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橋の下で拾われてきた皆さんに質問です

「橋の下で拾ってきた」という全国規模で使われている慣用句があります ところでなぜこんな慣用句があるのでしょうか? ・昔は本当に橋の下に捨てていた ・有名なそういう話が合った ・橋の下はお化けが出そうな雰囲気があるのでそういうところから拾うことに意味があった こんな感じで、あなたの想像ではなくて、「こんな風に理由を聞いたことがある」という方のみご回答いただければ幸いです 「そんな話は聞いたことがない」という産婦人科産まれの方は回答ご遠慮ください

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回答No.2

私も小さい頃、母からそう言われました。丁度、実家の上にお寺さんがあり、その竹藪に捨てられていたのを拾って来た。とよく言われました。でも他の兄弟にはそう言わなくて、私にだけ言うのです。なぜそう言うのか、聞いた事はありませんが、「竹藪で泣いていたのを拾って来たのだから、親を大事にしろ」とこのような意味合いがあったと思うのです。戦後、親を戦争で亡くした子供たちが橋の下で生活したり、不幸にして食べ物も与えられず亡くなった子供達も沢山います。このような事も含めて、「橋の下で拾って来た」という事が言われたのかも分かりません。

agehage
質問者

お礼

「後、親を戦争で亡くした子供たちが橋の下で生活」 これがすごくしっくりきました。そういう子供が昔はいて、そこから拾ってきたのだ、という意味ですね。私の中で結論が出たようです。ありがとうございました。

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その他の回答 (6)

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6320/18833)
回答No.7

屋根のある暮らし」という慣用句があったような気がするけど 橋の下は屋根のある暮らしではある。 子を捨てるときも すぐに死んでしまうのではなく 少しでも生きながらえてほしいということで そういう場所を選ぶ。 雨風をしのげる・・風はしのげないけど 雨はしのげる。 先住民がいるかもしれない。 といった理由で 橋の下に捨てる。

agehage
質問者

お礼

悲しい親心、そんな時代もあったのかもしれません。ありがとうございました。

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回答No.6

橋の下は今で言うホームレスや売り女が棲み着いていたからではないでしょうか。江戸時代以前では行き倒れの遺体を河原へ捨てる事が多かったようです。河原はあの世とこの世の境界で、あの世に近い場所として認識されていたようです。 また、河原は市街地に近い空き地として、芸人などの無宿人が集まりやすい場所でもあったようで、そこから河原乞食という侮蔑用語が生まれました。 育てられない赤ん坊を河原に捨てると彼らが育てたり、また、暗黙の裡に橋の下に置くことで捨てたのだと周知させることが出来たので、拾われる確率が高かったのではないでしょうか。 一説によると、弱い子をワザと危機にあわせ健康を誓うと言う儀式的な事も一説にはありますね。

agehage
質問者

お礼

さまざまな理由があるようですね。ご回答ありがとうございました

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回答No.5

健康祈願の儀式で1度川岸に捨て拾うというものがあったそうです。 桃太郎にあやかってというものかと。 戦国時代や安土桃山時代にはそういう風習はあったようです。 (秀吉が生まれた子に対してやりましたが、長男は早世してしまいました) また日本神話のヒルコ信仰に通じるものもあるそうです。 ヒルコは流され捨てられしまいますが、日本本土に流れ着き神になります。 「日る子(太陽の子)」あるいは恵比寿と同一視されております。 日本の話ではありませんが、中国の農業の神であり周王朝の姫姓の祖である后稷が母親に何度も捨てられ殺そうとするも不思議と動物に踏まれなかったり助けられたりするもので結局自分で育てることにし、成長した后稷は舜帝の元で大成したという伝説からもきているようです。 旧約聖書の「十戒」のモーセも川に流され拾われたというエピソードがあり、世界各地に捨てられ拾われた者は偉人になるという伝説があるようです。 が、次第に健康祈願、大成祈願の意味が失われ、親の子に対する「出来の悪い子を自分の子として認めたくない」という心理や拾ってやったという恩を着せて服従させるという躾の意味に(正確な時期は調べがつきませんでしたが明治以降から戦後あたり)なってしまったようです。 ですが、近年は「心理的虐待」になってしまうので、そんな意地悪を言わないようになりました。

agehage
質問者

お礼

いろいろ深い理由が推測できるのですね。ありがとうございます。

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  • KGS
  • ベストアンサー率24% (1323/5320)
回答No.4

戦後の混乱期から昭和30年代、40年代にかけて橋の下で生活するホームレスの人がたくさんいたのです。 拾ってきた材木や板で戸や壁を作って橋の下に住居を作って生活している人がたくさんいて、周囲にゴミや残飯を捨てるなど不潔な生活をしていました。 ときどき、汚い服を着てボロ拾いや店の残飯などをもらって生活している様子を見て、親の世代は「いい子にしていないと橋の下に捨てるぞ」と言って子供をしつけたのです。 また、子供は子供同士で「お前は、あの橋の下で拾われた」と言うような悪口を言い合うようになったのです。 子供ですから、悪気があるわけではないのですが、当時は通学路に橋の下で生活している現場を通ることがあって、冗談では済まないような冗談でした。

agehage
質問者

お礼

路上生活者ならぬ橋下生活者がいた、そこから拾ってきた、ということですね。ありがとうございました。

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  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.3

 かつて、と言っても江戸時代から戦後しばらくまでの間、多くの橋が現在ほど高くなかったので、河原の橋の下は、何とか雨風をしのぐことができ、現在のホームレスに当たるような人々が、捨てられたよしずなどで囲って住んでいました。(ブルーシートなどありませんでした)  そういう環境でしたので、捨て子をする場合、親としては少しでも雨風に当たらぬようにという思いで橋の下に置き去りにしたと言うことです。  しかし、物語や落語の話としては、そういう話はありますが、実際に橋の下に捨て子が多かったと言うことでもないと思います。  

agehage
質問者

お礼

親心から橋の下に捨てていたという説ですね。ありがとうございます。

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  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2142/10860)
回答No.1

うちの子ではないのに、食べさせて、学校にも行かせているんだから、しっかり働け、勉強しろ、私の言っていることをしておけ。 戦争などでの孤児がたくさんいたから、そんな話が出きたのです。

agehage
質問者

お礼

時代が作った慣用句だったということでしょうか ご回答ありがとうございます

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