• ベストアンサー

“小論文”800文字にどうしても到達しなくて困って

“あなたの考える保育者像について” というテーマで書いております。 800字程度との事ですが、690字程度しか書けていません😭 ここから文章を付け足し、最低でも730字程まで伸ばしたいと考えています。 宜しければアドバイスをお願い致します、、😭 また、既存の文章の改善点がありましたら是非教えて頂けると幸いです😭 よろしくお願いします。 私の考える保育者像は、子どもの目線に立ち、常に寄り添えるような柔軟性を持った人物です。保育者には子どもたちが抱える様々な感情や思いを理解し、その一つ一つを真っ直ぐに受け止め、適切な対応をすることが求められます。動画内での「子どもの気持ちを受け止めて寄り添う関わりを大切にする」という言葉は、私の考える保育士像と強く合致し印象に残っています。 子どもたちの心の成長や自己肯定感を築くためには、保育者が子どもたちの感情や思いに共感し、適切に対応することが不可欠です。 保育者は、一人一人の子どもたちが持つニーズや個性を理解し、臨機応変に対応する能力が求められます。保育者はその多様性を受け入れながら、適切な関わりや声がけをする必要があります。また、子どもたちが自信を持ち、安心して自己表現できる環境を作るためには、保育者の姿勢が極めて重要だと考えます。子どもたちが自らの感情や考えを表現できるように、保育者は子どもたちをサポートし……(思い付きません😭) このように、保育者としての役割は非常に重要であり、保育者の姿勢や行動が子どもたちへ大きな影響を与えます。そのため、保育者は常に学び、成長し続けることが必要です。

noname#260493
noname#260493

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • agehage
  • ベストアンサー率22% (2552/11348)
回答No.1

「保育者は子どもたちをサポートし……(思い付きません😭)」に続けまして (ここからお勧め追加文章) ・・・サポートし、子供達の個性を伸ばせるように、時には影となり、時には先導し、臨機応変、すなわち柔軟な対応が必要だと思うのです。 しかしご両親から大切なお子様をお預かりしている立場でもあり、理想だけの行動の前に、お預かりしているお子様達の安全を第一にしなくてはなりません。 子供がやりたがっていること、子供の目標であることでも、安全より優先させることはありません。保育者とは子供の安全が第一なんです。それを根底に持ってこそ、保育だと思います。 この個性を伸ばす、しかし、安全である、時には矛盾することもあると思います、それを柔軟性を持って勤めていくのが、私の理想とする保育者です。 (ここからこの質問に対する嫌味。論文ではない) 私は子供がおります。保育園に通わせました。良い先生に恵まれて、とても良い保育をしていただきました。 そんな経験の中で思うことは、まずは「安全ありき」なのです。 それが一切浮かばないというのはいろいろ不安を感じました。 保育士を目指す学生さんならば、今一度、「百点満点の保育士」が何かお考えください。 転んで膝を擦りむいても、たんこぶを作っても、お友達と喧嘩しても、全然構いません、それは保育園の先生が信用できたから心配にはならないのです 「小さな怪我で済んだ」のが理想の保育士さんだ思います そしてそれができるバランス感覚?判断力?それこそ柔軟性だと思います あなたにとって嫌な文章に聞こえるかもしれませんが、子どもを預ける側の一番大切なこと、今一度考えてみてください。 そしたらこんな論文、スイスイ書けますよ 相談者さんを応援してるからこそ、保育士を目指す方に聞いて欲しいから、こんな回答をしたことを、あなたも子供を預ける立場になった時に、思い出していただければ幸いです

noname#260493
質問者

お礼

アドバイスの程ありがとうございます😭 保護者様の側から離れ、自宅より長い間過ごす事になるであろう保育園で、安全性と言うのは一番重視されるべきである事を改めて再認識させて頂きました。 文章を埋める事に焦りすぎて、保育者として本当に大切な事を書く事が出来ませんでした。 保育士を目指すものとして有り得ません😭 回答者様の言葉を真摯に受け止め、自分を戒めます。ありがとうございます😭

その他の回答 (1)

  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1846/8847)
回答No.2

ここ「子どもの目線に立ち、」を詳しく書いてみるのはどうですか? 読む側もここに注目すると思います。 逆に「あなたの思う{子どもの目線に立ち、}とは何ですか?」と質問された場合を想定し、具体例を2つくらい書き足すと良くなるのではないでしょうか。

関連するQ&A

  • 小論文の添削をお願いします。

    もうすぐ保育系の大学受験を控えています。 周りに添削してくれるひとがおらず、困っています。 よければ添削お願いします。 50分 / 600字 題 子どもが幼稚園や保育所といった集団の中で過ごすことの意義についてあなたの考えを述べよ。 幼稚園や保育所は、子供にとって初めての集団生活の場である。幼少期にはだんだん自我が芽生え、そういった子どもたちが集まり生活をすることで、自分の意見を言い合ったり、我慢したり、時には喧嘩をしたりして、他人とのコミュニケーションの方法や思いやりの精神を育てる。 例えば、一つのオモチャを二人の子どもが取り合っているとする。二人はお互いに自分なりの意見を持っていることだろう。初めは上手く言葉にすることができず、喧嘩をしてしまう。しかし、保育者の助けを借りつつ相手の意見を聞き理解し合うことで、初めて相手の気持ちを知り反省し、一緒に一つのオモチャで遊ぶかもしれない。そういった経験を重ねていくことで、一人一人に思いやりの気持ちが芽生え、他人を大切にすることができるようになる。 幼少期の子どもたちは、幼稚園や保育所の中で、自分と暖かく接してくれる保育者との関わりを初めとし、その充実した生活の中で自分のやりたいことに挑戦でき、安心感を持って取り組むことができる。また、友達との関わりの中で嫌なことや嬉しいことなどの様々な経験をしたり、保育者や友だちと同じ空間で生活したりすることで、共に生活することの楽しさや難しさを経験できる。このような理由を踏まえ、私は集団生活の場はとても大切であると考える。

  • 小論文の添削

    テーマ:こだわり  こだわりとは、個性を表現することであり自分にしか持っていない考えや感情のことであると私は考える。こだわりをもつことで、相手に自分の気持ちや考えをわかりやすく伝えることができる。相手のこだわりを知ることで新しい個性を発見することにもつながる。そのため相手との距離が近くなり、親密な関係になることができる。  私のこだわりは自分の意見を相手に理解してもらうまで伝えることである。中学生の時国語の授業で一つの課題について討論する授業があった。課題は相手に気持ちを伝える場合、手紙と電話のどちらが良いかである。クラスの中で二つの意見に分かれ討論した。その時私は手紙の意見の立場として最後まで自分の意見を貫き通した。自分の意見を相手にわかってほしかったからである。自分の意見を最後まで貫き通すことで相手に自分がどんなことを普段考えているかを知ってもらうことができた。この体験を通して自分の思っていることや感じていることを相手に知ってもらうことの大切さを学んだ。相手のこだわりを知ることで相手の気持ちや感情を知ることができた。個性を言葉で表現することで、自分の存在を相手に伝えることができる。  料理屋には店長のこだわりがたくさんつまっている。内装やメニューや味である。店長の思いがたくさんつまっている。お客さんは、こだわりの味を求めてやってくる。それが忘れられない味となる。一方で最近、個性を見失っている人が多い。個性を表現する手段の一つに服装がある。だが雑誌の流行に流されて、周りの人と同じ服装を身につける人がいる。それでは自分の個性を表面に表すことができない。服装に個性を表現することで、お互いの趣味や感情を受け取ることができるのである。  以上のことを踏まえ、こだわりは個性を表現することであり、他の人にはない自分だけの考えや感情のことである。今後、貴学に入った際には学業や行事やサークル活動に積極的に取り組み人と人とのふれあいを大切にしていきたいと思う。 添削おねがいします。

  • 小論文の添削をお願いします 急いでます ;;

    「食育」を推進する上で、「食を楽しむ姿勢を養う」ということの大切さが 指摘されています。この指摘に対するあなたの考えを自身の経験などの具体例を 交えながら述べなさい。(600字以内)  私は「食を楽しむ姿勢を養う」ことは大切 であると考える。  誰かと食卓を共にし一緒に楽しみながら食 事をすることでコミュニケーションを深めて いくことができるからである。最近、日本で は家族揃って食卓を囲むことが減ってきてい て、約4割は孤食である。家族と同居してい るにもかかわらず両親が共働きで帰りが夜遅 いことが原因のひとつとして考えられる。  私は小さい頃から母に食事は皆で食べた方 がおいしいと教えられてきた。だから私の家 では朝は皆の時間がばらばらなので夕食だけ でも皆揃って食べるようにしていたが私は習 い事を始めてから週1で帰りが遅くなってい た。そのためその日だけは1人で食べていた がやはり皆と食べる時よりおいしさが感じ られなかった。この経験から私は1人で食事 をすることの淋しさを理解した。先ほど述べ た孤食への対策としては、1日でも家族が揃っ て食事ができる時間をつくるべきである。食 事をする時は1人より2人、2人より3人で 「おいしい」を共感することが大切なのだ。 また、家族で食卓を囲むことで礼儀や作法も 身につけていけるだけでなく、家族の1日の 出来事や学校や仕事の話をしたり聞いたりす る中で家族とのコミュニケーションを深めて いき、子供ならば人格形成にもつながってい くだろう。  以上のことから私は「食を楽しむ姿勢を養 う」ことは大切であると考える。

  • 小論文の間違えなおしお願いします。

    小論文の間違えなおしをお願いします。 今年、高校受験を控えています。 小論文の練習をしているのですが、自分では間違えなおしができないので、皆様にしていただきたいとおもいます。 よろしくお願いします。 課題は、次の文章を読んで、『世界』に対する筆者の見解について、あなたはどのように考えますか。 800字以内で述べなさい。 (課題文はこちらにアップしてあります→http://ameblo.jp/a-star0o0o7/entry-10191492207.html) -----ここからです----- 筆者は、今日の世界は常に争いがあり、敗れた国は経済や農業、文化が破壊されていくものであるため、世界というものを新しく考え直していかなければいけない、と考えている。 では、世界というものをどのように考え直すことが大切なのだろうか。 私はまず、世界を一つの国として考えることが必要だと思う。 全てを一つと考えることで自分たちの国ばかりでなく、他国のことも意識しなければならない。 そのように他国への気配りができるようになり、争うことよりも、相手国の事情を考慮した結果を出すことができるようになる。 また、世界は全体で自国を支えてくれているという考えを持つことも必要だ。 一つの国だけで国民が生活していくうえで必要なものを全て得ることのできる国などそうそうないと考えられる。 この日本という国を例にあげると、石油などといった化石燃料はほぼ輸入にたよっているし、バナナなどといったよく口にするものも店頭に並ぶものを見れば、外国産のものしか見あたらない。 日本を例にあげたが他国も同じような状況であるだろう。この中で争いばかりをしていたら、相手国に影響が出るのはもちろんだが、自国にも何かしらの影響が出るだろう。 なので、自国が成り立っているのは、他国のおかげであるということをもっと考えなければならない。 したがって、自国のことばかり考えて世界を生きていくのではなく、他国との結びつきをよく知った上で、その国々との協調性と感謝の気持ちを持つことが、今日の世界というものの考え方を変えていく上で必要となることだ。 自己中心的な考え方ばかりを持っていると人と付き合うことは難しいだろう。 国と国の間でも同じだろう。 自己中心的な考え方ばかりでは、国との間で関係が小さくなっていく一方だ。 そういった考え方をなくすことが最も必要であると私は考える。 (794文字) お願いします!

  • 「子ども・子供」、「歳・才」意味は異なりますか?

    今、保育士試験の勉強中です。 常に気になっていたんですが、法律の中で「子供」は「子ども」と表現されています。 この二つの言葉は意味合いが違うのでしょうか? 年齢の表示も「才」ではなく「歳」などと表現されています。 100字以内で答えなさい、等という記述等で文章中に「才」と記述したらチェックされて直されてしまいました。 チェックされる程の事なのか~、と驚いてしまいました。 以上2つの素朴な疑問を抱いています。 教えてください。

  • 推薦理由書の添削お願いします(保育科)

    今、高校の推薦委員会に提出する志望理由書を書いているのですがなかなかOKがもらえません。 なので、添削をお願いします。 〆切が近いので至急よろしくお願いします(^^;) 保育士になりたい理由:私は中学校のとき職業体験で保育園へ行きました。そこで保育士の体験をしている時にこども達に慕われている先生がいて、その先生は一人一人を理解して的確に対応し、こども達を笑顔にしていました。その姿を見て、一人一人をしっかりと見つめて理解し、保護者の次に近くでこどもの成長を助け、それを感じることができる保育士という仕事に魅力を感じました。 理想の保育士像:私は一人一人の個性をみつけ、いいところをしっかり伸ばして、こどもにたくさんの可能性ができるように同じ目線に立って物事を考えることができる保育士になりたいと思います。 このあと、学校を志望する理由をかくのですが、ここまでで何度考えても「高校生としての志望動機になっていない」と言われてしまうので、問題点を教えていただけると嬉しいですm(_ _)m よろしくお願いします!

  • 小論文の要約

    『次の文章を300字程度で要約しなさい。』 という問題なんですが、全然まとめられません…。 『「学校」という制度は、もともとは明治期に西欧から輸入した「近代国家(国民国家)システム」の一つの要素でした。 では19世紀の西欧諸国における「学校制度」とは何だったのかというと、それは「産業革命によって成立した資本主義社会を支えるために必要とされた制度」だったのです。 まず学校が誕生して、そこで十分な教育を受けた市民たちが資本主義社会を築いたのではなく、最初に産業革命が起こって資本主義社会が成長し、それを維持・拡大するために全国民への学校教育が求められたのです。 産業革命が最初に起こったイギリスでは、労働者階級の子供を工場で長時間働かせる資本家があいついで現れ、また人口が集中しはじめた都市部にはスラム街が形成され、犯罪や貧困が増加して社会問題となりました。そこで、これらの都市部労働者階級の子供に対する初等・中等教育が必要とされたのです。 つまり、資本主義社会に適応できる大勢の労働者を産みだすために、全国民に対する境域が必要不可欠となったのです。ですから、学校は子供に読み書きだけでなく道徳観念をも教えなければならなくなりました。神への信仰心を教える代わりに、国家への忠誠心・愛国心を養う必要も生まれました。また、優秀な労働者を揃えるため、数学や理科といった科学知識を子供に教える必要も生じました。産業革命によって、人間はそれまでよりはるかに多くのことを学ばなければ社会に適応できなくなってしまったわけです。 さらに、「学問を修めて労働することによってどのような出自の人間でも立身出世が可能になる」という個人主義的な立身出世主義を教える必要も出てきます。つまり、資本主義社会を生きることに希望を見出してもらおうということです。民衆がそのような希望を失えば、働かない人々が増加して資本主義のシステムが停滞してしまいます。』 どなたかヒントなどいただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。

  • 小論文(いじめについて) 添削してくれませんか?

    大学受験を控えている高校生です。 いじめの考察と対応について小論文を書いてみました。 厳しいアドバイスで結構です。 よろしくおねがいします。  ⇒                          何匹ものひよこを狭いケージに閉じ込めると、大きいひよこは小さいひよこをつつく「いじめ」を始め、時には死にも追いやってしまうという。人間社会をみてみると、今の日本社会は閉塞感に包まれていると誰でも思うに違いない。いつの時代でもいじめはあったというが、今日のいじめの陰湿さはこれまでにみないほどである。実際、去年の中学生の自殺の原因となった、同級生によるいじめは極めて卑劣なものであった。いじめには諸原因あることが明らかになってきているが、その根本的原因はなにかを見極め、それを改善する事でいじめの影響は縮小できると考える。  いじめの最大の原因は、いじめる側にあるのは間違いないが、なぜいじめてしまうのか、それをまずは考えなければならない。コミュニティの空洞化や核家族化、勉強のストレスに過激なゲームの影響もあるだろう。このような状況下では、相談でき、頼れるような人がいない子供は決して少なくないだろう。つまり子供は、心の拠り所がないからいじめにはしってしまうのではないだろうか。その上、いじめにおいてはそれ止める役目にあるはずの学校が機能していないのは、教育委員会や校長、教員を包括した体制のいじめに対しての仕組みに問題があるからだろう。教育委員会は、いじめのない学校を「良い学校」とし、その学校の校長や教員も評価する。つまり、いじめの告発や撤廃をするか否かは学校内で、自己利益と一緒に秤にかけられてから決定されるのである。これでは、いじめの実態は把握されにくく、教員らが気づいても彼らが見てみないふりができてしまう。その結果、「無視」されてしまった生徒を自殺へと追い込んでしまうのであろう。  これより、主として二つの点を改善することが求められる。第一に子供の心の拠り所をつくることで、いじめ自体が起こるのを防ぐことができるだろう。たとえば、学校にカウンセラーをおいてみてはどうだろうか。専門家なら、生徒や状況の理解も早く、生徒も安心して相談できるだろう。これより、学校側も的確な対策も立てられるに違いない。第二に、いじめへの体制の刷新も重要である。いじめが起こってしまった場合に、先生がほかの教員や校長、そして教育委員会に迷うことなく相談できる仕組みが望ましいだろう。そこでは、学校側がいかにいじめをなくすことができたかなど、いじめの有無ではなく、いじめへの姿勢が評価されるべきだ。したがって、学校や校長、教員が自己利益といじめを話して考えられる環境を整えなければならない。  いじめはいじめられた方の心にも、いじめた方の心にも一生傷が残ってしまう。今日のように複雑化した社会からいじめを完全になくすことは非常に難しい課題かもしれないが、子供の閉塞感などの心情がすぐにいじめにつながらないよう防ぐことはできるはずだ。もしいじめが起きた場合でも、体制が整っていれば学校は整然と対応することができる。これまで起きてしまった自殺の原因を深くまで突き止めることで、さらに適切な改善策をたてることができると考える。

  • 自己PRをチェックしてください!(やや長文です)

    現在修士一年生で、文系就職をしています。 履歴書の自己PR欄に以下のようなことを書いているのですが、客観的にどのように読まれますか? 具体的にお伺いしたいことも2つあります。 まず、これは自己PRとしてふさわしいものなのでしょうか? 普通「私にはリーダーシップがあります」のような書き出しを目にしますが、それとは方向性が異なるのかなぁ、と思うと、自己PRにはならないのかと不安に思います。 また、この文章には具体性がありません。 よく「具体的なエピソード」などと本にはありますが、あまりに日常の意識なので、結果らしいものが思い浮かばないのです。以下の文章は約200字で、よくこの程度の文字数を求められるのですが、この中にも具体例を組み込むことが必要なのでしょうか。 よろしくお願いします。 (自己PR) 「自分の意思を必ず伝えること」これは、私がコミュニケーションをする上で常に意識している姿勢です。 たとえ相手が目上の方でも、マイナスの要素を含んだ内容でも、相手の意思をそのまま受け入れるのではなく、私自身の意思もきちんと伝えます。 その上で十分に話し合い、お互いをより深く理解しあえることこそ、コミュニケーションの最大の面白さであると考えています。 社会人になってもこの姿勢を大切にしていきたいです。

  • 小論文の間違いなおしをお願いします。

    小論文の間違えなおしをお願いします。 今年、高校受験を控えています。 小論文の練習をしているのですが、自分では間違えなおしができないので、皆様にしていただきたいとおもいます。 よろしくお願いします。 課題は、次の文章を読んで、『世界』に対する筆者の見解について、あなたはどのように考えますか。 800字以内で述べなさい。 (課題文はこちらにアップしてあります→http://ameblo.jp/a-star0o0o7/entry-10191492207.html) -----ここからです----- 筆者は、今日の世界は常に争いがあり、敗れた国は経済や農業、文化が破壊されていくものであるため、世界というものを新しく考え直していかなければいけない、と考えている。 では、世界というものをどのように考え直すことが大切なのだろうか。 私はまず、世界を一つの国として考えることが必要だと思う。 全てを一つと考えることで自分たちの国ばかりでなく、他国のことも意識しなければならない。 そのように他国への気配りができるようになり、争うことよりも、相手国の事情を考慮した結果を出すことができるようになる。 また、世界は全体で自国を支えてくれているという考えを持つことも必要だ。 一つの国だけで国民が生活していくうえで必要なものを全て得ることのできる国などそうそうないと考えられる。 この日本という国を例にあげると、石油などといった化石燃料はほぼ輸入にたよっているし、バナナなどといったよく口にするものも店頭に並ぶものを見れば、外国産のものしか見あたらない。 日本を例にあげたが他国も同じような状況であるだろう。この中で争いばかりをしていたら、相手国に影響が出るのはもちろんだが、自国にも何かしらの影響が出るだろう。 なので、自国が成り立っているのは、他国のおかげであるということをもっと考えなければならない。 したがって、自国のことばかり考えて世界を生きていくのではなく、他国との結びつきをよく知った上で、その国々との協調性と感謝の気持ちを持つことが、今日の世界というものの考え方を変えていく上で必要となることだ。 自己中心的な考え方ばかりを持っていると人と付き合うことは難しいだろう。 国と国の間でも同じだろう。 自己中心的な考え方ばかりでは、国との間で関係が小さくなっていく一方だ。 そういった考え方をなくすことが最も必要であると私は考える。 (794文字) お願いします!

専門家に質問してみよう