• ベストアンサー

神風特攻隊についての考え方

僕は、ちょっとした機会があって神風特攻隊の人々を知りました。 ホームページとかも拝見し、結構深く調べてみました。 深く知れば知るほど悲しくなってきて、涙が止まらなくなりました。 僕は、彼らを英雄だと強く思います。今の日本に自分のすべてを捨て、大切なものを守れる人がいるでしょうか。自分が死ぬと分かっていても大事なものを守りたいと思う人がいるでしょうか。作戦としては、間違っているとは思いますが、彼らは間違っていないと僕は思います。見習うべきだと思います。でも、これは僕の個人的な思いで皆さんがどう思っているかは分かりません。そこでお聞きしたいのですが、正直、皆さんは彼らをどう思いますか?

  • 政治
  • 回答数7
  • ありがとう数8

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.4

彼らが英雄になることを望んでいたとは思えないので、わたしは英雄とは思いません。 きっともっとなりたいものがあったはず。 英雄と称えたい気持ちもあります。 でも、彼らの行為は間違いです。それによって亡くなった敵兵もいるのですから…人を殺して自らは死ぬ。例え、命令でもそれは英雄とは言えないのではないかとも思ってしまうのです。 神風特攻隊の他にも特攻命令を受けた方はたくさんいます。 例え、卑怯者と思われても彼らには逃げてほしかった。逃げれない時代なのはわかってるのですが、それでも逃げてほしかったです。 逃げるよりも潔く死ぬ。 大切な人のために生きることを選べない時代と命令をくだしていた馬鹿な人間の心を持たない人たち。 そんな時代に国による洗脳ともとれる教育をうけた思想を当時を生きた方々は見習ってほしいのでしょうか… 自らの命を絶っていく中、大切な人のために生きていく姿こそを見習いたいと思います。 彼らが英雄だと称えられても、愚かな行為だったと嘆かれても、今彼らが悲惨な自分の最後を忘れて安らかに眠っていただくことを願ってやみません。

sirokumaz
質問者

お礼

回答ありがとう御座います。 ♯彼らの行為は間違いです。 そうですね。僕もただ英雄とたたえるのはどうかと正直思っています。 それでも、英雄と質問に書いた理由は、間違いだとも思うけど、どちらかというと自分の考えは英雄だと思う。に傾いているから。ということでした。でも回答者様の意見を聞いてみて考えてみると、自分の考えが未熟だったことがよく分かります。自分の個人的な考えを彼らに押し付けただけで何も変わらないということがわかりました。すべてを肯定するのではなく、見習うべきところは見習う。その考えが大切だと分かりました。ありがとう御座いました。

その他の回答 (6)

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.7

 英雄ではなく、被害者ですね。  でも、インパール作戦に参加した私の伯父さんは、彼らを幸せだと言っていましたね。  彼らは、戦死するまでは食料があり、戦うための武器も与えられたからだそうです。  インパール作戦では、同郷の同じ小学校の同級生もふくめて、多数の兵士が武器・食料のないまま、泥水の中で死んでいったそうです。

sirokumaz
質問者

お礼

回答ありがとう御座います。 ♯英雄ではなく、被害者ですね。 そうですね。考えてみればこの上ない被害者ですよね。戦争で散華されていった方々は一部の上層軍人の被害者ですね。参考になりました。ありがとう御座いました。

  • s-f-y
  • ベストアンサー率33% (19/57)
回答No.6

>作戦としては、間違っているとはおもいますが、彼らは間違っていないと僕は思います。 この考えに 私は非常に共感します。もちろん 作戦自体、またこの戦争自体についての 反省は必要だと思います。 しかし それと、個人の心は区別しなければなりません。彼らは 純粋に国のために命をささげたのです。 見習うべきは 人を殺すことではなく 他者の 幸せのために 自分を犠牲にするその精神ではないでしょうか。 ちなみに私の母の叔父も特攻隊員でした。 宇佐からとびたったそうです。  

sirokumaz
質問者

お礼

回答ありがとう御座います。 ♯見習うべきは 人を殺すことではなく 他者の 幸せのために 自分を犠牲にするその精神ではないでしょうか。 そうですね。非常に勉強になりました。 ♯ちなみに私の母の叔父も特攻隊員でした。 宇佐からとびたったそうです。 そのような過去を今語っていただいて本当に感謝しています。 ご遺族の方には、深く祈祷の意を示し、祖父様には心からのご冥福をお祈りいたします。

  • rin00003
  • ベストアンサー率13% (55/394)
回答No.5

私も特攻に関しての本は何冊か読みましたが、新人物往来社の[特攻作戦]が比較的読みやすく、全般的に詳しく書かれていると思います。 その特攻を命じた指揮官の中で、責任を取られたのが陸海軍を通じて大西、宇垣中将の二人しかいないというのが、ただ少し残念です。 ただ、当時は当時のことしかわからないことも多く、仮に私がそういった立場の指揮官であっても、責任を取れるかどうかは自信がなく、ましてや特攻以外の作戦を誰もうかばなかったというのは、どういう状況なのか想像し難いところもあります。 現代、特別社会に貢献することもなく、資源を食い荒らして後は寿命がくれば死ぬ。というよりは、何かのために死ぬ。ということのほうが意味があると私は思っていますが、できれば特攻は40歳代→30代→20代と、年功順列に行くべきであったと思っています。 20歳前後の若者が多く亡くなられたのは残念でなりません。

sirokumaz
質問者

お礼

回答ありがとう御座います。 ♯特攻は40歳代→30代→20代と、年功順列に行くべきであったと思っています。 20歳前後の若者が多く亡くなられたのは残念でなりません。 そうですね。これは調べてみた中で、一番分からないことでした。どうしてそうなったのか理解し難いですね。参考になりました。ありがとう御座いました。

noname#44516
noname#44516
回答No.3

>皆さんは彼らをどう思いますか? 時代のせいとはいえ、国の為に個々の命を粗末に扱われ、若くして散っていった方々は本当に可哀想だ、と思います。 >自分が死ぬと分かっていても大事なものを守りたいと思う人がいるでしょうか これは強制されるのではなく、自発的行動だった場合に素晴らしいことだと思いますが、特攻隊というのは全員が自発的な行動だったわけではないでしょう。 一つの側面から見て、勇敢さに感動し尊敬の念を抱くことも否定はしませんが、もう少し大局的に戦争の悲惨さを学ぶことも必要ではないでしょうか?

sirokumaz
質問者

お礼

回答ありがとう御座います。 ♯一つの側面から見て、勇敢さに感動し尊敬の念を抱くことも否定はしませんが、もう少し大局的に戦争の悲惨さを学ぶことも必要ではないでしょうか? そうですね。戦争全体を見て考えるべきですよね。ありがとうございました。

noname#29999
noname#29999
回答No.2

可哀想の一言です。 みんな、前途ある少年たちでした。 しかし、何時の時代であれ、どこの国であれ、死が恐ろしくない人はいません。なのに、次から次へ志願し、国の為と思い込まされ死んで行ったのは、洗脳でなくてなんでしょうね。 戦争が終わってもそれを知らずに飛び立った飛行機もあったと聞いています。 敗戦のどさくさとはいえ、犬死ににちかいです。 特攻隊員よりもそういう教育をし、洗脳した国家が悪いと思います。 しかし、彼らは間違っていない見習うべきというのも危険な考えです。 彼らがいくら崇高な理想に燃えて国の為に死ぬと言っても、外の国から見れば、恐ろしいテロリスト、自爆テロに過ぎないということを肝に銘じるべきです。

sirokumaz
質問者

お礼

回答ありがとう御座います。 ♯彼らがいくら崇高な理想に燃えて国の為に死ぬと言っても、外の国から見れば、恐ろしいテロリスト、自爆テロに過ぎないということを肝に銘じるべきです。 そうですね。すべてを見習うべきではないということがよく分かりました。ありがとう御座いました。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.1

貴方のそういう考え方は大変危険なものだと気付くべきだと思いますよ。確かに身を犠牲にして死んで行った人達は立派でしたが、それをさせた側は決して正しいことをしたとは言えません。それを認めることはオサマ・ビン・ラディンが正しいことをやっていると認めることに通じる事です。正義のために身を犠牲にすることを美化し、これによって自分が信じる正義を実現しようとする事はその正義が本当に正義であるなら容認できるかも知れませんが、それが真の正義だと誰が判定できるのでしょうか。そこには一歩退いて反省する謙虚さが必要なのだと思います。  冷戦は二つの正義が妥協しないことから生じましたが、それが氷解すると今度はイスラムの正義とキリスト教の正義、ユダヤ教の正義等が角突きを始めてお互いに譲ろうとしません。人間は同じ過ちを数千年前から繰り返して来たのです。

sirokumaz
質問者

お礼

回答ありがとう御座います。 ♯貴方のそういう考え方は大変危険なものだと気付くべき そうですね。質問欄に書いたことは自分で思っていたことなのでもちろん完全否定はしません。ですが、他回答者様の意見を聞いているうちに自分が書いたことには、間違いがあると気づきました。自分から見れば正義であっても他から見れば恐ろしい考え方だったりもするんですね。 ただ、僕は特攻をさせた人を認めてはいません。作戦としては間違っていたと思っております。 参考になりました。ありがとう御座いました。

関連するQ&A

  • 神風特攻隊

    YouTubeで「神風特攻隊」と検索すると当時の映像が見れますが、あの作戦が実施された場所は正確にはどの辺りですか?そして、あれだけの攻防があった場所の海底には今も沈んだ戦闘機や敵の空母が眠っているのですか?全て戦後に引き上げたのですか?

  • 特攻隊

    特攻隊はそれなりに敵にダメージを与えることができたから、 見事な作戦だったと言えるだろう、と言っている人がいるのですが・・・。 神風特攻隊=見事な作戦 というのは一般的な見方なんでしょうか。

  • カミカゼドローン

    キンジャールに続いて、カミカゼドローンの登場です。 ネーミングの通り、かつての日本海軍が発案、実行したゼロ戦に250 kg爆弾を懸架、敵艦船に突撃、機体もろとも爆発する禁忌の作戦の ことです。 カミカゼとはこの「神風特別攻撃隊」のことで、死ぬことを決定付け て敵艦船に突っ込むことの恐ろしさは搭乗員のみならず、それを見送る 人達にも多くの悲しみを与えました。 それが、今になって蘇るとは。 カミカゼドローンは電波誘導ですから、人は乗っていませんがしかし、 ネーミングの通り、爆弾を抱えたまま突っ込むので、この名前になっ たのでしょう。 そうなると、日本は太平洋戦争時に様々な兵器、作戦を生み出した 悪魔の国なのでは?と思ってしまいます。 近代の兵器では、桜花はキンジャール、特攻はカミカゼドローン、 イ号潜水艦はミサイル原潜ヘと発展していった訳です。 こんな国なのに、平和団体は今になって「日本は平和国家です」と 平然と言ってのけるのもどうかと思います。 過去の過ちを悔いるのなら、この兵器、作戦の近代化にも物申したら と思うのですが、どう思いますか。

  • 特攻・・・・・日本人の気質

    神風特別攻撃隊について この戦法、特攻は日本人特有の気質であると分析した人がいます。 本当にそうなんでしょうか。 ちなみに今日本で戦争が起こった時、主に戦うのは自衛隊となるのでしょうが、やはり戦局が危うくなったような時は神風のような特攻戦法をとる可能性はあると思いますか。 ちなみに私は日本人にはそのような気質があるような気がしています。 現代では戦争になったとしても特攻の命令はまず無いとは思いますが、各個人レベルでは特攻戦法は出てくるのではないか・・という気がします。 そしてその気質は誇れるものだと思います。(議論するつもりはありませんので意見を下さい)

  • 連合から見た神風特別攻撃隊

    つい先日、YOUTUBEで神風特別攻撃隊の出撃場面と 散華場面をみました。 ほぼ確実な「死」を恐れずに大和魂で国の為に尽くしたあの 勇敢な姿に思わず涙がでました。 あれが今現実にあれば、相当悲しいものでしょう まぁ、このへんの解釈はいろいろあると思いますが・・・ 今回自分が知りたいのは、連合国側が神風をどのように 捉えていたかです。 世界貿易センタービルに旅客機(ミサイル?)が突入したときに リポーターが「カミカゼ!」を連呼していたそうですが、 艦船からみて、突撃してこようとしている神風の特攻航空機 をみつけたら、やはり相当の恐怖なのでしょうか? それとも、それほどまで脅威ではなかったのでしょうか?

  • 神風特別攻撃隊の思想・精神の根源(ルーツ)

    抽象的な表現で申し訳ありません。勝手に解釈して、ご回答をお願いいたします。  今、太平洋戦争のことなどを考えながら、遠い昔、「聞け、わだつみの声」という神風特別攻撃隊として出撃していった隊員の遺書を読んで、訳も分からずに、ただただ涙したのを想いだしながら、今になって、ふと、神風特別攻撃隊を生み出した、また自ら?志願していったという日本人の精神の根源(ルーツ)は何処にあったのだろうか???あるいは何にあるのだろうか???という疑問が湧いてきました。  個人の行動としての「必死の突撃」というのは、古今東西、いろいろあったと思うのですが、国の作戦としての神風特別攻撃隊というものには、なにか異常なもの、不思議なもの、あるいは得体の知れない不気味なものを感じます。  まさに、必死の作戦、悪魔の作戦と言えると思いますが、そもそも作戦を考えだした奴が悪い、当時の軍部は異常だったということだけで片付けられる問題なのか、あるいは日本人にはそんなところ……必死の作戦を考えだし、実行する思想や行動……があるのだろうか???……あるとすれば、それは何から生まれてきたのか???また、日本の過去の歴史の中でそのことを暗示させるような思想や事象はあったのでしょうか???という疑問です。  それとも、特別に異常な作戦ではなく、あの状況に置かれれば、何処の国でも考えることなのでしょうか???

  • 特攻隊(特別攻撃隊)について

    特攻隊(特別攻撃隊)について ■昨日NHKのテレビ番組でゼロ戦の特集がありました。 何気なく見ていましたが、その中で聞き捨てならない解説がありました。 ----------------------------------- 特攻隊は3機一組で編成され、実際に突撃する隊員は特攻前夜に知らされました。 ゼロ戦一機は片道の燃料で、残りの二機は見届け役でしたので燃料は満タンでした。・・・・・・・・・・・・・ ------------------------------------ ■実は、この話は私が以前から持っていた重大な疑問に光を射すものでした。 以前、知人のカナダ人を特攻記念館に案内した時、そのカナダ人が、特攻隊員の生き残りの人と文通しており、 その人の写真を見たいと言い出したのです。それで、館長にそのことを尋ねると、 「この記念館には、戦死した隊員のみが展示されています。生還した隊員の写真はありません。」 というものでした。 大体、戦争記念館の館長などは、生還した兵士などが最も適任のはずなのに、そういった人々を無視して、戦争を知らない人が物知り顔で講義する。おかしな話だと思いました。 ------------------------------------- ■これらの話を総合すると、特攻出撃はイジメではないかと疑うようになりました。 次のように話すサイトもあります。 http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/02092.HTM 離陸した特攻機は、飛行場の上空を旋回しながら隊列に三機編隊を組み、編隊を組みおえると機首を戦闘指揮所へ向けて急降下しました。そして、みんな一様に三回翼を左右にふりながら最後の別れを告げると、急上昇して開聞岳の彼方へ消えていきました。 -------------------------------------- ■NHKの話は、一般人の会話ではなく、アナウンサーの解説でした。 もし、二人のパイロットが見届け役であれば、話は全く違います。そもそも戦況が絶体絶命の時、見届けも何もないはずです。現場を見届けるといっても、特攻の成功率は限りなく0で、艦船に接触できる確率だけでも5パーセントでした。 すると、見届け役の二機は、撃墜された戦友を確認し、黙って報告のために帰っていったことになります。 一体、事実はどうだったのでしょうか。 質問1. 特攻機の編成はNHKの説明のとおり、三機一組だったのでしょうか。 質問2. 特攻機は一機のみで、他の二機は見届け役だったのでしょうか。 質問3.特攻機の統計はウィキペディアなどにもありますが、一体、こういった見届け役の特攻機は統計上、どのように扱われているのでしょうか。 質問4. もし、NHKの言う上記の件が事実であれば、私は、特攻の真の目的は、米国に打撃を与えることではなく、気に入らない日本兵を始末するためだったと考えざるを得ません。それでも、特攻を正当化する理論的根拠がありますか。 質問5. その他、何でも結構です意見を下さい。一部の回答でもかまいません。私は、この分野は素人です。よろしくお願いします。

  • 特攻隊員の戦死は役に立ったと云えますか?

    戦争末期に数千人の若者が特攻作戦で戦死しました。 国を守るために自分の命を犠牲にした、その純粋な気持ちに心のそこから哀悼の意を表します。 さてその戦死に対して、現代日本人の中に、「彼らの死のお陰で現在の日本があるのだから彼らの犠牲に感謝すべきだ!」という人が居ますが、私はこの論理が解りません。 彼らが犠牲になることが無く、戦後生きていたとしたら、本当の意味でお国のために貢献できたはずだ、と私は思うのですが・・・・。 「彼らの犠牲があったからこそ、日本の現在の繁栄がある」ということをわかるように説明してくれる人は居ませんか?

  • 神風特攻隊

    神風特攻隊で亡くなられた方々は、お国のために勇敢に戦ったということで、敬意が払われているのでしょうか。 あるいは、単なる戦争の犠牲者として、憐れまれているのでしょうか。 一般的には、どのように受け止められているのでしょう?

  • 神風特攻隊のようなことは

    日本が理不尽な侵略行為を受けた時などに、状況によっては神風特攻隊のようなことを再びやることも辞さないという精神であるべきなのか、それとも、どんな状況になろうとも二度とやってはいけないという意思を持つべきなのか、どちらの方が望ましいのでしょうか。個人的な考えを教えて下さい。 (戦闘機で突っ込むということだけでなく自爆攻撃を広く含みます)