共通語の広がりとNHKの影響

このQ&Aのポイント
  • 共通語の広まりに関して、NHKの役割や言語学の研究によるものがある。
  • NHKが共通語を決める前から全国で通じる言葉が存在し、それが共通語の土台となった。
  • 共通語の概念は戦後に国立国語研究所の調査によって生まれ、各地域の言葉を分類した結果として確立された。
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共通語というものがあるのはなぜ?

NHKにより共通語が広がった、NHKの放送で共通語を覚えたという人が多いという言説に違和感があります。というより矛盾してませんか? 共通語の特にアクセントというものがNHK自身が「全国で通じる」と考えて決めて、それから使っていったものですよね。 つまり共通語というものを決める前に全国で通じる言葉があったという。 じゃあNHKで共通語が広がったとか共通語を覚えるシステムが出来上がっているとうのは順序が逆転してるじゃないですか。 なぜNHKが共通語を決める前から全国で通じる言葉があったんですか?NHKにより統一されたアクセントによる放送がない時代にどうやってそのような語彙やアクセントの言葉遣いが全国に行き渡ったのでしょう? そもそも共通語という概念ができたのは戦後で、国立国語研究所の調査のなかでそれぞれの地域には在来の言葉に対して「そうではないもの」があると分かり、それを分類するためにできた概念だそうです。 つまり「共通語」にはさまざまな地域に散らばっていた「そうではないもの」が寄せ集められているということになります。 NHKはこれをもとにアナウンサーの話し方を決めたことでしょう。 ここでまた疑問なのは「そうではないもの」が「全国で通じるもの」であるということが自明かのようにみなされていたことです。 どうしてそういう確信が持てたのでしょう?何か原因があって、在来の言葉にそうではないものが加わったということまで分かっていたなら、「こういうわけだからそうではないものは全国的に通じる」と確信が持てたことにもうなずけます。 そうなれば自動的に最初の疑問も解けるわけです。 もし何か原因があって広まったというのであれば、その原因は何なのでしょうか?回答よろしくおねがいします。

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  • Nakay702
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回答No.6

お尋ねへの回答になるかどうか分かりませんが、以下のとおりお答えします。 『国語学辞典』(国語学会編)によれば、過去の日本には厳密な意味での標準語は確立していなかったが、規範的・理想的国語としての標準語はあった。奈良時代の大和語、平安時代以後室町末期に至る京都語がそれであった。徳川幕府が出現すると関東語を中心とし、それに京阪語・三河語を加えて独特の江戸語が成立した。江戸語は当初4里四方の江戸府内にだけ行われたが、文学作品を通じて各地に普及し始めた江戸後期には、標準語の位置が京都語と江戸語の間で争われるようになってきた。しかし、京阪語の標準語としての優位性はなお維持された。 明治維新後には、首府の移転と相まって江戸語の直系である東京語が名実ともに中央語としての地位を占めるに至った。これは政治的な中央集権制のゆえもあるが、ほかに文化交通の発達、特に明治20(1887)年ごろから用いられ始めた口語文の普及(言文一致運動)が与って力があったと思われる。口語文は文学のみならず、読本・新聞・雑誌その他の刊行物に広く用いられた。 こういう状況から、NHKが自前の共通語を準備する前から大まかな共通語が存在していたと言える状況があった。NHKはそれを母体として自前の共通語を生み出したと推測するに難くないと思われます。さて、一方こうくて近代国家としての意識が高まってくるにつれて、「国家の標準語」という視点から標準語の制定が叫ばれるようになったが、まだ実現はしていない。共通語を洗練して一定の基準で統制した理想的な国語が標準語である。 標準語は音韻・語彙・文法などのあらゆる点で理想的であり(理想性)、国語の規範として尊重され(規範性)、国語を代表し、教育・裁判などの公用語として用いられ、普通、中央語が母体となって成立する。標準語は自然に成立するのでなく、多少とも人工的な要素を含む。イェスペルセンによれば、標準語と共通語は同じものに与えられた2つの名前にすぎないという。しかし、我々としてはその2つを区別しておくにしくはない。すなわち、標準語から、理想性と規範性を(削除しないまでも)削減し、利便性を加えたものが、共通語である、と。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。学術的な根拠がポイントを押さえれ述べられているようで一番しっくり来ました。Ultra-Hetareさんの回答にも多大に考えさせられるところがあり甲乙つけがたいところでしたがこちらの回答をBAにしたいと思います。みなさんどうもありがとうございました。

その他の回答 (5)

回答No.5

>>「そうではないもの」が寄せ集められているということになります。 という記載の仕方から推察させていただくと、 貴殿は各地方で、「バラバラな」そうでないものが有ったと お考えなのでしょうか。 しかし、有史以来この島嶼国でも言葉の違うもの同士の コミュニケーションが必要な場面は数多く有ったでしょう。 はじめのうちは「都の貴族」が話していた語彙が地方に浸透してゆくことで、その役割を担っていたと考えられています。 しかし、室町時代中頃くらいから商品経済というものが 成長をし始め、「中央の言葉の伝播」によるコミュニケーションでは 追いつかなくなってゆきます。 しかし、同時代にお誂え向きにも「能」とそこから派生する 「謡曲」「狂言」が流行しはじめ、これらで使用されている言葉が 「共通語」の役割を果たしていくようになります。  ※これらの多くは武士と言われる階級で使用されていましたが、   多くの「武士でないもの」も実は元武士であったケースが   少なくないため、かなりの人口が「共通語」を理解できたと   推認できます。 更に時代が下がると武力衝突に費やされていた生産力が、 そこから解放され、武具でないものが多く作られるようになり 更に商品経済が成長して行きます。 この時ほぼ日本中の人を相手に会話しなければならなくなったのは、 いわゆる廻船問屋という名の商人であり、彼らの話す言葉が 全国的に通用してゆくようになります。 これらの言葉の「残滓」が日本中に有ったため、 あなたの言う「そうでないもの」は多くの共通点を 持っていたと考えたほうが自然ではないでしょうか。  ※実際昭和の後期くらいまで、元西回り航路の港町では   関西弁を解し、話すことの出来る人が少なからずいたそうです    し、千葉の醤油醸造家の人々はルーツである紀州弁を   話していたそうです。 これらのことを加味した上で明治新政府が標準語を決めた基準や、 (東京山の手は元武家屋敷が有った場所で廃藩置県後、  新政府の構成員にそれらが安価で下げ渡されていました) 現代でも主にテレビを媒介して関西弁が氾濫している理由。 などが見えてきそうですね。

dorawii
質問者

お礼

おっしゃるとおりでこちらの視野が少しで狭くなっていたかもしれません。先祖が日本列島に渡ってきたときその言葉は一つしかなく今でいう共通語のようなものだったはずですよね。それが長い歴史の中地理的事情で乖離していったのを再びまとめようと標準語というものを作るに至った、ということで、各地方の言葉に共通項があったのは元が一つの言葉なのですからしごく当然なんですよね。回答ありがとうございました。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.4

No2補足、 そういえば、NHKだと思うのですが、 『全国放送にあたっては、下町言葉ではなく「山の手言葉を標準語の基準」とする。』 …以前、そんな話を聞いた記憶が有ります。 当時は「まぁ仕方ないか」と思いましたが、 当サイトでも「~という言葉は正しいか?」「○か×か?」という、何か一つだけが正しいとする択一主義というか、間違った認識の質問が多々あります。 「どちらも間違いではない」と回答しても、 「いや、そんな答えは求めてない。どちらが正しいのか訊ねてる」として納得しない、 理解不足が広まっている現実を見せつけられてます。 なんだか、 「時代が誤った方向に進んでるのではないだろうか」と、 時々感じる次第です。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。学校の試験でもマルチチョイス式の問題が流行っていることとも関係がありそうですね。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.3

 私自身が厳密に調べたわけではないですが、 > NHK自身が「全国で通じる」と考えて決めて、それから使っていったもの  ではない、と思います。  「標準語」とされた言葉の基本は、江戸の「山の手階級」の人たちが話していた言葉で、そこに郭(花町)の言葉遣いとか、薩長の言葉とかがまざったものであったと聞いたことがあります。  ※「オイ、コラ!」というのは、薩摩のふつうの呼びかけだったのが、警吏(薩長出が多かった)が使ったので、広まった由。  明治政府がそれらを「標準語」として教科書「さくらの花がさきました」的な教科書を作って使わせたのが「日本語統一の」始まりだったと聞いたことがあります。  その後にラジオが発明されたので、NHKの出番は、さらにその後の話だと思います。日本でのラジオの発売とNHK放送はまあ同時でしょうが。  じゃあ、「NHKの放送で共通語を覚えた」というのはウソかというと、「発音、抑揚」などを覚えたのは、NHKのおかげでしょう。  越後人では「い」と「え」の発音が混乱していて「イチゴのエチゴはとてもうまい」と(他国の人には)聞こえたり、江戸っ子は「ひ」が「し」になるので、火消し(しけし)が「商売柄、俺にしつけ(火付け)はむりだ」というオチの落語ができたりしました。  こういうのは、標準語を話してもらわないと修正できませんから、NHKの貢献はバカにならなかったと思います。  国土を一体化しようとして廃藩置県した。今まで幕府隠密が来てもすぐバレるようにと難しい薩摩弁強いてきた薩摩が、こんどは、「言葉が違うと不便だよねぇ」ということで、共通語を造ろうとしたわけです。  共通語がまずあったのではなく、薩長政府が認めたものを共通語にしようとして教育したせいで共通語になったのです。NHKではありません。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。名前が異なるだけで共通語と本質的に同じものが確かにあったというわけですね。それを広めたのがNHKということなら確かに矛盾はないですね。勉強になりました。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.2

以下、個人的な考えです。 言葉というものは少なからず地域による違いは生まれるものです。 それを相互に理解できる標準的な言葉を設定するのは構わないというか、翻訳しなくて済む言葉も必要だろうとは思います。 ただ、 それだけが正しい日本語だとして、他は誤りだとする間違った認識を広げるのなら、 同調主義というか、使用言語の強制と差別という重大な問題が生まれる事になるでしょう。 そうなれば、 日本でも過去に有った民族同和による差別とか、某隣国の某自治区で行われているとする民族文化の排斥と消滅さえ危惧しなければならなくなります。 昔はヒトラーが、現代もヒトラーを彷彿とさせる人物が世界各地に現れてます。 深く考えれば考える程、由々しき問題だなとは思ってます。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。質問の内容が重大な問題にもつながっているということがわかりました。おっしゃる観点を参考に考えを深めていきたいと思います。

  • q4330
  • ベストアンサー率27% (767/2786)
回答No.1

方言の違いを克服するための標準語は明治時代に作られ国語の教科書に定められた。 例えば「疲れた」を沖縄では「うたたん」三重では「ほっこりした」岩手では「こうぇー」これらを「つかれた」と言うように国が決め教科書で教育した。 しかし、「つかれた」をどの様なイントネーションでしゃべるかはラジオ放送の様な「音声」に頼るしかない。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。共通語のアクセントは山の手という一つの地域のものだけ完結してないのはラジオ時代のアナウンサーは同じ東京出身でもいろんな人が担当を代わって話していたからということなんですかね? もしラジオで山の手言葉だけが話されていたら「姉」なども「稲」と同じ発音で広まっていたことと思うのですがどうでしょう。しかし今一般的な姉の発音をする話者がラジオで長い期間話していたから今の発音が一般的になっていたという推理です。

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