- ベストアンサー
ワルシャワ・ゲットー
実話に基づく映画を見ての疑問です。 ユダヤ人は強制的にワルシャワ・ゲットーに集められて住まわされます。 やがて他の場所の収容所への移送が始まり、主役の家族はゲットーを逃げ出します。逃げ出した人たちをかくまってくれる人がちょくちょく現れるのですが、かくまっているのがバレたらその人たちもも処刑です。 そんな状況でもかくまってくれる人の国籍はなに人だと思われますか。その点がよくわからないまま見終わりました。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
関連するQ&A
- 杉原千畝がユダヤ人にビザを発行した目的は?
杉原千畝が無制限にピザを発給したのは1940年7月~9月なのですが、 この当時はまだホロコーストの大量虐殺が行われておらず、ワルシャワゲットーも封鎖されていませんでした。強制収容所への移送は1942年7月です。 結果的には多くの命を救った事になりましたが、ピザを発給している時にはこれが命を救う事になるとは杉原は予想できなかったはずです。 とすると、杉原がユダヤ人にビザを発行した目的は何なのでしょうか。
- 締切済み
- 歴史
- 杉原千畝は英雄か。
杉原千畝の「命のピザ」の発給と、ドイツのユダヤ政策を時系列で並べると下記のようになります。 1933年 1月:ヒトラー、首相に就任 1933年 4月:ユダヤ人の公職追放 1934年 8月:ヒトラー、総統に就任 1935年 9月:ニュールンベルク法制定(ユダヤ人の市民権剥奪) 1938年11月:水晶の夜事件 *1939年 8月:杉原、リトアニア副領事に着任 1939年 9月:ドイツ軍ポーランド侵攻、第2次大戦の開始、ワルシャワ陥落 1940年 6月:ソ連軍がリトアニアに進駐 *1940年7月:杉原のビザ無制限発行 1940年 8月:ソ連がリトアニアを併合 1940年9月:杉原、リトアニアから強制退去。 1940年10月:ワルシャワゲットーへのユダヤ人強制移住開始 1940年11月:ワルシャワゲットー封鎖 1943年 4月:ワルシャワゲットー蜂起 1942年 1月:ヴァンゼー会議(ユダヤ人絶滅政策を決定) 1942年 7月:絶滅収容所へのユダヤ人移送開始(虐殺の開始) 1944年 ?月:ラウル・ワレンバーグがユダヤ人を救う 1944年 ?月:オスカー・シンドラーがユダヤ人を救う 1945年 5月:ヒトラー自殺、第3帝国の崩壊 杉原がビザを発行した当時は、まだユダヤ人絶滅政策は決定しておらず、ワルシャワゲットー封鎖さえ行なわれていなかった事がわかります。 結果的には多くの命を救った事になりましたが、ピザを発給している時点ではこれが虐殺から命を救う事になるとは杉原には予想できなかったはずです。 ワレンバーグやシンドラーは自分の身の危険を顧みず絶滅収容所から虐殺寸前のユダヤ人を救ったのはまさに英雄的行為といえますが、杉原の場合は本当に英雄と言えるでしょうか。 日本国内で杉原が英雄視される理由を教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 【歴史の捏造】杉原千畝について
ナチスの虐殺から多くのユダヤ人を救ったとされる杉原千畝ですが 杉原の命のビザ発行とナチスのユダヤ人政策を時系列で並べると下記のようになります。 1933年 1月:ヒトラー、首相に就任 1933年 4月:ユダヤ人の公職追放 1934年 8月:ヒトラー、総統に就任 1935年 9月:ニュールンベルク法制定(ユダヤ人の市民権剥奪) 1938年11月:水晶の夜事件 *1939年 8月:杉原、リトアニア副領事に着任 1939年 9月:ドイツ軍ポーランド侵攻、第2次大戦の開始、ワルシャワ陥落 1940年 6月:ソ連軍がリトアニアに進駐 *1940年7月:杉原のビザ無制限発行 1940年 8月:ソ連がリトアニアを併合 1940年9月:杉原、リトアニアから強制退去。 1940年10月:ワルシャワゲットーへのユダヤ人強制移住開始 1940年11月:ワルシャワゲットー封鎖 1943年 4月:ワルシャワゲットー蜂起 1942年 1月:ヴァンゼー会議(ユダヤ人絶滅政策を決定) 1942年 7月:絶滅収容所へのユダヤ人移送開始(虐殺の開始) 1944年 ?月:ラウル・ワレンバーグがユダヤ人を救う 1944年 ?月:オスカー・シンドラーがユダヤ人を救う 1945年 5月:ヒトラー自殺、第3帝国の崩壊 これを見ると、杉原が命のビザを発行した当時は、ユダヤ人絶滅政策は決定しておらず、ゲットー強制移住さえも始まっていなかったことが分かります。 杉原にはビザの無制限発行がユダヤ人の命を救うことになろうとは予想も出来なかったはずです。 恐らく、リトアニアへのソ連の進駐で、ユダヤ教の信仰を禁止される事を恐れたユダヤ人達が宗教の自由を求めての国外脱出のために杉原の元へ殺到したのが事実ではないでしょうか。 要するに杉原は、ユダヤ教信仰のために尽くしてあげた優しい人であって、 絶滅収容所からユダヤ人達の命を救ったワレンバーグやシンドラーと並び称されるほどの人物ではありません。 ですが日本では、杉原はナチスの横暴に義憤を感じ自分の職を賭してでもユダヤ人の命を救おうとビザを無制限に発行した日本のシンドラーだ、ということになっています。 これは、日本の都合のよい歴史の捏造です。 史実を無視した厚顔無恥さはまるで韓国のようだと思ってしまいます。 日本人として恥ずかしい限りです。 ユダヤ教信仰のために尽くしてあげた優しい人、で良いのではないでしょうか。 それを余計な尾ひれをつけて偉人に仕立て上げようとする根性が気に入りません。 恐らく杉原も天国で困惑していることだと思います。 皆さんはこの歴史の捏造についてどう思いますか?
- ベストアンサー
- 歴史
- ナチスドイツ、ユダヤ人の歴史について、解釈できないところがあります。
ナチス・ドイツの歴史やユダヤ人の虐殺などの歴史について知りたくて資料を探したり、ネットで調べています。でも基本的なことが理解されてなく、ネットでの情報を見ても最初から意味がわからなかったりします。そこで質問です。 ある資料でユダヤ人のことについてこのような文がありました。 「ワルシャワ・ゲットーに、ユダヤ人が、皆殺しにあっているというニュースが届いたとき、そこにはもう少数のユダヤ人しか残っていませんでした。しかし、彼らは、モルデハイ・アニエレヴィッツをリーダーとして、地下組織を作り、1943年4月19日、武器を持って立ち上がりました。成功する希望はありませんでしたが、むざむざとではなく、戦って死ぬという目的だけがありました。 武器はほとんどなく、戦える人数もはるかにおよびませんでしたが、戦闘は数週間にわたりました。ドイツ軍はついにゲットーに火を放ち、完全に破壊しました。生き残ったユダヤ人は皆収容所に送られ、ワルシャワ・ゲットーは完全に破壊されました。 ほかのゲットーや収容所でも、抵抗運動が起きました。白ロシアやユーゴスラビアなど、ナチスと戦う軍隊に加わることができる地域では、ユダヤ人がドイツに対する戦いに参加しました。」 質問1 この後半の、「白ロシアやユーゴスラビアなどナチスと戦う軍隊にくわわることができる地域ではユダヤ人がドイツに対する戦いに参加した。」この意味がわかりません。そもそも、ユダヤ人とひとくくりに言うけど、ドイツに対するたたかいって、どこにいるユダヤじんですか?ナチスとはドイツ軍ですよね?ドイツにすんでいるユダヤ人がドイツの国家に苦しめられて憎んで、ドイツと敵対の国に付きドイツとの戦いに参加したという意味ですか? 質問2 あと、ドイツの東と西では経済や全然ちがうのですよね?東ドイツがナチス政権ですか?では西はなんですか?西はユダヤ人やゲットー地区で、経済もなにもないというかんじですか? すみません教えてください。自分なりにしらべて解釈してるつもりなんですが、すぐこんがらがります。なるべくわかりやすい言葉で教えていただけたら幸いです。お願いします
- ベストアンサー
- 歴史
- ナチス政権下のユダヤ人の運命
第二次世界大戦のドイツ・ベルリンで、ユダヤ人が強制収容所に移送されそうになりましたが。市民や家族の猛抗議で移送が取止めになったと聞きました。 その出来事は如何呼ばれていますか?それを扱っている本や、リンクがあれば教えてください。 多分、それは1943年頃に起こったと思います。
- 締切済み
- 歴史
- 映画からの感想。ナチスの虐殺の仕方本当?
映画「戦場のピアニスト」を見て疑問に思いました。 あれは脚色されてはいないですか? いくらゲットーの中でユダヤ人といっても、街中で人を殺して、軍法違反にならないのでしょうか。殺すのが目的だとしても、ユダヤ人に油断させるために絶滅収容所に送ってから殺す方がウワサにもならないと思うのですが。 正規国防兵かSSか特攻かゲシュタポとかその辺の違いがあるんでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- なぜ日本の戦犯は、生き延びているのか?
ニュールンベルグ裁判 平和、人道に対する共謀罪を適応 ユダヤ強制捕虜収容等の罪でドイツ22人組織の長被告席にて開廷。 起訴の証拠資料には、連合軍の手に渡ったユダヤ強制捕虜収容記録画像(ジョン・フォード監督)を異例で画面に突き付けた。 22人とも最初は自分はなんと無罪だと主張。 要は正義なんか問題ではなく、強者であるかどうかが重要だと。 よく日本人右翼聞いといて。 ブルトーザーで、素裸、やせ細ったユダヤ人死体を地面の穴に押し突っ込んでいく様子を見させられ、ドイツ将校ども仁王立ち。 ユダヤは金融で儲けていたのが気に食わなかったと。 日本は、極一部が処刑されただけだが、ドイツは70歳、80歳であろうと共謀罪にあたる元軍人は処刑されている。 なぜ日本の戦犯は、生き延びているのですか。
- ベストアンサー
- ニュース・時事問題
- ホロコーストと他国(ヨーロッパ)の動き
ホロコーストの際の他国(ヨーロッパの国々)の動きについて知りたいです。 ホロコーストwikipedia・「ヴァンゼー会議とユダヤ人問題の最終的解決」より引用↓ ヨーロッパに住むユダヤ人1,100万人という数がハイドリヒによって確認され、その「最終的解決」なるものが決定された。ドイツ領内には230万人のユダヤ人、ハンガリーには85万人, 他の占領地域には110万人、ソビエトには500万人の合計650万人を、アウシュビッツなどの強制収容所に列車で送る計画が承認された とのことなのですが このようにナチスが他のヨーロッパの国々からユダヤ人を摘発する時、ナチスとその国との間に交渉のようなものがあったのでしょうか? <<アウシュビッツなどの強制収容所に列車で送る計画が「承認」された>> というからには、ユダヤ人移送計画の交渉、取引があったのでしょうか?(つまり、ユダヤ人の売り渡しというか取引のようなもの)あるいは、ドイツ軍が占領地として勝手にその国に侵攻→ユダヤ人連れ去り。でしょうか? もう一つ、ホロコーストが起こっていたとき他のヨーロッパ国は何をしていたのでしょうか?ヨーロッパのドイツ以外の国でユダヤ人摘発が起きていた時、デンマークはユダヤ人を収容所に移送させずナチスの手から逃れさせた国だと思いますが他にもこういう国はあったのでしょうか?? 他の国々は連合国軍と同じようにホロコーストは行われていると薄々知りながら(堂々知りながら?)黙殺していたのでしょうか?確かポーランドでは抵抗運動が結構あったと聞いたような・・・・ あるいはホロコーストの際の他国の動きについて知る事ができるような資料・書籍がありましたら教えて下さいませm(_)m よろしくお願いします
- 締切済み
- 歴史
- ナチスはユダヤ人とユダヤ教どちらを迫害したの?
ユダヤ人とは、ユダヤ教徒のことをいう、どの国の人でもユダヤ教に改宗すれば、ユダヤ人となれると教えてもらいました。 そうしましたら、ヒットラーはユダヤ教を迫害したのでしょうか?ユダヤ教から他の宗教に改宗すれば強制収容所に入れられることはなかったのでしょうか? また、ゲルマン民族であってもユダヤ教を信じていた人は、ヒットラーは迫害したのでしょうか? すみませんが、お教えいただけましたら助かります。 よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- 歴史
- ユダヤ人収容所からの集団脱走の映画
映画「大脱走」は連合軍兵がドイツ軍の捕虜収容所から集団脱走した史実を元にした面白い映画ですが、ユダヤ人の一般人がナチスの強制収容所より集団脱走した史実(ユダヤ人集団脱走の唯一の成功例らしい)を元にした感動する映画を昔テレビ(地上波)で深夜に見ました。タイトルを忘れました。分かる方教えて下さい。
- ベストアンサー
- 洋画
お礼