朝鮮人の神風特攻機、逃亡防止のため窓を溶接? | 神風特攻隊の最後の肉声
- 日本の特攻機において、朝鮮人の神風特攻隊員は窓を溶接されたという話があるようです。しかし、実際には自爆以外の動きができないように燃料を最小限にしていたと言われています。
- この神風特攻隊員のアニメでは窓が溶接されるシーンが描かれていないため、窓を溶接したことはなかったのかもしれません。
- 日本の特攻機は窓を自由に開け閉めできる状態だったのでしょうか?
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朝鮮人の神風特攻機だけ逃亡防止で窓を溶接した?
韓国人「17歳の朝鮮人神風特攻隊、出撃前の最後の肉声」 http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/37401342.html https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10134500940 自爆以外の動きができないように燃料を最小限にしたとは大昔に聞いた気がしますが、逃亡を阻止するために窓を溶接というのは初めて聞きました。 この神風特攻隊員のアニメでは窓が溶接されるシーンがありません。 https://www.youtube.com/watch?v=qARsfzjHlEA 日本人の特攻機は窓を自由に開け閉めできる状態だったのですか?
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現実的に考えれば、窓を溶接する必要なんてないでしょう。だって空の上を時速何百キロで飛んでるんだから、飛び降りたところでどのみち死にます。最初から死ぬつもりで出撃しているので、落下傘も持っていなかったことでしょう。 戦場の上空でなんとか捕虜になる方法を探すのも無理でしょう。なにせその捕虜になる先の人たちから容赦なく撃墜するために撃たれるわけですから。太平洋戦争では日本軍の捕虜がとても少なかったことはご存じだと思いますが、それは日本兵が捕虜になろうとしなかったと共に、アメリカ軍兵士も日本軍兵士の捕虜は「とらなかった」というのもあるんですよ。元海兵隊員の回想記にもそう書いてあります。理由は、日本兵は負傷兵を助けようとした兵士も狙い撃ちにしてきたからです。 燃料を最小限にするのも、元々帰ってくるつもりがないのだからそれは仕方がないことだと思います。もっというと、神風特別攻撃隊のための訓練を受けたパイロットは、そもそも着陸の訓練もほとんど受けていなかったというのさえあります。着陸する必要がないですから。 あの菊水作戦で戦艦大和が沖縄特攻をするぞというとき、日本国内の燃料用の重油はほとんど枯渇状態にありました。その頃、韓国の釜山には日本向けの穀物などが大量に集められました。船も集めたけれど、肝心の燃料がない。本土から燃料を回して最後の補給物資を日本に送ろうとする計画の途中で、その本土回航用の燃料は戦艦大和の「帰り道用の燃料」に回されてしまいました。 大和特攻は、特攻という名目だったのですが実は密かに帰ってこられるように復路の分の燃料も積んでいたのです。 さて、その貴重な燃料は大和に使うべきだったのか。それとも多少なりとはいえ窮乏した国民生活を救うための輸送に使うべきだったのか。難しい問題ですね。 またこんな話もあります。沖縄戦の最中にアメリカ軍が占領した飛行場に強行着陸して破壊活動をする「義烈空挺隊」というのが組織されました。空挺部隊というのは今も昔もエリート部隊なので、空挺隊員は必死の作戦と聞いても覚悟ができていますが、それを輸送する爆撃機のパイロットとすれば「確実に死ぬ作戦」なんてどう考えても士気が上がりません。実際、パイロットたちの士気は低かったそうです。しかし途中で「アメリカ軍の飛行機を盗んでそれで帰ってきてもよい」となってアメリカ軍機の操縦の訓練も始めるようになってみんな俄然士気が上がったらしいんですね。 人間、絶対に死ぬってなったらなかなかそう気持ちは上がるものではないと思いますよ。
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- edogawaai
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事実に間違い有りません これは、金日成も自分の目で見た、と証言している言葉を 俺の爺さんも、確かに聞いたと 母さんのイアンフからの言い伝えです
- bardfish
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当時の日本の溶接技術はそこまで至っていないと思います。 まず、航空基地に駐機中の航空機のキャノピーを溶接するためには、移動式の溶接機が必要ですよね。 今ならガスボンベを載せた台車を引っ張って電源が確保できさえすればガス溶接もアーク溶接も電気溶接も可能ですが、終戦間際の日本は本土であっても電気の使用の制限、移動式の溶接機なんてものは存在していないと思います。 そもそもの話になりますが、日本帝国軍の航空機や艦船は溶接による接合は行われていないと記憶しています。 ではどうやって接合しているかというと「リベットによる接合」だけのはずです。 ゼロ戦の血の滲むような工夫として必ずあげられるのが「沈頭鋲リベット」。 それまでのリベットは頭が丸く飛び出ていたのですが、ゼロ戦開発者は空気抵抗を減らすためにリベットの飛び出し部分まで削ったのです。 私もその話を初めて聞いたときに「なぜスポット溶接を使わなかったのだろうか?」と疑問でしたができなかっただけなんですね。 つまり、溶接技術がそこまで至っていなかったということです。 その程度の技術レベルで、発進待機中の戦闘機のキャノピーを溶接できるはずもありません。道具もないし。 燃料についてですが、特攻には訓練過程半ばの予科練が多かったと記憶しています。 特攻に出撃したら必ず敵艦を撃沈しくる覚悟なんですから、離陸が出来ればされでいい。 離陸は比較的簡単にできるが着陸は困難というのが常識ですよね。 だから、離陸はできても着陸ができない若輩者が特攻のパイロットとして選ばれる。 では、数少ない生き残りのベテランはどうしたかというと、特攻機の護衛。 離陸がやっとできる程度の未熟なパイロットにリミットいっぱいの爆弾を抱えさせ、さらに燃料満タンなんて…離陸できずに滑走路をオーバーして貴重な機体と燃料がもったいないと考えて燃料も最小限にしたのかもしれません。 というか、私はそういう理解でいました。 ですから、自爆や逃亡できないように燃料を減らしたというのは初耳です。 >日本人の特攻機は窓を自由に開け閉めできる状態だったのですか? 特攻機の護衛についたベテランパイロットの方の証言ビデオを見たときに、特攻に赴く少年パイロットの最後の姿を語ったものがあったと記憶していますが、その語りの中でキャノピーを開けて護衛戦闘機に敬礼をして旅立った、みたいな行があったように思います。 資源も物資もなかった終戦間近の日本らは軍であろうとそんなことをする余裕はなかったはずです。 livedoorのブログを見るに、韓国ネット民にはそういう時代考証とか時代背景というものがすっぽり抜けているように思います。 他の話題を見ていても思うのですが、今の価値観や技術を70年前にも当てはめて日本を批判しているようにしか見えません。
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お礼
移動式の溶接機は昭和初期の日本には存在しなかったのですね。 参考になりました。 ありがとうございます。