• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸時代。貞享暦。)

江戸時代の時間の数え方と鐘・太鼓の打ち方

ichikawa2017の回答

回答No.1

>ベストアンサーの一部抜粋。 ベストアンサーは回答No.2ですが貞享暦云々について回答した記憶がありません。回答No.2以外でも同様ではなかったかと思いますがどの回答でしょうか。 >確認です。 確認もせずにベストアンサーですか? 御質問の 1)「・・・そうです」と言われて、それを元に御質問されても答えようがありません。 2)につきましては下記のURLをご参照下さい。 江戸の暦/刻/太陰暦/太陽暦/江戸のつれづれ/吉原遊び江戸の日々 www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/2729/koyomi.htm 抜粋 江戸時代の一日の時間はと言うとこれも、けっこう複雑なのです。 江戸の時刻法は現在の定時法とは違い不定時法がとられていました。 正午と真夜中をそれぞれ九つ(午の刻、子の刻)として、日の出直前・日没直後を明六つ、暮六つ(卯の刻、酉の刻)と定めます。 そしてその間の昼夜をそれぞれ六等分して一刻としました。 日の出・日没は季節や地方で異なるので、昼の一刻と夜の一刻は違いますし、同じ月でも住んでいる場所によって異なっていました。なので一刻が2時間前後になるのは、秋分と春分前後だけなのです。 処が昔からお役所仕事ってのはあるもんで、ほとんどの暦法天文家が作る暦は、なんと一昼夜を100刻、一時を8刻3分の1の定時法で作っていたりしました。 この為、暦と一般の人が刻の鐘で過ごす生活がかみ合わず、また暦の研究と風俗の研究の関連において誤りが続出したりもしました。これが、不定時法に統一されたのはなんと1844年の天保の改暦の際でした。 それから28年後には、明治維新を経てグレゴリオ暦へ改暦されて、時刻も定時法へと変ります。 今何時? 混乱していた江戸の時刻2 - こよみのページ koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/201006200.htm 抜粋 現代人の誤解した解釈 私たちは正確な時計による時刻に慣れているため、季節によって変わる不定時法というものが実感出来ず、それでいて「江戸時代は夜明けを明け六ッといって一日の時刻の起点としていた」というその点だけを強調した不定時もどきの定時法を想像してしまうようです 中略 上・中・下刻 芭蕉の記録にある「上刻」とは、一刻を上・中・下と分けたものです。幾らのんびりした昔でも一刻は 2時間前後で、単位としては少々長すぎるのでこれを補うために使われるようになったものだと思われ、日常に使われる時鐘法(不定時法)と組み合わせて使われます。三分割といっても始め(上)と中央(中)と終わり(下)のような使い方をするので、下刻は次の時刻の上刻と同じと考えられます。 十二時辰 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/十二時辰 抜粋 時辰を40分ごとの3刻に分ける。子の刻ならそれぞれを「子の上刻」「子の中刻」「子の下刻」と呼ぶ。 ただし、期間のことではなく、それぞれ時辰の始まり・中間・最後である、つまり、上刻は初刻、中刻は正刻、下刻は次の初刻のことだとの説もある 【江戸時代を学ぶ】 時間の概念と時刻の呼び方 〈25JKI00〉 | Kijidasu! kijidasu.com/?p=23651 抜粋 子の刻ならそれぞれを「子の上刻」「子の中刻」「子の下刻」と呼ぶ。但し、それぞれは時間帯のことではなく各辰刻(一刻)の始まりと中間点、そして最後のことである。即ち、上刻は初刻、中刻は正刻、下刻は次の初刻のことだとの説もある様だ。(この方法は夜間の時間帯のみに適用されたとの説もある) 尚「7月14日付の質問「江戸時代の時間の数え方」のベストアンサーで分からない箇所があるので教えてください。」とありますが誰に向かって言っておられますか。、 当サイトは公開の場です。 質問者さんの個人サイトではありませんのでご注意下さい。 更に、上記のような文章ですと回答者の皆様方は一々前の質問や回答を読まなければ何のことやらサッパリ分かりません。 公の場ですので、皆さんにお尋ねして皆さんからお知恵を拝借するのだという原点を忘れないで下さい。

kouki-koureisya
質問者

お礼

よ~く落ち着いて、質問文を読むようにしましょうネ。

関連するQ&A

  • 江戸時代の時間の呼び方について

    江戸時代(主として1600年代)に記録された「鸚鵡籠中記」という日記があります。その日記の中に記されている時間の表し方が同時代の一般的な表し方と少々異なるところがあります. 一般的には「子」の刻とか「申」の刻とか「八つ半」とかの表現ですが「鸚鵡籠中記」にはすこし別の表現がされているところがあります。たとえば元禄8年7月11日「予御目見に出。巳二点」 同日「夕飯後予御目見に罷出。申二点」 同13日「辰二点大殿様」 同15日「辰七点予御目見に出る」等です。 各々「申」とか「辰」とかは分かりますが「二点」とか「七点」とかはどういうことでしょうか? それぞれ何時を表すのでしょうか? それはどうしてでしょうか? よろしくお願いします。

  • 江戸時代前後の時間の表し方を教えてください。

    よく時代小説などでは、時間を干支や刻で表しているのを見ます。 干支での時刻の表し方はインターネットで調べるとだいたいわかるのですが、単位としての時間の表し方を知りたいのです。 江戸時代では一番小さい時間の単位は刻になるみたいですが、10分とか40分はどうやって表すのでしょうか? そもそもそんなに小さい時間の概念がなかったようですが、「茶の冷めるほどの時間」などの比喩があったようです。これ以外の比喩で、ご存じのものがあれば、ぜひ教えてください。 よろしくお願いします。

  • 時の鐘について

    江戸時代 十二刻を鐘で知らせていましたが、たとえば「七ツ半」という時刻を知らせる鐘は打たれたのでしょうか? どなかたお教え下さい。

  • 江戸府内の時間「時の鐘」。

    これまでに度々類似の質問がありましたが、回答を読めば読むほど新たな疑問が出てきましたので、教えてください。 1.江戸市中に時を告げる「時の鐘」は、最初、石町3丁目に設置されています。鐘を撞くのは民間人ですが、時間を測るのは幕府のしかるべき役人で、その役人が打つ太鼓の音を聴いてから石町の「時の鐘」を撞いたのですか。つまり、大元は幕府(江戸城)ですか。 それとも「時の鐘」鐘楼内に日時計や漏刻のようなものがあったのですか。 2.石町に最初に設置されてから、上野、浅草など次々と「時の鐘」が増えていきましたが、お寺の鐘を利用するのではなく、「時の鐘」用の鐘と鐘楼を作ったのですか。 3.武士階級は、時刻を「六ッ時」のように鐘の鳴る回数で呼ぶのではなく、 「干支」で表した時刻を多用したのですか。 幕府の記録や武家の日記には、時刻を「数」で表したものも多々ありますが…。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代お寺の時刻通知の鐘について。

    上記について、江戸時代は時刻を知らせるのに、鐘を突いて時間を知らせていましたが 時計の少ない時代に、どのようにして時間を計ったのでしょうか?。 歴史にくわしい方、教えてください。

  • 江戸時代お寺の時刻通知の鐘について。

    上記について、江戸時代のお寺は時刻を通知するために鐘を突いて知らせていましたが 暮れ六つとか七つとかの時間をどのようにして計ったのでしょうか?。 江戸時代は時計の数少ないと思いますので、どのように計算したのでしょうか?。 江戸時代の歴史にくわしい方教えてください。

  • 中国唐の時代西安で庶民が時刻を知る方法について

    中国、唐の時代の風俗を調べているのですが、 庶民が時間を知る方法について記したサイトなどが見つかりません。 西安では、朝70回鐘を鳴らして城門を開いたとありますが、 その後も定期的に鐘や太鼓を鳴らしていたのでしょうか。 例えば庶民が「午時(午前11時)にどこそこで待ち合わせしようね」 といのは可能だったのか知りたいです。 日本の江戸時代では、九つからだんだん数を減らしながら、 鐘を打って時刻を知らせていたようですが、 そういったことが、唐代の西安でも行われていたのでしょうか。 また行われていたとすると、具体的にどういう方法でしょうか。 (例えば午後1時の未時に太鼓を10回打つなど)

  • 昔の人の時刻の知り方

    江戸時代以前の一般の人はどうやって時刻を知ったのでしょうか? 時代劇を見ていたりするとよく、何刻に何処何処で待ち合わせ、とか言っていますが、一刻って確か2時間くらいですよね。一刻毎にお寺の鐘がなるとして、それを基準に大体プラスマイナス1時間くらいの誤差で生活していたのでしょうか?それとももう少し精度の高い方法で時刻を知る方法があったのでしょうか? ご存知の方、ぜひ教えてください。

  • 江戸時代より前の時刻確認・管理方法

    皆さん、毎日、時計を見ながら生活していますよね。 でも、時計が一般的で無かった江戸時代やそれより前の人たちはどうやって時刻を知ったのでしょう? お寺の鐘の音? では、お寺の人はどうやって時間を知ったのでしょう? 江戸の様な大きな町や城下町では、お城に水時計があったかも知れません(これも間違いかも 知れません)。 でも、小さな村で、和尚さんが一人(?)しかいないようなお寺では? さっぱりイメージがわきません。 どなたか、ご存知の方がおられたら教えて下さい!!

  • 昔の時刻はどうやって?

    以前の履歴で探しましたが「不定時法」を使用していたのは理解しています。ですが一般庶民がどうやって互いに時刻を伝えたり、把握していたのかいまいち釈然としません。どなたか教えてください。 ・「寺の鐘」で時刻知らせていたようですが、あちこちの寺から微妙にずれた鐘の音が聞こえてきそうですし、お寺の人たちはどうやって鐘を打つ時刻を決めていたでしょうか。(夜中も鐘を打ち続けていたのか)それに町や村から離れている場合、必ずしも聞こえるとは限りませんよね。 ・「日の傾き」はある程度の感覚なら分かるかもしれませんが、半刻とか四半刻なんてわかりませんよね。またいつも太陽や月が見えているわけではないし・・・。 ・互いに待ち合わせや、約束の刻限などは上の2つが曖昧だとかなり時間差が起きそうなんですが・・・。