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無意識と本能の意味と類型

(1)「無意識」という言葉をよく目にするのですが、この言葉の意味する所は、『ある特定の人物(実在しなくても良い)が抱いている深層意識』の意味なのか、『統計的に特定の集団(人類)が共通に抱いている深層意識』のことなのか、教えてください。 (2)また、無意識と本能の関係について教えてください。(共通事項か、包含するものか、特筆すべきものなど。) (3)本能の学術的な類型(定義)がありましたらご教示くださりますよう、よろしくお願いいたします。

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  • Diogenesis
  • ベストアンサー率49% (859/1722)
回答No.4

#3です。 補足に対してお答えしておきます。 >「本能」という意味が、曖昧な表現方法として、用いられていると解釈してよろしいでしょうか? 曖昧というか,文脈によって異なる意味で用いられているということです。 「無意識」と「本能」」が対になって出てくれば, 多少知識のある人はそれが精神分析的な意味あいで用いられていると思うでしょう。 一方,精神分析とは一線を画する心理学一般の世界では 「本能行動」という記述概念を用いることはあっても, 「無意識」とか「本能」とかいった概念を持ち出して何かを説明したりはしないということです。 もっとも最近は 『言語を生みだす本能(The Language Instinct)』の著者スティーヴン・ピンカーのように 時代がかった言葉と認めつつ確信犯的に「本能」を持ち出す人もいますが。 >また、「本能」を突き詰めると、「反射」という言葉に出会ったのですが、心理学では扱う分野でしょうか? 心理学の中の学習理論では 「本能行動」や「反射」のように特定の刺激に誘発される定型的反応を「レスポンデント行動」と呼び, それが経験を通して他の刺激と結びつく過程を「レスポンデント条件づけ」 (別名古典的条件づけ;条件反射がその典型)として研究しています。 しかしながら,「反射」自体のミクロな研究ということなら生理学の分野でしょう。 >上記内容を「詳しく」学びたいのですが、どうすれば?一番良いでしょうか? 上記というのが何を指すのかよくわからないのですが。 行動や欲求の生得的側面と習得的側面について知りたいということなら, 最近翻訳の出たこんな本はいかがでしょう?    スティーブン・ピンカー (著),  山下篤子 (訳)    『人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か』(上)(中)(下) NHKブックス これではもの足りないとおっしゃるなら,こんな本もあります。 「詳しく」という御要望は十二分に満たされると思いますが,何しろ大判で960ページですので・・・(息    イレネウス アイブル=アイベスフェルト (著), 桃木暁子, 日高敏隆 (訳)    『ヒューマン・エソロジー―人間行動の生物学』 ミネルヴァ書房 本能の分類とか欲求の分類とかいうことなら, 現在では廃れてしまった研究ですので心理学史の本を読んでいただくしかありません。 精神分析的な無意識とか本能のことなら, まずはフロイトの『精神分析入門』を読んでから『本能(欲動)とその運命』でも読んでみてください。

その他の回答 (3)

  • Diogenesis
  • ベストアンサー率49% (859/1722)
回答No.3

まず精神分析≠心理学であることを最初に念頭においてください。 「無意識」や「本能」は精神分析における重要な概念ですが, 現代の心理学では限定的にしか用いられません。 (1)フロイトは初期の精神分析理論において心を地層のようなモデルで説明し, 「意識」や「前意識」のさらに下層にあって原初的な欲動に充ちた心の深層を「無意識」と規定しました。 ユングがこの個人的無意識のさらに深層に個人を超えて共有される「集合無意識」というものを想定したことは #2さんが書いていらっしゃるとおりです。 臨床心理学や発達心理学の一部を除いて 現代の心理学は基本的にフロイトやユングの想定したような心のモデルを採用しておらず, したがって「無意識」を説明概念として援用することもありません。 現代心理学の主流である認知心理学においても「本人が自覚していない」プロセスを想定しますが, 精神分析的なそれとの混同を避けるためにあえて「無意識」と呼ぶのを避ける傾向にあります。 (2)精神分析でいう「本能」は「欲動(Trieb)」と同義です。 ドイツ語のTriebがinstinctと英訳されたことから,日本では欲動という訳語と本能という訳語が混在しています。 フロイトが性=生の本能(Eros)をその理論の中心に据えたことは知られていますが, 晩年,これと対比する形で死の本能(Thanatos)を提唱するに至ります。 無意識と本能は本来区別されるべきものですが,しばしば混同して用いられているようです。 (3)フロイトと同時代に「本能のリスト」を作ろうとしたマクドゥガルという心理学者がいました。 しかしながら,数え方や分類が恣意的であること, また同語反復に陥って行動の説明と予測に役立たないことから この試みは顧みられなくなり,心理学は説明概念としての「本能」を放棄します。 現代の心理学が本能に言及するとすれば, それは比較行動学(ethology)に由来する「本能行動」を指すのが普通です。 本能行動とは,#1さんが書いておられるとおり, 特定の解発刺激によって発動される種に固有の生得的行動パターンを指します。 なお,ネコの生態を比較行動学の視点から理解するには次の本が参考になると思います。 すでに御存知かもしれませんが。 パウル・ライハウゼン(著)今泉吉晴,今泉みね子(訳) 『ネコの行動学』 どうぶつ社 http://webclub.kcom.ne.jp/mb/dbs-co/tosho/hon_html/neko.html

kanpyou
質問者

補足

「本能」という意味が、曖昧な表現方法として、用いられていると解釈してよろしいでしょうか? また、「本能」を突き詰めると、「反射」という言葉に出会ったのですが、心理学では扱う分野でしょうか? 当サイト内、生物「欲求について」 http://virus.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=994914 #9 selferさんの引用、ご指摘にあるように、「欲求」についての分類として、「生理的反射」によるものと、「獲得形質(価値観など)と関連した」ものがある様です。 上記内容を「詳しく」学びたいのですが、どうすれば?一番良いでしょうか?(当方、法学士)

noname#26903
noname#26903
回答No.2

(1)について。 「集団が共通に抱いている深層意識」というのは、ユングのいうところの「集合的無意識」に当てはまると思います。 教科書的な説明になりますが、ユングが想定した集合的無意識は、個人の無意識のより深いところにある、とされています。

kanpyou
質問者

補足

ありがとうございます。 心理学でいう「無意識」とは、『ある特定な事項に関して、空虚な精神状態』をさすのか、それとも、『本人が自覚していない状態』をさすのか教えてください。 なにぶん、素人なので、よくわかりません。「無意識」「欲求」「本能」などについて興味深い書籍などございましたら、ご紹介願えませんでしょうか?

noname#25358
noname#25358
回答No.1

(1)前者です。後者のことを示す言葉は別に存在しており(忘れてしまいましたが)、無意識とは呼びません。 (2)無意識というのは、(定義が曖昧なので人によって言うことが違いますが)表層意識以外の意識のことをいいます。  対して本能とは、人間が最初から備えている「衝動」などのことをいい、無意識とは全く別の言葉です。  もちろんどちらも脳内の活動が作り出すものですから共通項は存在します。しかし基本的には、この2つの関係を議論することは、(議題の方向性にもよりますが)必ずしも意味のある行為であるとは限りません。 (3)辞書によれば、本能とは「その種の生き物が生まれつき持っていると考えられる行動パターン」のことだそうです。  ですが、どの心理学によって定義するかによってこれは変わってきますので、ただ漠然と「定義してください」と言われても答えられないのです。  たとえば、人間行動学では辞書通りの定義になりますが、大脳生理学では「遺伝子に最初から備わっているスキーマ」などといった定義の仕方をすることになり、明確で単一の言い表し方は存在しないわけです。

kanpyou
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 当サイト内、ペット>犬猫カテゴリー「猫の擬態行動(狩り)について」 http://virus.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=993606 が原因でふと思いついたことなのですが、このことと関連して、「無意識」?、「本能」? 何か資料などございましたら、ご教示願えませんでしょうか?

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  • 昔は差別意識無かったのに、今は差別意識あること

    「差別」という言葉の定義にも広義から狭義までさまざまあり、その言葉の定義も難しいですよね。 ですがこれは大きく分けて以下の2種があると思います。 A:客観的・統計的に事実ある程度その傾向があることで、ついついそれに該当しないものまで全て一緒くたにしてしまう意味の差別 ⇒これは例えば、男性に比べ女性の方が、平均的・一般的に腕力が劣るということで全ての女性を腕力面で弱いと決め付けてしまうような行為ですね。 事実上は男性でも腕力が弱い人もいるし、逆に平均的男性より腕力の強い女性も沢山います。 B:丸っきりの認識不足からの勘違い的偏見による差別 ⇒例えば私が昔出会ったあるアメリカ原住民(いわゆるインディアン)研究家のアメリカ人女性は「インディアンは日本人と同様に、現在でも病気の治療の多くの部分を呪術や、まじないに依存している」と発言しました。このような「偏見」によるものです。 ___________________ 《注意》今回の質問は、その「差別」の原因となるものが「事実の傾向がある」ものであっても「勘違いの偏見」であっても、どちら場合も含めたものと考えてください。 (それが事実かどうか議論になるのを避けるためです) 《質問です》 あなたが、昔はそのような差別意識は無かったのだが、後になってもしくは最近になって差別意識を感じるようになったものにはどんなものがありますか? 例示 「昔は中国産のうなぎを怖いとは特に意識しなかったが、最近は怖くて買えない」 「昔は教師といえば偉い人と思っていたけど、最近は逆に変な人が多いきがする」 など、あなたが最近意識が変わってしまったもの教えてください

  • ”差別”という意識はどこから来ると思いますか?

     始めに断わっておきます。以下の文中には多数の現在「差別語」とされている言葉を多数用います。しかしこの場合の用い方は決して「誰かを貶める・貶したい」という用法ではなく『現在の社会において言語学上存在している認識記号・発音の集合体』といった非政治的意図で見ていただきたいです。もしそういったことに抵抗がある方は見ない方が精神衛生を害さずに済むと思われます。  差別・差別語という言葉を聞いたときに、漠然と民族や文化圏の違う人々の争いといったイメージを浮かべる方が多いと思われます(そのようにマスコミやメディアが謳う甲斐もあるのでしょうが)。 近年ですと韓国・中国との不和問題に端を発し、ネット上でもわざと融和意思を見せないという意図で「シナ人・チョウセンヒトモドキ・チョン・在日」などの語録を用いて反抗しようとする、いわゆる「ネトウヨ」の活動が目につきます。  少し前だと中国人の日本人の蔑称として「日本鬼子」(後に萌キャラ化されましたが)や、欧・米圏だと数えきれないくらいの差別文化がありますが例示するなら「白・黒・ニガ―・ジャップ・エスキモー・バイキング」などでしょうか?それ以外にも独英伊西仏はジョークの中に「○○するのは××人くらいのものだ」といった使い方で相手国人を貶めたりする文化が未だにあるように感じます。 また日本国内にも日本人同士を貶す意図で使われている語録が多数存在していますよね?「部落・穢多、非人・土方・キチガイ・池沼・障害(ガイジ)・レズ・ホモ」など、日常的に言う人も多いのに実は差別語認定されている言葉も有ったりします。  ここまではある程度の事実確認です。そしてここまで読んで感じた方が居られるか分かりませんが『差別の在り方・社会での使われ方』が変質してきているのではないか、と問いたいのです。  所謂昭和期など、現在の20~30歳までより上の方たちが使う「差別」というのは、「イケメン・優しい・ガサツだ・気が利く」といった表現の様に(1)『文字が(直接会ってもいない誰かの)印象を決定づけてしまう』意味を持っていたように感じます。これは今までにその人の存在・本質を見誤らせる悪しき物差しだとして随分社会的な粛清が与えられ、めっきり見なくなりました。  一方近年においては、上記のような「差別」の使われ方が残る一方で、(2)『コミュニケーション上の印象操作を目的とした、パフォーマンスの一種』としての意味が強いのではないかと感じます。子供が相手を罵りたいときに「バカ」「アホ」と言うように、その「罵りたい気持ちを相手により強く伝えるための手段」としてこういった語が用いられるのでは?と感じるのです。  そしてこれらとは別に、➂『同じ文化背景を持つ相手に意味を伝えさせるためだけに用いる』というのもあると感じます。田舎の祖母は「集落・地域」と同じ使い方で「部落」と言いますし(その地域が過去に部落認定されたことはないのに、です)、未だに外国人をTVで見ると「外人・黒んぼ」といった呼び方をします。  このように、差別という意識を何のために用いるのか・何に起因しているのかは、社会情勢によって変化していると言えないでしょうか?  (1)ならば多くの優位(とされていた)集団が少数の劣位(とされていた)集団を、恣意的にいたぶる事が認められていた中で、「差別をしてもいい」という感覚を植え付けられたのではと考えられます。  (2)では相手と自分、「マクロ対マクロ」や「ミクロ対ミクロ」、文化背景の共有が完全に同一ではない集団同士の衝突も想定されるという点で異なります。(1)の差別感覚を自分らが与える・受ける効果と、相手側のそれが同一か証明する手立てがないのですから。  ➂に関しては使用者が問題を自覚していないという点で「差別意識」発生を使用者意思に置くべきなのか、他者・評価者判断に置くべきなのかということで非常に難しくなりそうです。殺人を褒められることと教育された子供の判決をどう下すか、といった問いに似ているでしょうか。  長くなりましたがとりあえず包括的にまとめますと、「差別を絶対的悪とする社会と、差別することを善しとしていた社会、自ら進んで差別したがる社会、そして差別という意識から抜け出し単なる文字の集合体として語録を扱う社会」に我々は放り込まれている。そして時々自分も相手もどの立場に身を置いているのか分からなくなる・理解する前に話をするがために『差別語を使った』という事実だけを槍玉に挙げて、善か悪かの二元論だけでケリを付けようとしているのでは、ということです。  あなたがなぜ「その語は差別的だ」と思う、もしくは「この語には単なる区別機能しか有していない」と思うのか?それはどこから来た感覚で、もしそれが無かったとしたら今その語を見る目は変わっていただろうか?  何やら唯名論・実在論の話にもなりそうですが、ひとまず社会人・個人意識レベルで認識を見直す一助となればと思います。  なにか持論・解釈について語りたい方がいれば参考にしたいので書き込んでいただけると嬉しいです。返信は出来ないかもしれませんが...  膨大な長文・散文・いまいち纏まりがないと思われるかもしれませんがここまで読んでいただけたなら幸いです。