される事をお薦めします。
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