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死にたい権利

死にたい権利 さて、生きていくうえで、死にたいと思うことは多々あるとは思いますが、調べてみても「相談」してくださいしかでませんね 別に相談したいわけではない そして死にたいと思ったとき選択肢にあるのはいつも怖そうだったり痛そうだったりです 死にたいと思う人を死なせない、これは権利の侵害ではないでしょうか? 終わりたいときに終われるのが私の理想ですが、果たして死にたい権利はこの先も認められないのでしょうか? 私がおかしいのでしょうか?病だろうか?

みんなの回答

  • www112233
  • ベストアンサー率26% (5/19)
回答No.14

これは、あくまでも私の個人的な見解ですので、参考程度に聞き流してください。実は私は長期に亘って馬鹿(本当の異常者の集団社会)に24時間つけ狙われて【人を極端に不快にするステルス凶行】だけをあれもこれもそれも駆使される遣り方での集団リンチに遭って来ている者ですが、毎日毎回一回一回こんな目に遭い続けていますと、しらけ切ってしまい、わざわざ自分で自分を殺す余裕などは1mmたりとも無くなります。

mgjgxgww
質問者

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余裕があるのも考えものです

  • kzr260v2
  • ベストアンサー率48% (790/1623)
回答No.13

>>病ですか 病気であるかの判断は、私ではいたしかねますが、可能性はゼロではないと思われます。 質問主さんにお伝えしたいことが、もうひとつあります。それは、今回のような場合、ご本人のどこかに「変わりたい。」という気持ちがあることです。その気持ちや衝動が、疲労や睡眠不足などで「死にたい。」という言葉になってしまった、という流れです。 ある人も質問主さんと同じようなことを思っていた時期があります。しかしその人自身の気持ちを突き詰めると、「死にたい。」ではなく「恥ずかしい。」のほうが近かったようです。そして、「恥ずかしい自分を変えたい。」に繋がります。 以上、参考にならなかったらごめんなさい。

mgjgxgww
質問者

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元気になりました

  • -ruin-
  • ベストアンサー率31% (239/769)
回答No.12

相談するから侵害されるのであって、何も言わずに勝手に死ねばその権利は侵害されませんよ? その状況で何を相談するのですか?迷いがあるのなら止められるのは当たり前です。

mgjgxgww
質問者

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そうではない

回答No.11

死にたいと思うこと自体は自由だけど、TPOは守りましょう。 ご自分の頭の中か、ご自分の部屋の中で、やってください。 相談して誰かの助けが必要と思ってるわけでもないのに「死にたい」とむやみに口に出すことや、他人の目に留まるところに、死を臭わすことを書くことは、自由だと思わないです。 他人の心理状態に影響を及ぼすことだからね。 病気を疑ってるなら、病院へ。

mgjgxgww
質問者

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自由とかではなくて痛い怖い苦しい思いをしないといけないのはつらいてすね

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10495/33005)
回答No.10

「死ぬ権利」ということをいう人がいますが、これ、そもそもが大間違いです。 なぜなら「権利」っては使ってもいいし、使わなくてもいいものです。もし死ぬことが権利なら、使わない自由もあるはずです。 だけど実際は、誰もがいつか死にます。 だから死ぬのは権利ではなく「義務」なのです。いつか必ず死ぬ義務があるのです。 終わりたいときに、終わらせることはできますよ。ああ自分は病気だなと思ったときに治療することを選ばなければそのうち死にます。水を飲まなきゃ早ければ数日で死にます。死のうと思えば死ぬことはいくらでもできますよ。 でも質問者さんも思うように、死ぬことは苦しいです。それはもう我々の遺伝子の中に「死にたくない」というのがインプットされていますので、死んでしまうようなことは避けるようにできているのです。 なので本来生きとし生けるものは「いつか死なないといけないが死にたくない」という本能を持っています。これは「税金は納めないといけないが、できれば納めたくない」のと同じですね。喜んで税金を払っている人は誰もいないでしょう。もし「払わない権利」があるならみんなそれを使いますよ。 それが「死にたい」と思っているわけですから、それは明らかに「異常」な状態です。典型的なのがうつ病です。うつ病だと死にたくなります。 もしその人がうつ病で死にたいと思っているならば、やらなきゃいけないことはまず病気が治るようにすることですよね。病気なのだから。

mgjgxgww
質問者

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正常ではないのですね

noname#247529
noname#247529
回答No.9

死を選ぶ権利、ヨーロッパの何処かで認められていましたね。重病の患者さんだったと思います。 これほど難しい権利はないでしょう。 宗教にさえ見られない話です。 何を根拠にしているのか、それをどうやって、他人に認めさせるのかなど考えてみましたか? ヨーロッパの話は、重病で回復の見込みがなく、通常でも苦痛が甚だしい、寝たきりの人に対して認めたと思います。すごく時間かけて決定したと思います。 一度、何処かの国の安楽死が認められた法律の要項を確認すれば良いと思います。 死を選択するのがどれほど重い選択であり、それをどうやって周囲が認め受け入れるのか、そしてそれをどう現実に制度化するのか、それらの難しさが垣間見られるのではないでしょうか? 現実の制度の話なら本を探すとかすれば勉強できると思います。 そして、このように現実問題として実現するのにハードルが高いことと、もうひとつ、人の心を支える宗教の中身的に死を選ぶ権利はないことがあるでしょう。 これは宗教の勉強をすればいいですね。 大体、安楽死などは重病などの条件がある話です。学問や制度の研究対象としても、そういう場合の話だけではないでしょうか?質問者さんがそもそも健康であるなら、論外でしょうね。 障がい者や浮浪者などの社会的弱者の排除に利用される危険が高そうには思います。

mgjgxgww
質問者

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痛い怖い苦しい思いをしなくてはいけないのは権利の侵害てす

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.8

キリスト文化を取り入れて以降、ないですね。 昔は、切腹やら一夫多妻などがありましたが 近代文化から、欧米文化を取り入れて以降 ないですね。 死んではいけないわけです。 死ぬのは、さがであり宿命だから、人が決めてはいけないという欧米文化の考えが定着しているのだと思います。 後、死ぬ権利があるのって死ぬ理由に付随することであり、安楽死も切腹も理由が通らないものは、認められません。根元として、自殺する動物は人間だけです。 死にたいと考えるのは、もはや病気でしかないでしょう。 なので、そう考えていたら病気だと思って 治療をしに行った方が良いと思います。

mgjgxgww
質問者

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お医者にいくと受付に追い返されちゃうんですよね

  • kzr260v2
  • ベストアンサー率48% (790/1623)
回答No.7

普通は、そのようなことを考えないのです。 ※ 原因は様々ですが、大体は過酷な環境で長い間生活し、思考の柔軟性が失われていることが多いです。改善するには、十分な睡眠だったり、長期休養だったり、栄養ある食事だったり、十分なお金だったりします。 ※ 先ほどの改善の例を見たとき「○○○だからそれはできない。」などと思われたでしょうか?思考に柔軟性が残っていれば、そのようには思わないようです。 ※ 睡眠が足りないなら心療内科で眠りやすくなるお薬を出して貰ってみてください。それ以外でしたら、Googleなどで以下のキーワード検索をお試しください。 コロナ 支援 以上、参考にならなかったらごめんなさい。

mgjgxgww
質問者

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病ですか

  • stpock
  • ベストアンサー率28% (2/7)
回答No.6

おかしくは無いですよ! 若い時にはそう言う事を良く考えるものです。 権利として認めると言う法的な権限を与える事は倫理的に良く無いと言う判断だと思いますが、実際には権利が有るのと同じですよね。 やろうと思えば、ほぼ誰にでも出来る事ですから・・・。 しかしそう言う権利のうんぬんを考える前に、生きている意味とか なぜ自分は存在しているのかについて子供の頃に教育した方が良いのではないかと思っています。 この教育を怠っているから、自殺が後を絶たないと思います。 因果応報と輪廻転生は学校で教えた方が良いですね。 そうする事で自殺も無くなります。 https://alcyon.amebaownd.com/

mgjgxgww
質問者

補足

若くはないです 物心ついたときから30年近く早く死にたいなと思い続けてきました

回答No.5

死にたい権利は既に存在するのではないでしょうか? 死にたいという言葉の使い方であれば、これはその人が死を選ぶ事のできる権利という捉え方を私はしました。 逆に他者がその人に対して生死の選択をする権利は存在しません。というよりも存在してはいけないと思います。 自殺でお亡くなりになった後、他者が関与している場合には他者が罪に問われます。死を自分の意思で決めた事なのか、他者が決めた事なのか、あるいは他者が(無自覚の場合を含み)死を誘発してしまったのか、、 ある意味でこの罪に問われる事こそが、「死にたい権利」をその人が守れたのかどうかという問いかけなのではないでしょうか?

mgjgxgww
質問者

補足

死にたい→ぽちっ→ちーんくらい楽にしにたいてす

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