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【武士道】武士道の義勇仁礼誠の意味を教えて下さい。

【武士道】武士道の義勇仁礼誠の意味を教えて下さい。 義は決断と本には書かれていましたが、私は違うと思います。 日本人の義とは義理とか、負け戦、新選組の局長の近藤勇や、副長の土方歳三のように幕府軍側が負けると分かっていても忠義を持ってしておやに付いていく、正解ではない道と自分本人は分かっていても進まなければならない、間違っている道をあえて進む苦渋の決断のことを義と言って、義=決断ではなく、義=間違った決断をあえてする、苦渋の決断を義と言うのだと思います。 では、義勇仁礼誠はどういう意味か教えて下さい。 誠は含まない方が四字熟語の義勇仁礼というべきでしょうか? 武士道は五字熟語ですか?四字熟語ですか?

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noname#247736
noname#247736
回答No.2

追伸 「武士道」について、思い出したことがあるので追伸します。参考になれば幸いです。 「武士道」の精神は、「7つの徳」ばかりでもないようです。 有名なものに、江戸時代中期に、佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基が筆録しまとめた「葉隠」という書籍があります。「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名です。 葉隠 - Wikipedia また、明治時代に、新渡戸稲造という人が、日本人の道徳や正義を形成しているのは「武士道」だとして、英語で海外に紹介しています。 新渡戸稲造『武士道』要約と考察~現代、サムライの精神は死んだのか~ | 冷静と情熱のアイダ (hinemoto1231.com) また、戦国時代の武将、藤堂高虎の「家訓200カ条」なんて言うのもあります。 藤堂高虎 家訓 - kakunist ページ! (jimdo.com) 参考までに、その第1条は、「第1条 寝屋を出るより其日を死番と可得心かやうに覚悟極る ゆへに物に動する事なし 是可為本意」とあります。「朝おきたら、今日が最期の日だとおもって生活しなさい」という意味のようです。 また、戦国時代には、何人かの大名がそれぞれ「分国法」というのを定めています。これらも武士の心得が記述されているのではないかと想像します。武田信玄の「甲州法度次第」なんていうのもあります。 分国法 - Wikipedia

noname#247736
noname#247736
回答No.1

「武士道」の精神は、(1)仏教、(2)神道、(3)儒教を土台としているようです。その武士道が大事にした「7つの徳」というのが、あるようで、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」ということのようです。その意味は、下記のようです。 「義」とは正義のこと。 いかなる状況にあっても、間違ったことや悪いことを避けて正しい行動をとること 義とはサムライの中心にある柱のようなもので、どんなに才能や学問があっても、 義がなければ成り立たない。 「勇」とは、正しいことを実行するのに必要な豪胆さのこと。 「義をみてせざるは勇なきなり」という言葉があるが「義」と「勇」は互いに支えあう武士道の二本柱である。 「仁」とは、やさしさであり 自分よりも弱いものや恵まれないものへの思いやりの心のこと。 これは上に立つ者の必要条件だった。 敵であっても「勇」あるものには、敬意をもった。 「礼」とは他者に対する敬意のこと。 礼の基本とは「泣いている人とともに泣き、喜びにある人とともに喜ぶこと」である。 「誠」とは真実性と誠意のこと。 噓をつかないとかごまかしやズルをしないこと。 相手に誠実に接したゆえの噓の場合は「誠」の徳に反したことにはならない。 「名誉」とは 恥となることを避け、名を勝ち取ろうとすること。 恥を知る心は、人類の道徳意識の出発点だという考え。 「名誉」を得るためならば、サムライは生命さえ棄てた。 「忠義」とは 自分を犠牲にしても主君に尽くすという徳。 主君と家臣はこの忠義で固くつながっていた。 ご質問の「義勇仁礼誠」というのは、上記の「7つの徳」のうちの5つで、「義勇仁礼誠」の5文字自体が、熟語を構成しているものではないようです。「武士道」を語るときに、「7つの徳」として語ったり、そのうちの「5つの徳」を特に強調して取り上げたりするのではないかと思います。あるいは、「7つの徳」の代表的ないくつかを取り上げて、「武士道」のストーリーを作ることもあるのかもしれませんね。

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