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教えていただきたいです。

哲学を勉強しているのですが、よくわからない部分があります。カントは人格をどのように捉えているのでしょうか??どなたか、詳しく説明していただけませんか??よろしくおねがいします。

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  • Nakay702
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回答No.2

>哲学を勉強しているのですが、よくわからない部分があります。カントは人格をどのように捉えているのでしょうか??どなたか、詳しく説明していただけませんか??よろしくおねがいします。 ⇒カントの人格論、確かに、ややこしいですね! あまりうまくまとめられませんが、以下のとおりお答えします。 18世紀から19世紀にかけて、世界は3大革命を遂行した。フランスの政治革命、イギリスの産業革命、それとドイツの精神革命である。そして、カントはこの精神革命の創始者である。 さて、社会学や心理学では、「人格」はパーソナリティと同じような意味で用いられるが、哲学・倫理学では、それとは少し違って、古くから「人を人たらしめる本質ないし価値」を意味するものとして用いられている。カントもその例にもれず、認識や人格の問題を当為、価値、評価等の観点から探求・考察している。 カントによれば、それまでの認識論などで想定されてきたように、「我々は対象に従わなければならない」のではなく、「対象が我々に従わなければならない」という。これが有名な「コペルニクス的転向」と呼ばれるカントの認識論の転換である。この提起によって、「認識とは対象を己の悟性によって構成することである」、と理解されることになった。カント哲学が「観念論」と言われる所以である。 こういう観点に立ってカントは、「人格」とは「自らの意志で道徳的に生きるという自律の力を持つ存在」であり、人間が尊いのはこの人格をもつからである、と考える。したがって、人間は人格として、自分のことも他人のことも、手段としてのみ扱ってはならず、「常に同時に、目的として扱わなくてはいけない」ということを、道徳法則の一つの要諦と見なすことになる。 ところで、一般に言う目的の価値は相対的であるが、人格は絶対的な価値を持つ。自由意志によって、手段と目的の連関を超越し得るからである。その意志は様々な自然法則に従った因果性から独立に働くが、この自由性が道徳的人格性とされる。ただし、我々は無制約に自由な存在者ではない。道徳法則を意識することによって、自己自身を究極目的と見なす。ここに、人格が目的自体とされる所以がある。 ということで、カントの人格論をひと言で総括すれば、こうなる。彼自身の言葉である。「汝の人格における、ならびに他のすべての人格における人間性を、汝は同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ、取り扱わぬよう行動せよ。」 補足(すでに他のスレで述べたことや、人格と間接的に関わることの引用です。) 『実践理性批判』は、純粋実践理性が存在すること、つまり純粋理性がそれだけで実践的であること、すなわち純粋理性が他のいかなる規定根拠からも独立にそれだけで充分に意志を規定しうることを示すことを目標としている。カント道徳論の基礎であるこの書において、人間は現象界に属するだけでなく叡智界にも属する人格としても考えられ、現象界を支配する自然の因果性だけでなく、物自体の秩序である叡智界における因果性の法則にも従うべきことが論じられる。 カントは、その物自体の叡智的秩序を支配する法則を、人格としての人間が従うべき道徳法則として提起する。道徳法則は「なんじの意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」という定言命法として定式化する。 彼は、純粋理性によって見出されるこの法則に自ら従うこと(意志の自律)において純粋理性が実践的に客観的に実在的であることを主張し、そこから自由の理念もまた実践的に客観的実在性を持ちうると論じた。道徳法則に人間が従うことができるということが、叡智界にも属する存在者としての人間が自然的原因以外の別の原因を持ちうる、すなわち自由であるということを示すからである。また、神・不死の理念は、有徳さに比例した幸福(すなわち最高善)の実現の条件として要請される。

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その他の回答 (1)

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.1

僭越ながら、カントではありませんが。 個人を尊重すること、「現行」では、そうなっていると、思います。 そのために、未成年者であっても「その将来に、放置すると重大な影響を及ぼす事案でない限り、保護者であっても、介入すべきでない」とか(教科書)。 ・・・髪の毛の長さとか、色とか、服装とか。それで「自分たちが、仕事をした気になっている」のでしょう。

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