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キリスト教においての”セクシャルマイノリティー”

最近、セクシャルマイノリティーと言う言葉が表面化してきましたが キリスト教(特にプロテスタント)において、このような人達を差別・蔑視する行動が 目立っています。キリスト教の教義では人を差別・蔑視することを禁じているのに なぜに、ここまで世間の波(風潮)に足並みをそろえて差別。蔑視するのでしょうか? どなたか、わかる方教えてください。

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noname#25358
noname#25358
回答No.1

 「風習」と区別のつかない差別も多いからです。  心身不全者などと違って、「女性」という存在は太古より当たり前に社会に存在してきたものです。  ここ数年急速に認知されたものではないので、はっきり言って「2000年の歴史を持つ差別的風習」なんてのも普通にあるワケですよ。  頭の固い人達は、そういう歴史の深いものを覆す事がなかなかできません。  宗教家であっても所詮は人間ですから、一般の女性差別と同等(あるいはそれ以上に)一生懸命訴えていくしかないのがホントのところじゃないでしょうか。

その他の回答 (4)

  • aalext
  • ベストアンサー率30% (198/641)
回答No.5

#3です。 ご質問が >キリスト教(特にプロテスタント)において~ という事でしたので、欧米のケースを言われてるのだと思いましたが、違ったのですね。 例えばアメリカでの事例は、まさに今ニュースになってる通りで、根強い偏見というか差別というか、彼らにとっての正義がまかり通るケースがまだあるようなので(今回の例は政治的背景も大きいですが)、その事をおっしゃってるのかと。。。 補足いただいた内容によると、特に日本・韓国についてのご質問であるようなのですが、、 であるならば、キリスト教とは切り離して考えるのが妥当でしょうね。 というよりも、日本や韓国の国内における、キリスト教信者による差別・蔑視の例について、特別憤慨されているという事ではないのでしょうか。 そしてそれは、決して目立ってはいませんので、ご質問が少しわかりづらいと思います。 日本や韓国において、キリスト教は決してマジョリティーではなく、彼らによるセクシャルマイノリティー蔑視が目立っている事は、初耳の人が大半なはずです。 具体的に、事例をいくつかあげられると良いかもしれません。 又、日本国内においては、そういった差別が”目立つ”程、マイノリティーの方々がカミングアウトしませんので(キリスト教徒から受ける差別が理由ではなく)、話題としても取り上げられづらい問題であると推測されます。 かなり狭い世界の問題のように思いますので、恐らくそのスジの方でないと、的確な回答は難しいですね…。 何も知らず、私は回答者には不適任だったようです。すみませんでした。

  • syu0012
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回答No.4

旧約聖書においてなのですが、実に明確に 「女と寝るように男と寝てはならない」 ……と書かれてしまっています。レビ記…だったでしょうか。死に値する罪だそうです。 ちなみに、同じくだりで「獣と寝てもいけない」そうです。 聖書に書かれていることがすべて史実であり、真実で あると信じる方々を「ファンダメンタリスト」と言い ますが、未だにモーゼの前で海は割れたと思っている 方々はたくさんいらっしゃいます。 文化の中での流れもあるでしょうが、聖書の詞は重い かもしれませんね。

  • aalext
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回答No.3

こんにちは。 #2の方のご説明は、私も同じように聞いたことがあります。テレビの解説だったか何かの本だったか新聞だったか記憶不確かで申し訳ありません。。 とにかく、彼らにとってそれは「差別」ではないのです。 同性愛者などは、「不道徳者」で「けしからん」「悪」の存在なので、弾劾する事が正義と思っているのです。 欧米では宗教団体は権力のある存在ですし、彼らは自分達が正しいと言って決して譲りません。どこまで行っても相容れない難しい社会問題です。 何事も良い面悪い面あると思いますが、宗教は得てしてこのように極端に走る傾向が目に付くので好きになれません。

John_Hiro
質問者

補足

ありがとうございます。 しかし、欧米では世間一般的にセクシャルマイノリティーが認知されつつあり、ローマカトリックなどでは聖徒(信徒)として認知していますよね? しかしながら、アジア諸国(特に、日本・韓国)では根強く差別・偏見・蔑視してますよね??

noname#10094
noname#10094
回答No.2

正しいかどうかは良くわかりませんが。。。 私なりの理解です。間違ってたらすいません。 キリスト教は元々ユダヤ教でいうところの『救い主』がキリストである、というところから出発した、当時は新興宗教だったわけです。 現在でも、旧約聖書(ユダヤ教経典)と新約聖書(キリスト教経典)の2つを使用して協議が成立しております。 旧約聖書『創世記』第二章で神が女を創り、いわゆるアダムとイブができるわけですが、くだりとしては、 『それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである』とあります。 この教義を粛々と守ろうとすれば、所謂同性愛者は『神に逆らう』行為をしている、という解釈になるのではないでしょうか。

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