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三種の神器

源平の合戦の時、安徳天皇と共に壇ノ浦に沈んだはずなのに、今の皇室に存在するのはなぜなのでしょうか。

  • 歴史
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みんなの回答

  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2176/4821)
回答No.6

>源平の合戦の時、安徳天皇と共に壇ノ浦に沈んだはず 壇ノ浦では、確かに神器は沈んだはずですよね。 当時の技術では、海流の流れに反した潜水は出来ません。 一部の逸話では、剣のみ不明で鏡・勾玉は回収した事になっています。 >今の皇室に存在するのはなぜなのでしょうか。 当時、宮中では大問題になった事は確実です。 そこで、九条兼実は「新調しよう」と提案します。 が、後白河法皇は「そもそも三種の神器は無かった事にしよう」と画策します。 結局、「如在之儀」を採用します。 「三種の神器は存在しないが、あたかもあるかのごとく振る舞う」 九条兼実は、「希代の珍事である」と嘆いています。 後鳥羽天皇以降、この方法で即位儀式が行われ代々引き継がれています。 まぁ、科学的な根拠・証拠が不要なのが皇室です。 大きな前方後円墳は、実地調査をしなくても天皇陵となっているのと同じ思想です。

  • DESTROY11
  • ベストアンサー率23% (780/3367)
回答No.5

三種の神器に限らず、神道における物品はオリジナルである必要は全然なく、御霊の宿る「器」であればよいのです。 ダイソーで買ったステンレスの包丁でも「御霊宿りし剣」になりえるのです。

回答No.4

壇ノ浦の戦いで失われた草薙剣は元々形代と呼ばれるレプリカみたいなものです。 本物はそのずっと以前から熱田神宮に保管されており、現在も熱田神宮にあります。 なので、奪われたり紛失した際は代わりの剣を使っていた事もあります。 そのうちに代わりの剣を正式に「神器の形代」として扱うこともありました。

  • notnot
  • ベストアンサー率47% (4846/10257)
回答No.3

壇ノ浦の後フォローはすでに回答のあるとおりでしょう。 その後、南北朝時代にも、南朝側が神器を京都外に持ち出したり、いったん和睦で北朝・幕府側に渡したけど、いや実はそれは偽物だったと言ったり、後醍醐天皇が皇子に神器を渡して北陸に行かせたのに、あとで、いや実はあれは偽物で自分が持っているのが本物だと言ったりいろいろあり、最終的な和睦で、南朝から北朝に渡ったことになっていますが、その後も南朝の残党に盗まれたりもあり、そういう経緯を見ると、剣以外についても今の神器が平安時代以前の元と同一かは不明です。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10469/32923)
回答No.2

八尺瓊勾玉も、八咫鏡も存在するかどうか分かりません。箱はあるけど、開けちゃいけないときつく命じられてますからね。 過去に何人かの天皇が「俺、天皇だから見る権利があるもんね」と箱を開けようとしましたが、そのたびに「箱から煙が出た」とか「雷が落ちた」などの不吉な出来事が発生して開けるのを断念しています。 本当は失くしちゃったのをごまかすために「決して開けてはならぬ」としているのかも。 オリジナルはなくても形代という名のレプリカでオーケーとなっているので、構わないのです。もしかしたら三種の神器は「バカには見えない」ものかもしれません。

  • nananotanu
  • ベストアンサー率31% (714/2263)
回答No.1

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/8239/ 失われたのは剣だけで、今伝わっているそれはレプリカのようなもんです。

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