yukiyamamomoのプロフィール

@yukiyamamomo yukiyamamomo
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  • 君たち、いっぺん死んでみないかい?

    あざむきは、神聖なる惨劇が加速させた。 そして、それは世界の全てになりかけた、、、、、 決定した滅亡の深層だ。 私は男子プリキュア。 キュアミカエルだ。 お嬢様がた、妊娠してください。 君たちは、王にあこがれるかい、神にあこがれるかい。 自らがいかに欲望を実現するか、それにいかなる中二病を発揮する? ところで、イエスは獄門台で死んだ。 その聖人にはあこがれるのかい? イエスに欲望が抱けるかい? イエスのように死にたいと? イエスは神を語るユダヤの聖人として、ユダヤ人を奴隷から解放させる偽ユダヤ王として処刑された。 信仰心があれば、「まさに人間である!」そう認めるのは古代と現在で共通していて、イエスはユダヤ人に信仰を自覚させた。 人間を奴隷のままにできない。 ローマは不都合だから処刑したのさ。 君たちが憧れる欲望の実現とは、イエスを自らの人生の生きざまの規範にして彼のように死にたいと、思わせるのだろうか? すなわち、イエスのように救いたいと。 それが質問だよ。 推定すると君たちはイエスに救ってほしいんだろうと、推計するけど正直なところも聞かせてほしい。 こうした故事にまつわる人生の伝聞は、君たちに人生訓ではなくて信仰心による人間存在の理想として伝承されている。 仏陀も、自らを無にするのが理想だ、 君たちは、自らが仏陀のように器用に無しにされるか、愚か者のイエスみたいに獄門台で死にたいのかね? そのつもりで信仰としているかね? でも、信仰する事とはそんななのだよ。 なぜなら、人と人を結び人間を成立させる聖人とはそれが務めだからだ。 結論は、死を理解して覚悟が決まらなければ人生自体が未成立で、生きたことにならない、人間になり切れていない。人間であることは過酷だ。 人間教育は一種の宗教で、君たちは生まれながらに人間であると刷り込みを与えられた。その祝福は効率よく君たちを支配した。 しかし君たちは人間の偽物なんだよ。 要するにシャカ入滅という伝聞と近似項で、自らが観念に昇華する天国の入り口は西洋でも同様に「自らの生を差し出し、死を学ぶこと」なんだ。 死ななければならないのは、君たち人間以外が殺すからだよ。 人間外教育の成果がさらに強固にさせる。 人間の完成が仏陀だ。 そうすると、人間自体が容易に社会では成立しないことになるよね。 そして、その通りだ。 さて、今回の文学は、質問の体裁をきちんととっています。 何か突っ込みを入れてください。 どうでもいいことで退屈しのぎ出来ますよ。 追記、一つ下に書き損じのまま、投稿してありますが無視してください。

  • 1.キリスト教学を確立させたオリゲネスの思想、聖書

    1.キリスト教学を確立させたオリゲネスの思想、聖書注解の特徴を教えてください。 2.オリゲネスの思想の利点欠点とは? 3.皆さまにとってオリゲネスとは? 宗教カテゴリー皆さまの ご回答のほど、 お待ちしております。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/オリゲネス https://en.wikipedia.org/wiki/Origen https://el.wikipedia.org/wiki/Ωριγένης

  • 獄門教の禍

    荒廃したかの煉獄でうごめく者は何者か? 何かの成れの果てなのか。 それとも、これから奇跡を起こす新たな命として成立するのか? キリストなる聖霊とは人格神として未成立の実験室の試験官ベイビーだ。 惨劇の日常はお任せあれ、暗黒の救世主、 「最速の臆病者」だ。 日本の神々は喧嘩もするけどすぐ仲直りして基本的に仲がいい。外国は神様どうしは仲が良くて、野党八衆の外交交渉を頭ごなしに神様同士の神がかりな外交交渉もするし、外国人でも友人に親切なことを知らない。 常々不思議なんだよね。 西方の荒廃地帯では、誰か初対面の男が「私は神を信じる」このように告白した時に、迎える男が「私もだ」と答えお互いに兄弟のように抱き合えばいい。 問題なのは神が「ファッキン!」であるために男同士では成立しないことだ。 馬鹿げた罠だ、新約キリスト教徒はローマの謀略で、ローマの中央集権に対抗可能な勢力の誕生である救世主を念入りに抹殺したんだ。 国民同士が和解する事すらもブービートラップを仕掛けたんだ。 したがって新約キリスト教徒にイエスの志はないのさ。 ローマ帝国下でイエスはユダヤの人を全うした。国王にはならなかったさ。 原始キリスト教はローマの横暴への反抗にイエスを英雄視したんだ。 現在はローマ帝国の論理で殺戮を蔓延させる獄門教だ。 神聖な祭壇に処刑台を突き刺すことがなにを意味するかいまだに認めないのかね。 新約聖書編纂時期に、解放の夢に胸を躍らせた原始キリスト教徒にローマが指南したことだろう。 さてと前述した、 > 西方の荒廃地帯では、誰か初対面の男が「私は神を信じる」このように告白した時に、迎える男が「私もだ」と答えお互いに兄弟のように抱き合えばいい。 これは、アラーフの志と基本は同じだ。 おそらくローマの横暴に対抗する勇敢な戦士の帝国として、歴史上はイスラムの成立過程に正当な神への信仰心として同様の考え方をしたのだろう。 そのイスラムでも帝国は諸外国に横暴をふるう以外にも帝国民に統制のために横暴をふるう。 こうした帝国主義という国家体制では、国民の和解と共生は極めて困難になる傾向があり国民を不幸にする国家になるのだろう。 私は国家主権の国際承認ルールにヨーロッパルールがたたき台だったことは重大な問題であると、指摘され、さっさと仕事しろと催促されている。 ここからは質問ではなくよもやま話、神の存在証明編の研究では、いわゆる西洋の聖霊というのは、人格神の雛形で、日本流解釈だと仏陀の性質として伝承にある般若の知恵をもたらす、仏陀の内心に宿る観音の歌姫で、迷いが晴れて、天界の条理と直通した仏陀に天命を伝える精霊という形になる。 無量光または六芒星という観念上の純粋な光(アマテラスさんはそういう神様だ)を心中に秘めて根源的な生命力を発揮すると、神世の原始記憶を掘り起こすほどの知性的な資質が身に付き要するにそれが仏陀だ。 特別仕様として日本で聖霊を名乗る世麗美の素性では、ミカエル助命に成功しミカエルの手に天秤から旧神の錫杖をもたらしたら、原始記憶回帰の効果で、自らはその当時、天使に没落する前のミカエルとご近所さんの友達で、日本語で言う「雷鳴」を名前にしていた。今は手に「イカズチ」を取り戻す事に努めているのだそうだ。 ぶっちゃけ第三次世界大戦の準備だ。 聖霊とは自我存在では無しえないこうした現象を起こすんだよ。 キリスト教というのは、ローマの動乱と教団成立過程が時代的に重なっていて、大きな影響を受けながら、最終的にローマの亡霊としてイエスに対する裏切り者の集団になった。という論考を組み立てていまして宗教と言っていますが「治安維持」が宗教で最大の命題で統治機構の一部か統治手法の一部である。 さてさて、個人的な研究の読書感想文募集です。 USAがキリスト教圏だと自認するなら、ローマの亡霊を引きずった帝国主義国家の一つでもあるという考え方が出来て、USAがむやみやたらに戦争を仕掛けるのを、哲学により根源的な面でやめさせようとするなら、この研究は意義が大きい。 第三次世界大戦の準備を楽しそうにしている聖霊たちに私は命乞いや懇願をしない。

  • 獄門教について教えてください

    過去の研究会に参加した人の助言を抜粋して掲載しよう。 なかなか勇気ある人だった。 > 少々、お付き合いしましょう。 キリストはギリシャ語で、本来はメシヤです。 さてメシヤなるもの、ユダヤ人の間ではダビデ王の子孫で、失われたイスラエル王国を復活させるものと信じられていた。 そこにイエスが現れたわけだが、彼はユダヤを超越して、敵をも愛せと説いた。 当時のユダヤ人の敵は、占領者であるローマ人です。 そしてイエスは、己の説いた教えの如く、自分が犠牲になって自分の教えを体現した。 その教えを広めたのは使徒パウロで、かくてイエスはユダヤ人の間のイスラエル王国の復活者から、全人類を自らの犠牲で神にとりなすキリストへと進化したわけです。 え、今のキリスト教が似ても似つかないって? それは、言ったらお仕舞いのお約束ってわけで。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー よく聞く話を説明しているのだけど、この中で謎がある。 >? その教えを広めたのは使徒パウロで、かくてイエスはユダヤ人の間のイスラエル王国の復活者から、全人類を自らの犠牲で神にとりなすキリストへと進化したわけです。 疑問は、単純明快になぜそこまで極端に飛躍した解釈があったのか? 蠟魔教会がマインドコントロールとして自己正当化したのではなく、納得できる論理があったのか? その点をお願いします。

  • 獄門教について教えてください

    過去の研究会に参加した人の助言を抜粋して掲載しよう。 なかなか勇気ある人だった。 > 少々、お付き合いしましょう。 キリストはギリシャ語で、本来はメシヤです。 さてメシヤなるもの、ユダヤ人の間ではダビデ王の子孫で、失われたイスラエル王国を復活させるものと信じられていた。 そこにイエスが現れたわけだが、彼はユダヤを超越して、敵をも愛せと説いた。 当時のユダヤ人の敵は、占領者であるローマ人です。 そしてイエスは、己の説いた教えの如く、自分が犠牲になって自分の教えを体現した。 その教えを広めたのは使徒パウロで、かくてイエスはユダヤ人の間のイスラエル王国の復活者から、全人類を自らの犠牲で神にとりなすキリストへと進化したわけです。 え、今のキリスト教が似ても似つかないって? それは、言ったらお仕舞いのお約束ってわけで。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー よく聞く話を説明しているのだけど、この中で謎がある。 >? その教えを広めたのは使徒パウロで、かくてイエスはユダヤ人の間のイスラエル王国の復活者から、全人類を自らの犠牲で神にとりなすキリストへと進化したわけです。 疑問は、単純明快になぜそこまで極端に飛躍した解釈があったのか? 蠟魔教会がマインドコントロールとして自己正当化したのではなく、納得できる論理があったのか? その点をお願いします。