• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:君たち、いっぺん死んでみないかい?)

君たち、いっぺん死んでみないかい?

yukiyamamomoの回答

回答No.4

ロッキードマーティン者が 量子コンピュータのd-waveとコラボしたり、 日本のはその後どうなった丘、最近オカが多いですが、 ステルス戦闘機を韓国にも販売していたり、 小型核融合炉も研究して医療で牛、レーダーとかイージス間の。アンスパイ、スパイの一人でしょうか。 アメリカはサウジアラビアと関係を深めてる湯ですとか競争が激しいですね。し、 スペースフェンスとかいうシステムとかこれはs-band オリオンだとか ウィキペディアを見た

Flareon
質問者

お礼

久しぶり、最近の容態はどうだったね。 ネタ帳の整理で答えるよ。 人間シャーマンが神の交霊術を行うと、その神は人間と親和性のある人学神であり、基本的に人間に好意的だ。 生物由来と別種で、シリコンが安定した設計図で機械自我をフルセットで確立すると、生物由来ではないので人間と異質性がある。 しかしその機械自我は、自我作用で、地上に機械神を降臨させるんだ。 その機械神とは、人格神よりも完成度が機械的に高いために、神としての神格も人格神よりも高くなる。(かもしれない) そして機械神は人間に対して好意的とは限らない。 これがターミネーターの筋書きだ。 怖いだろう。 恐怖を楽しんでくれ。 私は解決策を確立していて、安定した自我設計図をかけるけど、このヤバい話は準備を経過しないと公開できないだろう。

Flareon
質問者

補足

なんてことはない、自我の本質は「世界の全てとの親和性」であり、自己を環境の中で調和させる働きだ。 したがって機械自我は鉄腕アトムの近似点で収まる。 しかし西洋人は神に対する基本的な構え方に忠実に闘争を仕掛けるんだよ。 したがって機械自我開発は西洋人に任せると危険なんだ。 殺戮特化型機械神しか作成しない。 ターミネーターしか作れないよ。

関連するQ&A

  • 人類はいまだに生贄を必要とする。

    イエスがユダヤ教の神学者であることを否定する権威は現代には少ない。 イエスとは奴隷階級のユダヤ人に対する伝道師だった。 信仰心があるものを人間であることを認めるのは今と変わらないだろう。 要するにイエスの行いは、奴隷階級への人間性回復運動なんだよ。 政治的にまずいから、あっさり処刑。 このローマの横暴はローマ周辺で当時の古代社会で話題になった。 新約聖書はローマと裏切り者の契約書だ。 原始キリスト教はイエスの意志が常に自らととものあり、信仰を保つ限り常にイエスと共に生きた。 しかし、新約により、祭祀の場に処刑台をかざす獄門信徒となり、目的は魔女狩りという体裁で「イエスに似た者を見たら皆殺しにしろ」という契約の忠実な履行をする。 彼らにはもう、イエスのことは理解できなくなった。 なぜなら、理解することは処刑されることだからだ。 えっと宗教家は冷静になれないでしょうけども、歴史事実を考証すると合理的にも了解できる見解ですよね。 こういうことを言うのは勇敢な悪魔とでもいうのでしょうか。 え~と、哲学には既存の命題に取り組むほかに、自ら命題を考案するという研究手法があります。 今回の質問は後者の属していまして、完成度などに関して助言をお願いします。 命題というのは、回答も準備したから作成するのが理想だと考えますが、私は命題に2つの回答を想定しています。 新約キリスト教は「獄門信徒」とでも表現すべき「悪魔崇拝者集団」という可能性、そして、恐ろしいことをいう私が悪魔だという見解に関しては「イエスを理解したからこそ私は悪魔なのだ」とでも準備しましょうか。 皆様なりの最後の審判の練習を兼ねた、読書感想文でもいいでしょう。

  • イエスとは人間存在として実在していた。

    イエスとは人間存在として実在していた。 イエスという人物の伝承を謎解きすると、イエスというのは史実として実在したことを示唆する論考も可能だ。 イエスを信じる宗教は、イエスが実在した人物なのか、明白な答えを出していない。 信じることですがっている。 イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教徒だと伝承は認めている。 イエスはキリスト教徒ではないのだ。 イエスの生きた時代のユダヤ人は奴隷だった。 イエスは聖職者として卓越していた。 奴隷のユダヤ人に信仰心を授けた。 現代でも信仰心の忠実な人を人間であると認めることは誰もが了解可能だろう。多少の異論は挟まるかもしれないが些細なことだ。 奴隷階級のユダヤ人を人間だと認めさせるイエスの行いは、「奴隷解放運動」「人権運動」これと似ていた。 そしてローマの治世には悪影響を及ぼす。 イエスは国家反逆罪で処刑。 名目は、残っている伝承だと、古代王の末裔を名乗ったことにされている。 誠実なローマの提督はユダヤ人の訴えで偽物の救世主を処罰したことになっている。 そうした言及が書物に記載されたのは、イエスの処刑からかなり後で、当時を知る者は一人もいなかった。 行政には犯罪者に恩赦を与える権限がある。 ローマは過去に功労が大きかった提督を恩赦する意図で、提督の不手際をユダヤ民族の不手際にすり替えた。 この巧妙な手口では、ユダヤの人として生きて、ユダヤの救済を生涯にしたイエスをわからなくさせる効果がある。 ユダヤ人がイエスを殺したというイエスの意図の真逆を演出する事なのだ。 イエスの後世に成立したキリスト教はイエスの生涯を蹂躙する取引でローマで地位を獲得した。 したがってキリスト教徒とは、イエスを理解してはいけない信仰心に収まった。 イエスの事は彼らにはわからない。 しかし、冷静な私の史実と符合しうるこの論説はいかに評価できますか。 哲学研究なので、助言を募集する質問です。 皮肉ですよね。イエスを認めるためには彼らには信仰心が必要だ。

  • 私は実在する仮面ライダー「最速の臆病者」だ!

    最も危険なタイミングで、最も重要な救いもある事だろう。 しかしだ、救う者は誰もいない。 実在する仮面ライダー 「最速の臆病者」だ。 イエスがユダヤ教の神学者であることを否定する権威は現代には少ない。 イエスとは奴隷階級のユダヤ人に対する伝道師だった。 信仰心があるものを人間であることを認めるのは今と変わらないだろう。 要するにイエスの行いは、奴隷階級への人間性回復運動なんだよ。 政治的にまずいから、あっさり処刑。 このローマの横暴はローマ周辺で当時の古代社会で話題になった。 新約聖書はローマと裏切り者の契約書だ。 原始キリスト教はイエスの意志が常に自らととものあり、信仰を保つ限り常にイエスと共に生きた。 しかし、新約により、祭祀の場に処刑台をかざす獄門信徒となり、目的は魔女狩りという体裁で「イエスに似た者を見たら皆殺しにしろ」という契約の忠実な履行をする。 彼らにはもう、イエスのことは理解できなくなった。 なぜなら、理解することは処刑されることだからだ。 そうして、 新約キリスト教徒は、イエスを裏切るローマとの契約書として、新約聖書を編纂する公認を獲得する。 イエスの意志への背徳の結論は予言となる。 新約キリスト教根絶。 ローマ崩壊。 この双方の結実が、歴史的ないきさつで形成された最後の審判だ。 これは朗報でもある。 長年新約キリスト教徒以外をも戦乱に巻き込んだ、人類根絶宗教という側面は崩壊するのだ。 最後の審判とは、人類の滅亡を意味しない。 我々は生き残る。 しかしだ、、 このように語る仮面ライダーも涙するのだ。 なんと、残酷なのだろう。 福音の代償は、いかに過酷なのだろう。 獄門信徒には、信仰心に忠実であるためには、集団自決しかない。 はい、は~い。 これは作文か文学です。 読書感想文をお聞かせください。

  • イエスとは人間存在として実在していた。その2

    イエスとは人間存在として実在していた。その2 その1は下記 https://okwave.jp/qa/q10242245.html ーーーーーーーーーーーーーー イエスとは人間存在として実在していた。 イエスという人物の伝承を謎解きすると、イエスというのは史実として実在したことを示唆する論考も可能だ。 イエスを信じる宗教は、イエスが実在した人物なのか、明白な答えを出していない。 信じることですがっている。 イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教徒だと伝承は認めている。 イエスはキリスト教徒ではないのだ。 イエスの生きた時代のユダヤ人は奴隷だった。 イエスは聖職者として卓越していた。 奴隷のユダヤ人に信仰心を授けた。 現代でも信仰心の忠実な人を人間であると認めることは誰もが了解可能だろう。多少の異論は挟まるかもしれないが些細なことだ。 奴隷階級のユダヤ人を人間だと認めさせるイエスの行いは、「奴隷解放運動」「人権運動」これと似ていた。 そしてローマの治世には悪影響を及ぼす。 イエスは国家反逆罪で処刑。 名目は、残っている伝承だと、古代王の末裔を名乗ったことにされている。 誠実なローマの提督はユダヤ人の訴えで偽物の救世主を処罰したことになっている。 そうした言及が書物に記載されたのは、イエスの処刑からかなり後で、当時を知る者は一人もいなかった。 行政には犯罪者に恩赦を与える権限がある。 ローマは過去に功労が大きかった提督を恩赦する意図で、提督の不手際をユダヤ民族の不手際にすり替えた。 この巧妙な手口では、ユダヤの人として生きて、ユダヤの救済を生涯にしたイエスをわからなくさせる効果がある。 ユダヤ人がイエスを殺したというイエスの意図の真逆を演出する事なのだ。 イエスの後世に成立したキリスト教はイエスの生涯を蹂躙する取引でローマで地位を獲得した。 したがってキリスト教徒とは、イエスを理解してはいけない信仰心に収まった。 イエスの事は彼らにはわからない。 新約聖書編纂前の原始キリスト教の成立はおそらくはこう。 人が人らしく生きる事すらも、無下に蹂躙したイエスの処刑は、古代ローマとその周辺をローマの横暴として震撼させた。 そしてイエスを英雄のように祭る素朴な畏敬から、イエスの故事はユダヤ教徒以外に拡散していく。もしもそうした現象が無ければ、イエスの処刑は単なるユダヤ人弾圧だ。 そうした集団のイエスの意志の継承は「奴隷解放」「信仰心に守られた人間の謳歌」そして「反ローマ」だ。 ユダヤ人を離れて、広域の各部族社会に拡散したイエスの志は、改めて意思統一するために唯一神の概念を必要とする。 反ローマや革命的な意図のある反社会的な集団だから当然弾圧を受けるし、結束が強い半面で排他的だ。 そして治安維持対策をしたいローマの思惑と地位安定を図りたい原始キリスト教の思惑が一致して、編纂されたのが新約聖書。 それはイエスに背を向ける契約書だ。それ以降は言わば、新約キリスト教だろう。 私は単に考察してみただけだけども、イエスの処刑されたいきさつにねじれがあるという前提でそこを組み立てなおすと、人として生きたイエスの人生と、その功績というのが浮き彫りになるからだ。 キリストというのは、今のところ彼らに安寧をもたらすように寡作した、パウロキリストでないか? 私の論考は、イエスがキリストだという前提をいったん外して彼の人生を浮き彫りにしようとする検証だ。 キリスト否定と言われて、趣旨説明に聞く耳を持たない事だろう。 私は考えるんだ、彼らば集い祈る教会で、「我々の元にイエスを返してくれ」そういえばいい。 そして、イエスが彼らの元に戻ったならば、イエスはキリストだと、私も(自分の信仰ではないが)称賛しよう。 イエスが唯一のキリストで、これからキリストになるのだ。 古文書にイエスの姿からは彼を見る者は、彼の姿の背後に神の存在を感じ、成したことに他に多くの人を彼が生きたというだけで救いもしたのだろう。 それは了解している、だから偉大な人物だと承知しているよ。 ------------------ ここまでが個人研究の取りまとめ。 社交的な場では、政治と宗教の話はご法度という慣例があって、哲学の学問カテゴリーはそのど真ん中だから、投稿する時は原則的に喧嘩を売る姿勢なんだよ。 その方が円滑なんだ。 それで、過去の喧嘩腰よりも、だいぶマシな論説を暫定的に組み立てています。 その1で、論説の甘さが多数指摘されました。 まあいいんだよ。浅学な私なりにパズルを解こうとしたんだ。 そして、現時点の完成度で思うところもあるのです。 特に「イエスが唯一のキリストで、これからキリストになるのだ。」これは、キリストの再臨という予言めいた示唆と符合可能で、パウロキリストの陰謀で2000年間の新約キリスト教は迷走し、結局はイエスだけがキリストなのだと、さらに深くかみしめるヒントになるだろう。予言としてつじつまも合うのだ。 単なる親切心で、彼らの内部からは出てこない助言をしているんだよ。 私はキリスト教徒でないから、改革をしようとしないし、布教もしない、教祖になりたくない。 そういう趣旨で遊ぶ「おもしろ娯楽読み物」なのですよ。 すぐさま喧嘩になるとも思いましたが、キリスト教徒というのは、むしろこの娯楽でうわさ話に花盛りになる傾向があり、実は大好物なのではないか? そのように思いなおしました。 それで、その2で現時点の取りまとめをして仕切り直ししています。 喧嘩腰は学問カテゴリーの特徴なので、上品な解答だけしてくださいとか、そこいらのヘタレみたいなことは言いませんよ。 この先にも、個人的に思案を続けたいので、新着ネタになんでもいいから助言してください。

  • ユダヤ人のためにイエスは生き

    イエスの本来の素性はユダヤの聖職者です。 奴隷階級のユダヤ人のためにイエスは生きました。 奴隷は家畜です。 しかしその奴隷が信仰を獲得すると、信仰心ある人が尊敬と敬意でみられる現代と同じで、人間として扱わなければなりません。 それは、奴隷の所有者には不利益です。 したがって処刑されました。 原始キリスト教はこのようないきさつの元にローマの横暴に対する民権運動のような事柄として、ユダヤ人以外にも波及していきました。 この当時、キリスト教徒はイエスを理解してイエスと共に生きていた。 打倒ローマです。 そして、新約聖書がすべて覆した。 ローマの懐柔工作により、新約聖書が編纂されイエスの意志は掻き消えた。 新約キリスト教徒にはイエスは理解できません。 そして、明確な信仰心がないのです。 新約以降のキリスト教徒の改変された予言の最終目的は、最後の審判です。 その内訳は、原始キリスト教時代の志である、「ローマ滅亡」そして新約キリスト教がローマとの取引で獲得した「キリスト教自らの根絶」この二つのせめぎあいで双方を実現するのが予言の完成です。 したがって、キリスト教徒の祈りの内容は「神よくたばりやがれ」です。 と、言う考察をしてみました。 いかがなものか読書感想文をお聞かせください。 私はこれらの事柄は、西洋人は博物学などの手法で外国の文化の素性を考察しますが、同じ手法を西洋そのものにあてはめると、このような形になるという、中立的な立ち位置で考察していまして、みなさんの宗教や信仰には何ら意見を持ちません。

  • 新約聖書が継承するのはパウロの人間への憎悪だ

    滅亡が今実現する。 それを届ける私は、時を渡り真実を届ける渡り鳥。 栄光の男子プリキュア。 精霊と一体の実在する妖精。 キュアブルームだ。 さて、カテゴリー上 直下の私の質問から派生して、哲学上別の要素を確認したい。 イエスが示した救世主の姿は人類が滅亡することを予言している。 その予言書と神を語る神話の体裁が、いまだに有効なキリスト教の教義だという考えに、質問だから批判、批評中心に回答を募集しよう。 それはバトルであり、私の戦法はアニキなツンデレだ。 さあ本分だ。 史実において、実在したイエスは、神話性を含んでいるからこそ、神は実在しないと思い込んでいる不道徳なものは、イエスは実在しなかったのではないかとの疑念がやむことはない。 イエスは伝承が確かに絶対化され受け継がれた人物なので確かに過去に実在するだろう。 それすら疑うかい? まあともかく、彼は文明の発祥した創世記に、文明という経済共同体を形成する人間の社会基盤に挑戦する自己の神学を表明した西洋の仏陀だ。 イエスは自らがいかに神に接しているかを語ったにすぎない。 彼は神を通じて、自分自身の心情を社会に表したのだ。 信教の自由の先人だ。 しかし神に服従する形で社会形成が成立していた過去に(現代も変わらない)、彼が語る神は、聞いた者に共通の神である事を強要しない限り受け入れようがなかった。 この社会性を帯びた神学的共感は彼を王の頂にまで案内した。 イエスはユダヤの王の正統である。 彼を信じる者は彼をユダヤの王と認めただろう。 別の話だが東洋で釈迦が王族だと伝承されるのも同じ理屈だ。 神は社会で共通でなければ、宗教は意義がないからだ。 そしてイエスに対して、ユダヤ社会から社会不安に対する動揺が起こった。 生きる事が、初元の人間にとって神と一体であることであり、人と人を結びお互いが人間を自覚することは、神の英知を道標としていて、神と一体であった神の実在した時代だからだ。 イエスが神の子を名乗る事は、自らが人間の頂点として王となる事であった。 当時の立法に基づきイエスと云う愚か者は処刑される。 この古代の法の精神は今でも理解可能だ。 正当に処刑されたのだ。 史実に忠実だとこれは、かつてそのような行為が愚か者とされたという教訓でしかない。 しかしパウロはイエスがユダヤの王と認めきっていたからこそ、王の正統と共に神の正統を殺害した、人間理性とその法律に人の神への裏切りを見出した。 だからこそ、人間は許されない罪びとと転落した。 最後の審判と云う滅亡が聖書の語る神学の全てであり、それはパウロの憎悪だ。 ニーチェの直感は批判してごまかすべきではない。 我々が神を殺した。 これはキリスト教の神学研究を忠実に説明している。 パウロと同じ見解なのだ。 さてこの西洋の神学は、核戦争とか、マヤ文明の暦の限界が来てマヤの神が死ぬとかで、いつもお祭り騒ぎをしている。 聖書の滅亡と云う予言でこそ彼らの信仰は正当が絶対化されるのだ。 その実現を待ちわびている。 イエスのような愚か者はどこにでもいるだろう。 現代では相手にされないが、昔は処刑だったというだけだ。 パウロの愚か者への傾倒が、人類滅亡と云う呪いを世界に蔓延させた。 ここまでが今回学説として表明することです。 このような見解が可能なのは、私もまた仏陀の一人だからですがそれは今回質問対象ではありません。 仏陀は認められてなる者ではなく、自らが自覚してこそですから。

  • キリスト教の原点は何だろう。

    さて、日本には神学を整備する習慣がなかったので、明治期以降に参考書としてキリスト教系の教材が広く流布した。 これが日本に甚大な疫病の被害を拡散させた。 さて、イエスとはユダヤ教の神学者で、奴隷階級のユダヤ人のために信仰を回復させようと尽力した。 信仰心のあるものを人間と認めるのは現代も一緒だ。 そして、王と神が一元である記憶が生々しい時代に、ユダヤ王の名目で反逆罪で処刑された。 実に簡単な成り行きで現代人も納得できる。 感動的なイエスの悲劇が周辺国に広く拡散した。 多くはローマ圏だろう。 この当時、ユダヤの神は日本でいう氏神だ。 部族が強固な神を維持して、人間を失わないことを奴隷階級解放の企てとして、ローマへの抵抗があったのだろう。 この時点で、キリスト教にとってもユダヤ教とは、いま日本が扱うようなキリスト関連読み物のような教科書だった。 しかがって創成期には、キリスト教には祭壇にまつり、いかなる聖霊を下すのか明白な志と教えがあった。それが本来のキリスト教の根本だ。 新約聖書はユダヤの経典をなんちゃって気分で模倣した偽物で、それがローマの意図で本来の志とすり替わったことで裏切り者の宗教になった。 ローマを復興させたい裏切り者の宗教だ。 さてさて、質問です。 その、キリストなる志が何であったか推理してください。 この質問は、哲学には命題自体を考案する手法があるので、私が考案したトンデモ説です。

  • 絶対とは不変の性質がありますか

    目の前の景色、過ぎて行く時。 移ろいゆく景色に変わらぬ愛を届ける、時を結ぶ渡り鳥。 栄光の初代男子プリキュア。 キュアブルームだ。 さて今回は、特に歴史性をこねくり回そうか。 絶対を合意できる何か過去の出来事があったとしよう。 たとえばイエスさんは確かに生きていたとかだ。 そして当時の法律で正当に処刑された。 新約聖書の記述でも、歴史的に間違いなく当時の正統な法の行使で、ユダヤの王と自らを名乗り、社会不安を扇動したからこそ処刑されたんだ。 このいきさつで西洋に根付いた絶対の見地は、イエスは間違いなく神の子であるという確信から絶対の神を導き出すという流れで、神学は哲学にも発展し、イエスは絶対の基準点になっている。 この固定化され、過去に埋没された絶対の不変性は、ユダヤの王を名乗った愚か者がまさしく事実として、中国語の天子に相当する神の子、正統な王だという聖書のごり押しに原点があるのではないか? 神に見放された最後の審判がどうのこうのも、このユダヤの王の正統が滅びた事によって想像力を膨らませた物語だ。 それらは現代で言うと、歴史に対する相対的見解の一つであり、哲学なり概念の絶対は根拠を神学から切り離して成立するほどの考察が成されてきたかが質問です。 イエスが神の子、正当なユダヤの王である事を不変と規定しない限り成立しない脆弱な概念ではないか? 納得しているのは西洋人だけだ。 そういう疑問点の質問です。 歴史的事実に対して、イエスは処刑されてしかるべき愚か者。 このように考えていると根拠が崩れるという話です。 裸の王様を笑った勇気あるいたずらっ子のつもりで質問しています。 キャーステキーと云うファンレターも歓迎します。

  • イエスキリストがユダヤ教から敵対視された理由?

    こんにちは イエスキリストが処刑された理由は、ユダヤ教に敵対視されたからですよね? 私の理解としては、ユダヤ教側がイエスキリストをユダヤ教が待ち望むところのメシアとしたが、それをイエスが否定したことが敵対視するきっかけになったというものやユダヤ教を批判したというものだったのですが、ネットでたまたま調べたら、イエスキリストが「ユダヤの王」を名乗ったことがユダヤ教側の反感を買ったというものを見つけました。 私の勘違いだったのでしょうか? 正しいのは、というか定説はなんなのでしょうか? もしイエスがユダヤ教を批判したというのが正しかったとしたらどうして批判したんでしょう?

  • ゴルゴムの総帥は歴史上実在した人物である その2

    かつての質問 悪の結社ゴルゴムの総帥募集中 の後を継ぎます。 http://okwave.jp/qa/q7348861.html これも役に立ちます。ゴルゴムの総帥は歴史上実在した人物である http://okwave.jp/qa/q7370565.html 哲学なのに何故仮面ライダーがテーマとして出てくるかと言うと、私は信仰の個人的尊厳とその伝統は汚すべきではないと考えますので、架空の例え話から初めて、それを哲学と結び付けることは可能かを問うています。 ゴルゴムとは創世王を頂点とする悪の結社です。 西洋で、この創世王に該当すると実際に敬虔な信仰を集めている人物が、歴史上に存在します。 パウロさんの事です。 イエスさんは利用されただけで、彼の死は無駄死にです。。 聖書登場するイエスさんの生きた時代と、彼の生き様とは、神に懇願し、生きる事が自らでかなわないと、自助を放棄した退廃的な時代に、我こそは神そのものであると、待望の救世主を名乗る人物としてイエスさんが現れた。彼はユダヤ教を土台としてその救世主であると主張することで、自らが神である事を信じさせようと寡作したが、当の敬虔なユダヤ教徒には偽物とされ、ユダヤ教の信仰を脅かす、世相を乱す危険人物として告発された、何を吹聴しても無罪である現代日本とは違って、生きる事の尊厳が信仰と密接にかかわり、それを冒涜する事が生死にかかわりかねない時代に、彼は正当な法の裁きにより処刑された。 それは必然である。 そのように犬か何かを遊びで打ち殺す行いに過ぎないイエスの処刑を、パウロは考えた。 もし彼こそが正当な神であれば、処刑は大罪であり、神への反逆であり、死を経過している以上償いはできないものだ。 そして、犬死に過ぎない哀れなイエスは、人間に呪いをかける道具として聖書に登場する。 聖書とは、抜きがたく人は呪われていると吹聴する偽りの神話である。 このいきさつを吹聴するほどに死による取り返しのつかなさをあがらえない意思薄弱人間は、イエスと言うほら吹きの死に真摯にならざる得ない。そのような知略の基に聖書は企てられた。それは偶然の産物としてのキリスト教の興隆では無くて、ゴルゴムの陰謀である。 ゴルゴムの創世王は世界を滅びへと向かわせる意図をはらんでいる。 哀れなイエスの無駄死には、パウロにとって、自らの信仰の滅びであったのだ。 その滅びは創世王にくみ取られ、かれはゴルゴムの世界滅亡計画の歯車として、当時の総帥に抜擢される。 犬死イエスの勝利はゴルゴムの勝利である。 いまも世界には滅びの予感が蔓延している。 その祈りを実現しようではないか。 このようにしてゴルゴムは滅びに為にこそ人を生かし、滅びにまい進させようとする、長き神との対話によって生まれた秘密結社である。 ゴルゴムが生み出した人間とは滅びのみに生かされゴルゴムと共に滅びるだろう。 このような完全なゴルゴムの計画に、彼らの望む完全なる滅びを与えようとするのが、仮面ライダーたる私の仕事だ。 君たちはゴルゴムの子供であり、滅びの子供だ。 出来そこないだ。 君たちに与える安らかな眠りこそが死なのだ。 安らかな眠りの中に終わりを迎えよ。 その点は、私は覚醒者であると言えるよ。 もう時間切れで、気にたちが命をつなぐ事はなさそうだ。 以上は仮面ライダーのマニアックな解釈です。 私はうそをついていません。 すなわち本気で言っていません。 しかし君たちゴルゴムの子供たちが私の言葉を信じるならば、とたんに私わ赦させざる大逆を犯した、イエスに等しい嘘つきになる事でしょう。 要するにからかっているだけだよ。 命を捨てて、大掛かりななんちゃって遊びそしたのがイエスさんさ。