江戸時代商家の奉公人の定めとは?学問と脇差について知りたい

このQ&Aのポイント
  • 江戸時代の商家の奉公人には、値段が2分以上の脇差を使用しないことや学問をしないことが定められていました。
  • 一般的に番頭は脇差を必要としていたのか、また、学問とはどのような学問を指しているのかについて質問しています。
  • 文化4年の群馬県での話であり、奉公人とは番頭だけでなく手代も含まれるのか疑問が残っています。
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江戸時代。商家の奉公人が守るべき定め。

ある商家(酒造業他)の奉公人に対する定め書きに、「値段が2分以上の脇差を用いるな」とあります。 また、「学問をしないこと」とあります。 奉公人とは番頭を指すのか、手代も含むのか分かりません。 質問です。 1.一般的に番頭は、脇差を必要としていたのですか。 2.この場合の学問とはどのような学問ですか。   つまり、禁止せねばならない事情があったと推定されます。   学問を禁止している理由です。 因みに文化4年、今の群馬県での話です。 よろしくお願いします。 参考:https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190305103919.pdf?id=ART0009700830 107、108ページ。

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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.4

1.一般庶民は旅行の際の護身用として脇差の帯刀が許されていました。 他のことと合わせて考えれば、 質素倹約に勤めろと言うことだと思います。 2.朱子学(儒教の一派)と国学でしょうね。 蘭学は時代的にちょっと早いと思います。 >学問を禁止している理由です。 一番の理由は仕事に差支えるから。 日の出ている日中に働いているので、 勉強するのは夜。 夜更かしして翌日の仕事に支障をきたすようでは困ります。 なので、酒や遊行も禁止で、 一局が長くなる囲碁や将棋も駄目。 出かけたら日帰りと言う決まりもあるし。 もう一つは、 夜にしか出来ないので、 住み込み番頭であれば、油代は当然主人持ちになります。 文化4年だとろうそくも安くはなってきましたが、 それでも庶民がしょっちゅう使用できるものではなく、 商家でも住み込みの使用人にしょっちゅう使われればたまったものではありません。。 農村地域であれば魚油も高価で、 照明用として使うのは松脂が主流。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 質問に採り上げたこの商家の場合、奉公人は徹底して商いだけに集中せよ、そして質素倹約に努めよ という方針なのですね。 勉強するには夜しかなく、油代がかさむとのこと、なるほど!

その他の回答 (3)

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率62% (953/1525)
回答No.3

当時、学問(原文は「学文」となってますが)といえば儒学をさすといって良いと思います。論語などを学ぶことです。 奉公人に対して学問を禁止しているのは、仕事に専念させるためというのもあるでしょうが、奉公人が主人以上の教養をもつことを嫌った、恐れたというのが最も大きいと思います。脇差の値段は2分以下にしろ、手道具は100文までの品にしろ、糸絹類は身につけるな、などの決まりも主人との身分の違いを明確化するためのものです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「奉公人が主人以上の教養をもつことを嫌った、恐れた」ということですね。 なるほど! 色んな解釈の仕方があるものですね。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6243/18610)
回答No.2

町人の脇差 豊臣秀吉政権の際の刀狩以後も百姓・町人など非武家階層の者達もまだ一定の武器を保有しており、完全に武装解除された訳ではなく、二刀帯刀の武士の身分標識化が目的であった。しかし、江戸時代には幕府が銃刀などの規制に消極的で町人たちの帯刀が普及して、江戸の街で装束として刀脇差を腰に帯びることも許容されていた。町人は脇差を常備帯刀して、祭礼や遊里、風俗など特別な場合に二刀本差ししていた。だが外見では当時の武士と見分けがつかず問題視して、寛文8年(1668年)3月令で長刀に関して町人帯刀の禁止をして、武士の身分標識としたが、なおも脇差の制限はなかった。wikiより 教育と学問 町人の子弟は 読み 書き そろばん などを寺子屋で学んだ・・・教育 武士の子弟は 儒学などを学んだ・・・・・・・・・・・・・・・・学問 学問の禁止とは 「読み 書き そろばん」 それ以外の範囲を指す。 理由は他の回答にもあるようなことです。 現代になっても 女に学問はいらないと言う人いますね。料理などの家事に関するものは教育で 科学は学問とでも言うのでしょうか そういう人たちは。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 脇差は、旅の必携品だったそうですからこれは理解できるのですが、商家の決まりにわざわざ取り上げているのが疑問でした。 (ただし、この商家だけの特異な事例かも知れません。) 番頭が寄合に出る場合の“恰好良さ”では、と思っていました。 教育と学問についてはよく分かりました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

1。一般的に番頭は、脇差を必要としていたのですか。  現在と違って気に入らなければ「斬り捨て御免」の治安の悪い時ですから。多少の護身用のものは、必要であったと思われます。 2.この場合の学問とはどのような学問ですか。つまり、禁止せねばならない事情があったと推定されます。学問を禁止している理由です。  この前後を、ご覧になってください、碁将棋、他に出ればその日の内に帰ること、用事以外で出歩かないこと、連歌俳諧、酒宴遊興をしないこと、とあります。  当時の学問とは、読み書き算盤、漢籍の朗読などで、そういうことは良家の子女に任せるべきで「時間や金の無駄遣い」のうちに入れられていると思います。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 護身用として脇差が必要だったと言うことですね。 いったいどんな時に差す必要があったのか、集金や仕入れ時に持っていたのでしょうね。 学問は「時間や金の無駄遣い」だからというわけですね。なるほど!

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