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宮沢賢治の「北守将軍と三人兄弟の医者」です。教えていただきます。

日本語を母国語としていないものであり、今賢治の童話を勉強していて問題文は「北守将軍と三人兄弟の医者」一部分です。 それからおれはもう七十だ。 とても帰れまいと思っていたが ありがたや敵が残らず脚気で死んだ 今年の夏はへんに湿気が多かったでな。 それに脚気の原因が あんまりこっちを追いかけて 砂を走ったためなんだ そうしてみればどうだやっぱり凱旋だろう。 殊にも一つほめられていいことは 十万人もでかけたものが 九万人まで戻って来た。 死だやつらは気の毒だが 三十年の間には たとえいくさに行かなくたって 一割ぐらいは死ぬんじゃないか。 そこでラユーのむかしのともよ またこどもらよきょうだいよ 北守将軍ソンバーユーと その軍勢が帰ったのだ 門をあけてもいいではないか。」 質問(1)「今年の夏はへんに湿気が多かったでな。 それに脚気の原因が あんまりこっちを追いかけて 砂を走ったためなんだ」 今年の夏は湿気が多いので敵の兵士は皆脚気になってしまった。下の二つのセンテンスはいくら読んでも分かりません。 質問(2)「そこでラユーのむかしのともよ またこどもらよきょうだいよ」 このセンテンスの意味も分からないのです。 分かりやすく説明していただけませんか。よろしくおねがいします。

  • aifen
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noname#11434
noname#11434
回答No.2

(1)について。 全文読んだわけでないので、推測ですが、 「それに脚気の原因が あんまりこっちを追いかけて(来たので) (おれたちが必死で)砂を走ったためなんだ (そのおかげで無事に帰ってくることができた)」 という意味じゃないかな? あくまで推測なので、全文読んでみないとわからないけど…。

aifen
質問者

お礼

たいへんありがとうございました。すごく役に立ちましたよ。心から感謝いたします。

その他の回答 (1)

回答No.1

質問(1)に関しては、その1文前から意訳してみます。 ありがたいことに、敵が一人残らず脚気で死んだ。 なぜなら、今年の夏は変に湿気がおおかったから。 それに脚気になった原因が こっちの軍をあまりにも追いかけて 砂の上を走ったためだった 厳密には脚気の原因は湿気でも砂上を走ることでもありませんが、昔の話ですのでしかたありません。 質問(2) そこでラユー(歌が聞こえた町)の昔の友(友人)よ、 また子供らよ 兄弟よ これでわかりますか?

aifen
質問者

お礼

すっかりわかりましたよ。教えていただきましてほんとうにどうもありがとうございました。

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    「北守将軍ソンバーユーは いま塞外の砂漠から やっとのことで戻ってきた。 勇ましい凱旋だと云いたいが 実はすっかり参って来たのだ とにかくあすこは寒い処さ。 三十年という黄いろなむかし おれは十万の軍勢をひきい この門をくぐって威張って行った。 それからどうだもう見るものは空ばかり 風は乾いて砂を吹き 雁さえ干せてたびたび落ちた おれはその間馬でかけ通し 馬がつかれてたびたびペタンと座り 涙をためてはじっと遠くの砂を見た。 その度ごとにおれは鎧のかくしから 塩をすこうし取り出して 馬に嘗めさせては元気をつけた。 その馬も今では三十五歳 五里かけるにも四時間かかる。 それからおれはもう七十だ。 とても帰れまいと思っていたが ありがたや敵が残らず脚気で死んだ 今年の夏はへんに湿気が多かったでな。 それに脚気の原因が あんまりこっちを追いかけて 砂を走ったためなんだ そうしてみればどうだやっぱり凱旋だろう。 殊にも一つほめられていいことは 十万人もでかけたものが 九万人まで戻って来た。 死だやつらは気の毒だが 三十年の間には たとえいくさに行かなくたって 一割ぐらいは死ぬんじゃないか。 そこでラユーのむかしのともよ またこどもらよきょうだいよ 北守将軍ソンバーユーと その軍勢が帰ったのだ 門をあけてもいいではないか。」 質問(1)「今年の夏はへんに湿気が多かったでな。 それに脚気の原因が あんまりこっちを追いかけて 砂を走ったためなんだ」 分かりやすい言葉で教えていただきます。よろしくおねがいします。

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