歴史の捏造:杉原千畝とナチスのユダヤ人政策

このQ&Aのポイント
  • ナチスの虐殺から多くのユダヤ人を救ったとされる杉原千畝ですが、彼が命のビザを発行した当時は、ユダヤ人絶滅政策は決定しておらず、ゲットー強制移住さえも始まっていなかったことが分かります。
  • 杉原はユダヤ教信仰のために尽くしてあげた優しい人であり、絶滅収容所からユダヤ人達の命を救ったワレンバーグやシンドラーとは異なる存在です。
  • 日本では杉原はナチスの横暴に義憤を感じ自分の職を賭してでもユダヤ人の命を救おうとビザを無制限に発行した日本のシンドラーとして語られていますが、これは日本の都合のよい歴史の捏造です。
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【歴史の捏造】杉原千畝について

ナチスの虐殺から多くのユダヤ人を救ったとされる杉原千畝ですが 杉原の命のビザ発行とナチスのユダヤ人政策を時系列で並べると下記のようになります。 1933年 1月:ヒトラー、首相に就任 1933年 4月:ユダヤ人の公職追放 1934年 8月:ヒトラー、総統に就任 1935年 9月:ニュールンベルク法制定(ユダヤ人の市民権剥奪) 1938年11月:水晶の夜事件 *1939年 8月:杉原、リトアニア副領事に着任 1939年 9月:ドイツ軍ポーランド侵攻、第2次大戦の開始、ワルシャワ陥落 1940年 6月:ソ連軍がリトアニアに進駐 *1940年7月:杉原のビザ無制限発行 1940年 8月:ソ連がリトアニアを併合 1940年9月:杉原、リトアニアから強制退去。 1940年10月:ワルシャワゲットーへのユダヤ人強制移住開始 1940年11月:ワルシャワゲットー封鎖 1943年 4月:ワルシャワゲットー蜂起 1942年 1月:ヴァンゼー会議(ユダヤ人絶滅政策を決定) 1942年 7月:絶滅収容所へのユダヤ人移送開始(虐殺の開始) 1944年 ?月:ラウル・ワレンバーグがユダヤ人を救う 1944年 ?月:オスカー・シンドラーがユダヤ人を救う 1945年 5月:ヒトラー自殺、第3帝国の崩壊 これを見ると、杉原が命のビザを発行した当時は、ユダヤ人絶滅政策は決定しておらず、ゲットー強制移住さえも始まっていなかったことが分かります。 杉原にはビザの無制限発行がユダヤ人の命を救うことになろうとは予想も出来なかったはずです。 恐らく、リトアニアへのソ連の進駐で、ユダヤ教の信仰を禁止される事を恐れたユダヤ人達が宗教の自由を求めての国外脱出のために杉原の元へ殺到したのが事実ではないでしょうか。 要するに杉原は、ユダヤ教信仰のために尽くしてあげた優しい人であって、 絶滅収容所からユダヤ人達の命を救ったワレンバーグやシンドラーと並び称されるほどの人物ではありません。 ですが日本では、杉原はナチスの横暴に義憤を感じ自分の職を賭してでもユダヤ人の命を救おうとビザを無制限に発行した日本のシンドラーだ、ということになっています。 これは、日本の都合のよい歴史の捏造です。 史実を無視した厚顔無恥さはまるで韓国のようだと思ってしまいます。 日本人として恥ずかしい限りです。 ユダヤ教信仰のために尽くしてあげた優しい人、で良いのではないでしょうか。 それを余計な尾ひれをつけて偉人に仕立て上げようとする根性が気に入りません。 恐らく杉原も天国で困惑していることだと思います。 皆さんはこの歴史の捏造についてどう思いますか?

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質問者が選んだベストアンサー

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回答No.7

ビザ発給とナチスの脅威は無関係と言えそうですね さらに穿った見方をすれば、杉原がソ連通であったことと、ビザ発給には金品の授受が少なからずあったということを考えると、 杉原のほうからユダヤ人側へビザ発給の見返りに金品の要求を持ちかけたのかもしれません。 とすると杉原は偉人どころか、人の弱みに付け込んで甘い汁を吸おうとしたチンピラ役人だったと言えます。

Beholders
質問者

お礼

それはちょっと飛躍しすぎのような気がしますが ありがとうございました

その他の回答 (6)

  • booter
  • ベストアンサー率34% (269/769)
回答No.6

こんばんは。 歴史を客観的視座から見つめなおし、日本を正当な立場から見つめなおすBeholdersさんの姿勢は正しいと思います。 日本礼賛一辺倒の思考には危険性を感じます。 ただ、Beholdersさんの情報も一辺倒であるような気がしてなりません。 一辺倒な情報から結論を出すのは性急であります。 他の回答者の回答に加え、私からも次のお話しを提供しておきます。 杉原千畝の命のビザは日本主導で仕立て上げられた偉人論ではありません。 政治家鈴木宗男氏が杉原千畝の名誉回復をやった後、アメリカに同氏が行った際、シカゴ商品取引所の会長が鈴木氏の隣を離れない。どうしてだかを探るとスギハラ・サバイバルの一人の系列であったということです。 http://electric-heel.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-b97e.html もっと検証作業が必要でしょう。

Beholders
質問者

お礼

回答ありがとうございます 立場が変わればその人物に対する評価が変わるのは当然のことだと思います ビザによって結果的に助かったことになった人たちにとっては感謝感激なのでしょうね。 杉原には命を助けようとする気はなかったのに。

回答No.5

>恐らく、リトアニアへのソ連の進駐で、ユダヤ教の信仰を禁止される事を恐れたユダヤ人達が宗教の自由を求めての国外脱出のために杉原の元へ殺到したのが事実ではないでしょうか。 まず、ポーランドをはじめとするドイツ占領下のユダヤ人が東欧からの脱出のためソ連が占領していたリトアニアへ移動します(この段階で、貴方の言う、ソ連がユダヤ教の信仰を禁止というのが間違いであることがわかると思います。なぜなら彼らはリトアニアにいた訳でなく、脱出のためにリトアニアへ行ったのです) 後の説目は不要ですよね。 さて問題はもう一つで、あなたの書いてある年表にも問題があります。 ポーランド占領地域に住むユダヤ人をできるだけ追放し、ゲットーへの送致が始まったのは39年12月です。 さらに、ユダヤ人国外移住政策の開始は39年初頭です。 このように都合のいい時系列だけを抜き取って、@@は捏造だという主張には同調することはできません。 きちんと真実の目を持って歴史を直視しましょう。

Beholders
質問者

お礼

回答ありがとうございます 当時のポーランドはドイツとドイツ領のチェコスロバキア、ルーマニアとソ連とソ連領のリトアニアに国境を接していました。要するにリトアニア以外に選択肢がなかったからなんでしょうね。 1939年12月に移送開始されていたというゲットーはどこのゲットーなのでしょうか。ゲットー名を教えてください

noname#204885
noname#204885
回答No.4

もし杉原千畝の行為が、日本の都合の良い歴史の捏造であるならば、日本国内では持ち上げられても、肝心のユダヤ人からは鼻にもひっかけられない筈です。 実際はどうか? アメリカのユダヤ人団体が作っているJEWISH VIRTUAL LIBRARY(ユダヤ人のためのバーチャル図書館)の中に、ホロコーストに対して最後まで正義を貫いたRescuers(救済者)56名のリストが載っているページがあります。 http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/Holocaust/righttoc.html もちろんEmilie SchindlerとOskar Schindlerの名前は挙がっています。 日本になじみの深かった聖者コルベ神父(Maximilian Kolbe)も載っています。 そして日本人として唯一、Chiune & Yukiko Sugiharaの名前も。 これを見れば、杉原千畝が取った行為が偽物だったのか本物だったのか、もはや明らかでしょう。

Beholders
質問者

お礼

回答ありがとうございます 結果的には命が救われたのですから助かったほうとしては感謝感激なのでしょうね。 杉原には命を助けようというつもりはなかったのに。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

http://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/faq/area/europe.html 外務省では 「通過査証は、行き先国の入国許可手続を完了し、旅費及び本邦滞在費等の相当の携帯金を有する者に発給する」との指示にある要件を満たしていない者に対しても通過査証を発給したと承知しています。 以上引用 と、認識している。 あるいは http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol80/ 「第二次世界大戦時,ナチスドイツに追われたユダヤ系避難民に日本通過査証(ビザ)を発給し,多くの生命を救った」

Beholders
質問者

お礼

回答ありがとうございます で?

回答No.2

ニュールンベルグ法が制定された時点で既にユダヤ人の迫害なんて始まってました 言うならヒトラーが生まれるずーっと前からユダヤ人は差別と迫害の対象だったんですよ? ヒトラーはそれを公に認めただけ 杉原はそれを知ってたからユダヤ人を逃がしたんですが… まさか知らなかった?わけじゃないよね 日本人なのに

Beholders
質問者

お礼

回答ありがとうございます あなたの言う迫害とは、虐殺のことですか?市民権剥奪のことですか? それはドイツ領内の話ですよね。どうしてソ連領内のユダヤ人がナチスに怯えなければならないのでしょうか。 当時のソ連はドイツと不可侵条約を結んでおりました

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9577)
回答No.1

Beholdersさん、こんばんわ。 確かにリトアニアではナチスの迫害はまだなかったかもしれませんが、もうドイツ国内やポーランドでは行われていたと思います。だから、ユダヤ人たちにとってはドイツやソ連が自分たちを迫害することはもう理解していたのでしょう。だから、ポーランドやリトアニアから脱出したかったのでしょうね。また、当時フランスやイギリスだってユダヤ人のことを嫌っていました。ヨーロッパでは基本的に異教徒扱いで嫌われていたのです。外務省の訓令を無視してビザを発行した時には第2次世界大戦がはじまっていたのです。ユダヤ人の中にはポーランドやドイツ国内から逃げてきた人もいたのではないかと思いますから、杉原は、ユダヤ教信仰のために尽くしてあげた優しい人というだけでワレンバーグやシンドラーと同じだと思います。 下記のURLを参照してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D

Beholders
質問者

お礼

ありがとうございます リトアニアはソ連の進駐でソ連領となっています。当時、ドイツとソ連は不可侵条約を結んでいたので、リトアニアにいればナチスの脅威は皆無のはずです。つまり杉原の元にビザを求めて殺到したユダヤ人たちはナチスの影を恐れていたわけではないのです

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