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黒船 金貨 小判 比率を確認した人

こんにちは 歴史人物を探しているのですが 黒船が来日して、日本が外国と貿易を始めたころ 日本の小判に含まれる金の量と、外国の金貨の量の比率を、米国?から勝手に決められてしまい、日本の金がどんどん外国へ流れてしまい それを食い止めるために、日本と米国(すみません、米国じゃなかったかも)の双方の立会人の元、正式に金貨と小判の金の比率を確認する試験を行うことを求めた、日本の人物がいたと思うのですが、誰だったでしょうか? まーえにテレビで観ただけの記憶のため、うろ覚えです。 ちなみにそのときの逸話として、相手から「金貨と小判の一部を切り取って、その比率を確認するだけでどうか?」と求められたところ その人物は物怖じせず「そんな曖昧な試験は認められない。正式にちゃんとした1枚の小判と金貨を用意して試験を行うべき。」と主張したそうです。 そしてその結果、小判と金貨の明確な金の比率が分かり、見事日本の金の流出は食い止められたそうです。 この人物が分かりましたら、どうかご回答よろしくお願いいたします。

  • 歴史
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みんなの回答

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (379/1173)
回答No.4

既出の回答に有りますように、小判と1$金貨を溶かして、金の 含有量でレートを決めたのは、小栗上野介ですね。 小栗上野介で検索すると数多ヒットします。 明治維新での最大の失策は有能な官僚である小栗上野介を殺した 事です、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの如く、殺す必要のない官僚 を殺してしまったのです、しかも、利根川の河原で斬首刑にした のです。 ------------------------------------------------------------------------- 幕末に小判が流出したのは、金と銀のレートが東アジアでは1/ 4 で欧州では1/ 10でした、これを利用されたのです。 南北戦争が終了した米国では大量の鉄砲が余っていました、それを 日本で売りさばいて、ロシアから購入したアラスカの支払いの一部 に当てました。

  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2184/4839)
回答No.3

>日本の人物がいたと思うのですが、誰だったでしょうか? 幕府勘定奉行だった、小栗上野介忠順ですかね。 ただ、明治政府からは「逆賊扱い」で処刑されているので最近まで日陰の存在でした。^^; 処刑しないで、政府の重要役職についていればもっと早く近代化が出来たでしようね。 幕末、横須賀造船所を計画・建造したのも彼ですから・・・。 東郷平八郎は、「日ロ戦争に勝利できたのは、小栗上野介忠順が造船所を建設したからだ」と戦後に小栗上野介忠順の子孫を労っています。

回答No.2

小栗さん。 です。 小栗旬じゃなくて、 小栗さん。 米国のカラクリを見事に 見抜いて、平等な取引に しました。 当時、日本の小判、大判の 製造技術が素晴らしく 不純物少なく、ズッシリと 初期の小判、大判は、厚みもあって 重たかったのです。 それに目をつけた外国人が、 日本の金貨を集め出したのでした。 それほど、日本の金貨製造が 優れていたのです。 まさか、お金の硬貨に金が 使われていようとは、外国人は、 ビックリしたようです。 だから、黄金の国ジバングと 日本は呼ばれていたのです。 よって、 日本の金が、 海外にどれほど、流れたのか、 かなりの凄い量だったらしく、 その後、 小判、大判は、 薄く薄く、製造されて、金の比率も 少なくなって、 いったわけです。

回答No.1

安政5年(1858)「日米修好通商条約」の批准書交換に遣米使節の一員として派遣された幕臣・小栗上野介です。 この新聞記事に詳しいです。 上毛新聞視点 オピニオン 「米国相手に貫いた主張 小栗の通貨分析実験」 高崎学博士 渡辺丈夫 https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/228482

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