ok9608 の回答履歴

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  • 科学と宗教の未分化について

    科学と宗教の未分化な状況とはどのようなものでしょうか?? 具体的な例をわかりやすくお願いします。

  • 恥と権力

    恥が権力から生まれると小耳にはさんだのですがメカニズム的にどんな感じなんでしょうか? 封建主義のときのやんごとなき人はみんなに囲まれて生きているので恥がないってのは何となくわかるのですが、下々はどのように恥を内面化するのでしょうか?

  • 恥と権力

    恥が権力から生まれると小耳にはさんだのですがメカニズム的にどんな感じなんでしょうか? 封建主義のときのやんごとなき人はみんなに囲まれて生きているので恥がないってのは何となくわかるのですが、下々はどのように恥を内面化するのでしょうか?

  • 哲学の人文科学及び社会科学の中の位置づけについて

    哲学を学ぶということは、人文科学の諸分野を支える根幹的な思想を学ぶということに等しいですか? 例えば、自然科学の中で数学を学ぶというように。数学のあらたなる真理の扉を開けるのは、至難の技にしても、数学は数学以外の自然科学の諸分野の基盤や基盤以上の物を提供しているように。つまり数学が自然科学の諸分野・土台を支えてるいるのとイコールのように、哲学を人文科学・社会科学の研究の諸分野を支える根幹的なものと認識についての是非を教えてください。私のこの議論が全くもって的外れなら、どれ位的外れかまたどのように的外れで実際はどうなのかをご教授ください。 もう一つだけ追加でお願いします。自然科学において真理の扉を開けるということは、その当該分野のフロンティアをまた一つ新しく開拓したと言えると思うのですが、哲学におけるそれは何をもってそれ(学問分野のフロンティアを開拓するという事象)を定義付けるのでしょうか?また、フロンティアの開拓ということ自体、哲学の学問分野にとってはさほど重要度は高くないものですか? よろしくお願いします・

  • 前史を終わらせるには どうするか?

     どのようにして 前史を終わらせるか。  (1) まづ基本的に 《何もしない》 が答えだと考えられます。  (2) それと合わせて対案は 次です。  (2-1) 基本的に いまの前史の過程をそのまま進む。   前史の過程に棹さして歩む。これが 前史を――もしそういう自然史過程および人為的文化的過程としての人類史であるとすれば――終わりにみちびくのだと。  (2-2) これは 同じく基本的に《ひとり》としての人についても当てはまると見ます。   その人それぞれに持ち合わせている前史の要素 これをひととおりその人の思う存分展開させること このことをとおして もしそうだとすれば 前史が終わるのだと。  (2-3) 言いかえるとこの個人史というのは 個人対個人の関係ないしシガラミのような関係史としての展開となると思われます。   うまく行けば その十全な展開が ただ互いのあいだの想像上のたたかいを対話というかたちにおいて成し終えることだけで果たされるかとも見ます。  あるいは ヒラメキによって一瞬にして わだかまりは解け 互いの和解にみちびかれるかとも見ます。  (3) ただし たとえば社会形態を新しい形態へ移行させるといった文化的側面においては どうか?   ――と言ってもそれも けっきょく個人どうしの上下身分の関係とその錯綜構造としては 生まれという要素も社会的自然というかたちでからんでいると思われますが そうだとしても―― どこからでも新しい契機は持ち出されて来るものと考えられます。  一点突破は どこからでも試みられる。社会形態には どこにも隙がある。  考えが思い浮かんでその考えをよしと見た者がその新しい社会像を推し出して来ると思われます。これを吟味検証していけばよい。  (4) 前史としては あとはそこで社会力学上の関係錯綜の過程をたどって行くはずです。    (5) そうして 基本的に・全体として見て 《前史を終わらせる》には《前史に沿って歩みを進める》のが筋道だと考えます。   つまり その中で――全体としての自然史過程の中で―― 社会形態にかんする側面である(3)の仕事は 人為的に作為的にはたらきかけコトを起こすほどの行動をすすめるわけですが その結果も 全体として前史に沿ってあゆむ。こうなるかと考えました。  (6) あるいは抽象的に言ってしまうと こうなりましょうか?  《前史人が自己とそして社会と和解したときに 前史が終わる》と。  前史のシガラミに不満をかこちその短所をののしっている間は のぞみが薄い。のかも分かりません。  (7) それとも《前史》などという捉え方が どこかまちがっていましょうか?

  • 超光速ニュートリノ?

    光より速いニュートリノというニュースが流れましたね。あの問題はどうなったのでしょうか?ど素人なのでSF的議論しかできないのですが、こう考えたらどうでしょうか。まず条件として、物質は秒速30万kmを超えることができない。ところが素粒子は不確定性原理からその速度と位置を同時に正確に測定することはできない。したがって素粒子が光速に限りなく近づいたとき、その位置は想定された位置よりわずか前方に観測された。したがって光速を超えたように見えた。というアイディアはどうでしょうか。学会では屁理屈でもSFとしては通りそうですか?

  • 超光速ニュートリノ?

    光より速いニュートリノというニュースが流れましたね。あの問題はどうなったのでしょうか?ど素人なのでSF的議論しかできないのですが、こう考えたらどうでしょうか。まず条件として、物質は秒速30万kmを超えることができない。ところが素粒子は不確定性原理からその速度と位置を同時に正確に測定することはできない。したがって素粒子が光速に限りなく近づいたとき、その位置は想定された位置よりわずか前方に観測された。したがって光速を超えたように見えた。というアイディアはどうでしょうか。学会では屁理屈でもSFとしては通りそうですか?

  • 量子テレポーテーションと超光速通信について

    量子テレポーテーションを使っても、超光速通信はできないと聞いたんですが、 次の方法だとどうなのか、教えてください。よろしくお願いします。 (1)何光年も離れた所にアリス(送信側)とボブ(受信側)がいる。 (2)アリスとボブは絡み合った量子をそれぞれ持っている。(アリスが量子A、ボブが量子B) (3)アリスは「送りたい情報X」も持っている。  Xがどんな情報なのかは、あらかじめアリスもボブも、お互いに分かっている。 (4)アリスがAにXを絡めて、上手く観測すると、  瞬時に、ボブ側のBは、ある4つの状態の内の1つの状態になる。(それぞれ25%) (5)Bが4つの状態のどの状態だったとしても、  それぞれに適した方法を行えば、BからXを発現できる。  しかし、Bがどの状態なのかは、電話などでアリスから教えてもらわなければ分からない。  (何光年も離れているので、電話などでは時間がかかる。) (6)ここで、ボブがBの状態を適当に予想し、適した方法を行えば、  4択なので、25%の確率でBからXを発現させる事ができる。 (7)仮にXを送る操作を1万回繰り返すと、  ボブがXを発現する回数は2500回に近い数字になり、  絶対とは言い切れないが、  ボブには、「アリスがXを送ったという事」がわかる。 一方、(4)でアリスがAにXを絡めなかったり、 Xの代わりにYやZなど違う情報を絡めた場合、 ボブがXを発現する確率が25%とは違う確率になるとしたら、 ボブには、「アリスがXを送らなかった事」が分かる。 Xが送られたかどうかを調べる回数が多くなるので、 一瞬というわけにはいかないのと、 確率の問題なので、100%の信頼とは言えないが、 この方法なら、アリスとボブが何万光年離れていようが、 一応、「YesかNoか」みたいな単純な情報なら、超光速で通信できると思うのですが、 どうでしょう? 量子についてちょっと調べてもよく分からない事だらけで、 まったく見当違いの事を言ってるのかもしれませんが、 詳しい方教えて下さい。よろしくお願いします。

  • 宇宙の加速膨張について・・。

    最近の天文学では、宇宙は、加速膨張していると言う事ですが、 宇宙空間が、膨張すると言う事は、新しく「空間」が作られているという事でしょうか? それとも、空間は、最初から無限に存在して、銀河同士が、お互いに遠ざかって いる事なのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 『存在する』に物理法則は不要なのか?

    存在が存在するために原因が有るのか、無いのか、分かりませんが、存在とはただ存在しています。 また、物理学では、存在が存在するという存在の本質はつかめません。 何故なら、物理法則自体も何故存在しているのか分からないけれども、ただ存在しているだけでしかないからです。 結局、何故だかは分からないけれど、存在とはただ存在しているとしか言いようがありません。 つまり、何故存在が存在するのか? という存在の本質を考えると「何かの原因によって存在が存在するという結果に結ばれる」というような因果律も存在しないし、それが成り立ってもいない、因果律によって「存在が存在する」という存在自体の本質に対して考えることは全くの無意味です。 もはや、ただ存在するとは因果律を超越していると言わざるを得ない結論にたどりつきます。 それなら、宇宙は『魔法の世界』と言えるかもしれません、存在するとはまるで魔法そのもののようです。 『存在とはただたんに存在する』のなら、因果律が成り立っていないし、そして因果律を超越していると言えます、また、物理法則自体も『存在する』ということ自体を説明するものではありませんし、また、物理法則は存在の原因にも成り得ません、物理法則は存在を存在させるものでは無くて、ただ存在に秩序を与えるものでしかないのなら、物理法則によって存在が存在しているという訳では無いことになります、結局、どこまで遡っても存在はただ存在しているとしか言いようがないからです。 因果律が無意味なら『存在はただ存在するだけ』であり、『存在する』ということに対し物理法則(秩序)は不必要ということでしょうか?それとも存在に物理法則は必然でしょうか? 必要ない場合、物理法則が無い状態のただ存在するという『物理法則に縛れない存在』(無秩序)が可能ということになりますが、物理法則を持たないとは一体どのような状態の存在でしょうか?(法則が全く存在しない状態など想像できません) 例えば、その『物理法則に縛られない存在』とはまるで魔法のようで、秩序が無いということは、つまり、無限の可能性を秘めている存在なのでしょうか? 存在するということを原因と結果では説明できませんしそれは無意味であり、存在とはつまり原因と結果を超越していて、存在とはただ存在するだけでしかありません。。

  • 物理学の面白さがわからなくなってきました。

    はじめまして。 大学の理学部の物理学科専攻2回生の学生です。 現在、私は大学で物理を学んでいるのですが、授業内容に興味が持てません。 受講しているものは、電磁気、熱力、力学などが中心です。 (量子力学や放射能測定学などの少し専門的なことは学年の制限があり、まだ受講しておりません) 高校時代は物理が好きで、太陽光パネルの研究や効率の良い新エネルギーの研究などがやりたい! などの漠然とした夢を抱いて、物理学科に入学しましたが、 講義ではガウスの法則やマクスウェル方程式などいろいろ覚えさせられ、 特に感動も無く、いったいこの知識をどのように社会や技術に応用していくのかも分かりません。 やはり、物理を専攻される方はこういった方程式や理論について感動したり、すでに自分の学びたい専門が明確に定まっているのでしょうか? 今後、量子力学や素粒子論を学んでいくとして、私は魅力的に思える分野が存在するのか? もしかしたら自分は工学系の方があっていたのではないか? という不安でいっぱいです。

  • p兄貴の思想哲学をどう思う?

    意外にも、p兄貴(雪中庵氏)の思想哲学に、反応する人が増えてきたので、 あえて、彼を“哲学者として”みた場合、皆さんは、彼の思想を 知っていたら、反論でも、何でもいいですから、聞いてみたいです。 ただし、個人攻撃的な言動は辞めて下さい。 p兄貴のホムペは「窮理の一夜漬け」で検索すれば、すぐ出てきます。 下から順に、読み進めてください。 よろしくね。

  • p兄貴の思想哲学をどう思う?

    意外にも、p兄貴(雪中庵氏)の思想哲学に、反応する人が増えてきたので、 あえて、彼を“哲学者として”みた場合、皆さんは、彼の思想を 知っていたら、反論でも、何でもいいですから、聞いてみたいです。 ただし、個人攻撃的な言動は辞めて下さい。 p兄貴のホムペは「窮理の一夜漬け」で検索すれば、すぐ出てきます。 下から順に、読み進めてください。 よろしくね。

  • 進化論と創造論

    こんにちは。 私はクリスチャンです。 日本には進化論を否定する創造論者は居るのでしょうか? 私は現在の人間が今に至るまでのプロセスが進化論が伝える様なものであったのか、創造論者が伝える様な6日間で世界は造られ~という過程であったのかに対して明確な考えを持っていません。 しかし、私にとってそれらはあまり重要な事ではなく、進化という過程を経たにしろ土からいきなり人間として造られたにしろとにかく神が人を造ったという所に意味を感じています。 そんな私から見て、ムキになって創造論者と進化論者が争っている姿がよく理解できないのです。 私は聖書は真実/真理の書である事は疑いの余地無く信じています。でもそれが形而下的意味での事実の書であるか否かは解りません。私にとって形而下的事実と真実/真理は必ずしも同じではないからです。 神が人間を造った。これは事実です。この事実さえ解っていればその過程が1日もかからずに造られたのか進化論が伝える様な過程を経て造られたのか、はたまた全く別の過程であったのかはあまり重要ではないというのが私の考えです。 聖書に書かれている様に、愚か者は何をしても神を侮りますし、進化論者相手に創造論を証明できる方法がある様にも思えません。 つまり進化論者に創造論を主張する事自体が私から見てとてもナンセンスです。 そんな私から見て創造論者の方に一つの疑問があります。 「創造論が破れ、進化論が決定的な証拠を得たとしたら、あなたの信仰は揺らぐのか?」と。 もし創造論者の方がいらっしゃいましたら、私の考えに対するご意見と、上記の私の疑問にお答え頂けると幸いです。 よろしくお願い致します。

  • 進化論と創造論

    こんにちは。 私はクリスチャンです。 日本には進化論を否定する創造論者は居るのでしょうか? 私は現在の人間が今に至るまでのプロセスが進化論が伝える様なものであったのか、創造論者が伝える様な6日間で世界は造られ~という過程であったのかに対して明確な考えを持っていません。 しかし、私にとってそれらはあまり重要な事ではなく、進化という過程を経たにしろ土からいきなり人間として造られたにしろとにかく神が人を造ったという所に意味を感じています。 そんな私から見て、ムキになって創造論者と進化論者が争っている姿がよく理解できないのです。 私は聖書は真実/真理の書である事は疑いの余地無く信じています。でもそれが形而下的意味での事実の書であるか否かは解りません。私にとって形而下的事実と真実/真理は必ずしも同じではないからです。 神が人間を造った。これは事実です。この事実さえ解っていればその過程が1日もかからずに造られたのか進化論が伝える様な過程を経て造られたのか、はたまた全く別の過程であったのかはあまり重要ではないというのが私の考えです。 聖書に書かれている様に、愚か者は何をしても神を侮りますし、進化論者相手に創造論を証明できる方法がある様にも思えません。 つまり進化論者に創造論を主張する事自体が私から見てとてもナンセンスです。 そんな私から見て創造論者の方に一つの疑問があります。 「創造論が破れ、進化論が決定的な証拠を得たとしたら、あなたの信仰は揺らぐのか?」と。 もし創造論者の方がいらっしゃいましたら、私の考えに対するご意見と、上記の私の疑問にお答え頂けると幸いです。 よろしくお願い致します。

  • 存在するという結果自体が、実は原因なのか?

    因果律とは、原因と結果という、時間の順序のことであり、原因と結果が同時であっては矛盾ということになる。 このように、因果律とは、時間の順序そのものということであるが、それを空間的に捉えた場合。 例えば、電子、陽子、中性子を原因とするなら、原子を結果とするような考え方もできる。 とは言え、原子とは、結局のところ、電子、陽子、中性子、の集まってできた集合体であって、本当に存在しているのは、原子ではなく、電子、陽子、中性子であり、それらが集まって原子として振る舞って存在しているだけなのである。 とすると、結局原子とは、電子、陽子、中性子が原因であると共に、電子、陽子、中性子が結果でもあるのだ。 だから、電子、陽子、中性子に存在する固有時間は、同時に原子(電子、陽子、中性子)の固有時間そのものなのだ、原因と結果は同じ時を刻むどころか、全く同じ存在なのである。 つまり、このように、原因は結果であると共に、結果は原因でもあり、存在が存在するための原因は、存在自身であり、原因を遡ったり、外部から原因を必要とすることなく、存在は、因果律が原因と結果の二つの間で閉じたループになっていて、因果律が自己(存在)の中で完結しているのだ。 このことは、原子だけに限らず、それよりミクロの世界を構成する素粒子や、また銀河のような宇宙の大規模構造にもあてはまるように思える。 つまり、原因と結果は同じ時を刻む、同じ一つの存在なのだろうか? そして、存在するという結果自体が、実は原因なのだろうか?

  • 存在するという結果自体が、実は原因なのか?

    因果律とは、原因と結果という、時間の順序のことであり、原因と結果が同時であっては矛盾ということになる。 このように、因果律とは、時間の順序そのものということであるが、それを空間的に捉えた場合。 例えば、電子、陽子、中性子を原因とするなら、原子を結果とするような考え方もできる。 とは言え、原子とは、結局のところ、電子、陽子、中性子、の集まってできた集合体であって、本当に存在しているのは、原子ではなく、電子、陽子、中性子であり、それらが集まって原子として振る舞って存在しているだけなのである。 とすると、結局原子とは、電子、陽子、中性子が原因であると共に、電子、陽子、中性子が結果でもあるのだ。 だから、電子、陽子、中性子に存在する固有時間は、同時に原子(電子、陽子、中性子)の固有時間そのものなのだ、原因と結果は同じ時を刻むどころか、全く同じ存在なのである。 つまり、このように、原因は結果であると共に、結果は原因でもあり、存在が存在するための原因は、存在自身であり、原因を遡ったり、外部から原因を必要とすることなく、存在は、因果律が原因と結果の二つの間で閉じたループになっていて、因果律が自己(存在)の中で完結しているのだ。 このことは、原子だけに限らず、それよりミクロの世界を構成する素粒子や、また銀河のような宇宙の大規模構造にもあてはまるように思える。 つまり、原因と結果は同じ時を刻む、同じ一つの存在なのだろうか? そして、存在するという結果自体が、実は原因なのだろうか?

  • 現代物理学の哲学とは?

    現代物理学の哲学というのはあるのでしょうか? 今現在例えば、相対性理論や量子力学や素粒子などの哲学というのは取り組まれているのでしょうか? また、物理学を哲学するというのどういうことでしょうか? 素人にも分かり安く教えて頂けると助かります(笑)

  • 現代物理学の哲学とは?

    現代物理学の哲学というのはあるのでしょうか? 今現在例えば、相対性理論や量子力学や素粒子などの哲学というのは取り組まれているのでしょうか? また、物理学を哲学するというのどういうことでしょうか? 素人にも分かり安く教えて頂けると助かります(笑)

  • 現代物理学の哲学とは?

    現代物理学の哲学というのはあるのでしょうか? 今現在例えば、相対性理論や量子力学や素粒子などの哲学というのは取り組まれているのでしょうか? また、物理学を哲学するというのどういうことでしょうか? 素人にも分かり安く教えて頂けると助かります(笑)