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「薩・長の主導権争い」で勝ったのは。
御一新も落ち着いてきて明治18年(1885年)12月、第一次伊藤内閣が発足しました。 それから長州と薩州が交互に内閣総理大臣を出すのですが、結局この権力争いで勝ったのはどちらですか。 政界、経済界・産業界、軍部に勢力を伸ばしたのはどちらですか、という意味です。 大正から昭和の始め頃には優劣がついていましたか。 もし、優劣がついておれば、そうなった理由は何でしょうか。 ゲスノカングリの質問ですが、よろしくお願いいたします。 歴代内閣 https://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html
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お礼
ご回答ありがとうございます。 大正に入ると、藩閥の力も選挙などのデモクラシーには勝てなかったということですね。 それで優劣なしということ、よく分かりました。