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杉原千畝は英雄か。

杉原千畝の「命のピザ」の発給と、ドイツのユダヤ政策を時系列で並べると下記のようになります。 1933年 1月:ヒトラー、首相に就任 1933年 4月:ユダヤ人の公職追放 1934年 8月:ヒトラー、総統に就任 1935年 9月:ニュールンベルク法制定(ユダヤ人の市民権剥奪) 1938年11月:水晶の夜事件 *1939年 8月:杉原、リトアニア副領事に着任 1939年 9月:ドイツ軍ポーランド侵攻、第2次大戦の開始、ワルシャワ陥落 1940年 6月:ソ連軍がリトアニアに進駐 *1940年7月:杉原のビザ無制限発行 1940年 8月:ソ連がリトアニアを併合 1940年9月:杉原、リトアニアから強制退去。 1940年10月:ワルシャワゲットーへのユダヤ人強制移住開始 1940年11月:ワルシャワゲットー封鎖 1943年 4月:ワルシャワゲットー蜂起 1942年 1月:ヴァンゼー会議(ユダヤ人絶滅政策を決定) 1942年 7月:絶滅収容所へのユダヤ人移送開始(虐殺の開始) 1944年 ?月:ラウル・ワレンバーグがユダヤ人を救う 1944年 ?月:オスカー・シンドラーがユダヤ人を救う 1945年 5月:ヒトラー自殺、第3帝国の崩壊 杉原がビザを発行した当時は、まだユダヤ人絶滅政策は決定しておらず、ワルシャワゲットー封鎖さえ行なわれていなかった事がわかります。 結果的には多くの命を救った事になりましたが、ピザを発給している時点ではこれが虐殺から命を救う事になるとは杉原には予想できなかったはずです。 ワレンバーグやシンドラーは自分の身の危険を顧みず絶滅収容所から虐殺寸前のユダヤ人を救ったのはまさに英雄的行為といえますが、杉原の場合は本当に英雄と言えるでしょうか。 日本国内で杉原が英雄視される理由を教えてください。

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  • phantom1
  • ベストアンサー率24% (184/748)
回答No.3

当時まだ強制収容所はありませんが、ニュールンベルク法によってユダヤ人が迫害されていた事は事実です。年表だけを見ていると当時の世相や雰囲気は想像し難いかも知れませんが、だからこそドイツから国外に脱出を図るユダヤ人が多数存在したのです。殺される事が確定した人間を助ける行為は英雄的で、これから身に危害が加えられる可能性が高いが、まだ確定的ではない人間を助ける行為はそうでない、と言うのはどうにもお役所的発想ではないでしょうか。 確かに杉原のビザ発給は領事館に押しかけたユダヤ難民達の異様な雰囲気に身の危険を感じた故の行動ではないか、との見方もあるようですが、少なくとも杉原は外務本省の指示に反してビザを発給したのですから、自分の地位を危険に晒しての行動である事は認められます。 さらに、杉原を英雄視しているのは当のユダヤ人達であり、日本人がそれを知るのは戦後随分経ってからなので、日本人の独りよがりと言う訳では無いでしょう。

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質問者

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ありがとうございます! >お役所的発想ではないでしょうか。 仰るとおりです。 ユダヤ人が彼を英雄視するのは理解できます。

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  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.17

ドキュメンタリーは、再放送がないと同じものは見られないですが、NHKでもなんどか敗戦当時のドイツ軍に関するものを(特集はドイツにフォーカスしているとは限らないが)やっているので、埼玉のNHKのライブラリーにはあるとおもいます。 真実、いや事実(何がおきていたか)をみたいなら、ぜひ調べてみてください。

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質問者

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ありがとうございます! 参考になりました。

回答No.16

questmanANo.15さんが全てをいっていてくれています。≪偶然溺れている人に出くわした。さあ助けなきゃ!といった心境が一番近いのではないでしょうか。理屈やイデオロギー等の問題ではなく、「義」の世界ですね。≫こういう先輩を、ある団体に四十年以上いましたとき(もう50年前に開始した)にたくさん出会い、今も支えの一つにしていますが、やはり普通の気持ちで、普通人として、普通の生活の中で、何も顧みないで、こういうことをやっていくことのすさまじい状況は、英雄の一種です。今まで使い慣れてきた英雄という言葉からは違和感はありますが、そんな英雄ばかりが英雄ではなく、心の日常で、自分を普通に生きられる人は、やはり英雄という言い方がされるような、人類の意識になりたいと存じます。

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質問者

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ありがとうございます! 参考になりました。

  • questman
  • ベストアンサー率30% (111/365)
回答No.15

こんにちは。杉原さんは年表に現れる以前にすでに各種の情報で察知していた可能性があります。日本軍がヨーロッパにもスパイ網を張り巡らせていたことはご存知ですよね?外交官という職位も当然リーガル・イリーガルに関わらず様々な方面から情報が集まりますので、ナチスが実行に移す前に気付くことができたのではないでしょうか?当事者に聞くのが一番ですが、おそらくそのような職位の人に限って知り得た事を墓場まで持って行ってしまっているはずですね。 それから彼の行った事は「外交官(すなわち公務員)」としては失格のことなんです。要するに本国政府の命令から逸脱したわけで、むしろおとなしくユダヤ人を見殺しにしていれば彼は以後も順調に外務省内で出世を遂げ、平凡な役人人生をまっとうしていたでしょう。 杉原さん自身もそれは多分覚悟の上だったと思いますが、ユダヤだドイツだという人種に拘らない純粋な「義侠心」での行動だったと思います。 あとづけで「何か損得勘定があったのだろう」とか「ほかの人の方が多く救った」とか言う人もおられますが、これらは全て「コロンブスの卵」です。そういう人に限って恐らく自分が杉原さんの時代に杉原さんの立場だったら、同様の行動は起こす勇気は無いと思います。 それから質問者様の「英雄」という表現も違和感がありますね。彼は英雄になりたくて救ったわけではないですから。例えば海岸を歩いていて 偶然溺れている人に出くわした。さあ助けなきゃ!といった心境が一番近いのではないでしょうか。理屈やイデオロギー等の問題ではなく、「義」の世界ですね。 ニートだゆとりだといいますが、杉原さんのような人がこれからも日本人の中からたくさん生まれてくれればいいなと思っています。

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質問者

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こんにちは。 ありがとうございます! 参考になりました。 杉原の場合は、海岸を歩いていて溺れるかもしれなそうな人を救った、と言えそうです。

  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.14

「人道の丘」を知っていますか? テキスト上(歴史上)の出来事を時系列にならべると書かれたような流れになるのでしょう。しかし、当時現地で起こっていたことを描いた映画やドキュメンタリーでみると、ドイツ軍が街に入っていったシーンや、彼らの高圧な態度、またドイツ軍人や兵士が「おまえはユダヤ人か」と問い詰めるシーンをみつけることはそれほど難しいことではありません。 そのドイツも、ドイツの負けが見えてきたころには、ソビエトの空爆から身を隠すドイツ兵、ソビエト兵が地上からもドイツ兵を探し回り、見つからないように逃げ回り隠れるドイツ兵なども、映像にみつけることができます。 実際その後、彼らは捕虜として集められますが、まだ今日のように捕虜の扱いがオープンではなく世界的な情報のネットワークも満足ではない時代ですので、彼らはなにをされるかがわからずかなり不安だったと思います。 その時の人間の心理(恐怖・不安・絶望)を考えると、それが政治的手続きが踏まれているかではなく、身の危険を感じたという部分ではユダヤ人もドイツ人も同じと私は感じます。 特に当時の拷問・尋問の過酷さ残酷さを知っている人々には、「人道的」な部分の救いが必要だと考えたのでしょう。実際彼は、政府の意向に背いています。 なので彼の生誕地には、彼の人道的な行為を記念(しるすという意味)して「人道の丘」という名前がついています。 http://www.town.yaotsu.gifu.jp/spot/sugihara/sugihara.html ただ日本で英雄的に扱われているのでしょうか。ユダヤの人々のあいだではそうかもしれません。

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質問者

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ありがとうございます! そのドキュメンタリーをご紹介いただけないでしょうか。

  • tosugi
  • ベストアンサー率53% (8/15)
回答No.13

 杉原が英雄かどうかはさておき、別の時系列で考えると、杉原がビザを発給した40年の7月は、ドイツが破竹の進撃をしており、日本国内でも陸軍を中心にドイツの尻馬に乗ろうと同盟を進めている時です。勿論独ソ戦も始まっておらず、ドイツが勝ち続けた場合の我が身の不利益は計り難かったと思います。逆にワレンバーグやシンドラーが行動しているのは、既にドイツの敗色が濃厚となった44年です。シンドラーらの身の危険を考えれば、単純に比較できませんが、杉原の強い意志は評価すべきだと思います。

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ありがとうございます! 杉原がビザを発行したリトアニアはソ連の勢力圏内かと思います。

回答No.12

≪英雄は「英傑で雄大」な、他人にまねの出来ないことをする特殊な存在≫もご見識ある定義なのですが、私は自分を普通の通りに、生き抜くことが出来た人、そういう人は英雄であらざるを得ないと存じます。ガンディーにしろ、そのたの偉人にしろ英雄でしょう。中々普通の人にはできないでしょう。そういう意味で、杉原氏本人は英雄とか偉人とかなんとか言われるのは、好まないであろうし、気持ちに合わないでしょうが、そういうことは周りがいうことであって、そう普通にはそういう行動が取れないものだということから、他人が賞賛の意味から、ある種の英雄とか偉い人というのは、それほど奇異なことでもないのではないでしょうか。ご存命の現役の鈴木議員さんですか、この方を今問題にはしていないのだし、杉原氏を発掘した業績は評価しても、偉人とかいうのは定着は未だだと存じます。場所が違うと存じます。お気持ちは十分理解しますが

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ありがとうございます! 参考になりました。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.11

杉浦氏は、結果的に英雄行為を行った人だとは思いますが、現在のイスラエル人やイスラエルという国の運営を見る限り、ユダヤ人を助ける必要が有ったのか疑問です。 現在の中東情勢、パレスチナ人迫害、イスラエル人のあの性格の悪さ、などなどを考えた場合、杉浦氏の行為は、現在の世界情勢の悪化に加担した行為とも思われます。

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ありがとうございます! 参考になりました。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.10

 英雄視している方も居られるかもしれませんね。  私は『英雄』だとは考えていませんが・・・。  英雄は「英傑で雄大」な、他人にまねの出来ないことをする特殊な存在。  杉原さん本人は必ず否定されるでしょう。普通人が、人間の一生でたまた出遭ってしまった運命に、自分が自分であることに正直であったという短い時間を持っただけだと。    自分が自分に正直に生きて死んでいく多くの人の中で、たまたま戦争前夜の外交官と言う特別な舞台に居合わせることになっただけと言うことで。  日本に帰ってきてからは、外交官を事実上やめさせられ、普通の人として過ごされましたし。  普通の人間が、たまたま出遭ってしまった運命的状況の中で、自分に正直であり続けた尊敬出来る『人』です。

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回答No.9

ANo.7なんですが。鈴木宗男さんの選挙活動そのたの写真を見たことがあり、あの方が杉原千畝の偉さを発掘して、偉いというのはわかります。そういう面があったということで。ANo.7は杉原千畝やいろんな偉い人が、偉いというみんなの話や、そういう偉いという理解ができるからとて、ANo.7も同じに偉いのだとは少しもしてないことをどうか付言させてください。ガンディーやいろんな人の偉さをきちんと理解し、暑かった、印度民衆の凄さや偉さはガンディーと同じ偉さなのでしょうけれども。イエスの前にも魁みたいにたくさんの聖者がおられるからなのか、イエスや釈尊の前や周りには何百というイエスや釈尊がいるのだということは聞いたことがあります。ただすごいなぁと思っている、ANo.7みたいなのには恐れ多いにもほどがありすます。

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  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6343)
回答No.8

杉原千畝は偉いです。日本の英雄です。 このような人道主義者を日本人として誇りに思います。 そして杉原千畝の名誉を回復させた鈴木宗男も偉いです。 鈴木宗男のことをぼろくそに言う人が多く、残念に思いますが、彼は実行力があります。鈴木宗男のことを悪く言う前にどうして他の政治家は杉原千畝の名誉を回復させなかったのか? 杉原千畝の名誉を回復させた鈴木宗男は偉い。

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