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価値の哲学 みたび空気について

前回の質問で、質問の意図が正確に伝えられなく、またまた質問することにしました、価値に無関心な皆様にはご迷惑おかけします。 「事物は価値あるからそれを獲得することが困難なのではなく、それを獲得しようとするわれわれの欲求に妨害を対置する事物をわれわれは価値を持つとよぶ。この欲求がいわば妨害に砕けるか、それとも堰止められるかによって事物に重要性が生じるが、妨害されなかった意志であれば、その重要性の承認へはけっして誘われなかったであろう」 「貨幣の哲学」 P25 ジンメル 居安 正 訳 「ジンメルの社会学理論」 P108 早川 洋行 引用 価値をこのように規定する場合、空気は希少性を獲得しない限り価値を持たないことになります。極端に表現すれば自然は破壊することにより価値を持つと言い換えることもできます。 「空気」は確かに「交換価値・経済的価値」は基本的には有りませんが、「空気」に「価値」がある、と言う表現が誤りなのでしょうか。

noname#15238
noname#15238

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  • ベストアンサー
  • daitai126
  • ベストアンサー率29% (59/201)
回答No.1

空気にも価値はある、 価値の規定を欲求の対置する事物‥とすれば 空気が欲しいと欲求すれば、そこに価値は当然うまれますよね? 生物は無意識に空気を欲求しているので 無意識のうちに価値が生まれているとも考らえれます。 前回の質問を見てないのですが、こんなところでそうでしょう?

noname#15238
質問者

お礼

速攻のご回答、有難うございます。 こんな簡単に、答えていただいては、かえって複雑(笑。 ちょっとツコミ、すでに獲得し、享楽しているものを新たに欲求するでしょうか、満腹のライオンは獲物を襲わないらしいです、ライオンは獲物の価値を知ってるのかな。 価値は、重要性の意識又は感情ですから、無意識では、まずくは有りませんか? 変なお礼で失礼しました。

その他の回答 (5)

回答No.6

その規定の中でカテゴライズされた思考をすると、 現時点の地球環境において、空気であればいくらでも吸える人類にとって、空気の価値はないということになります。 ですから空気に経済的価値を見出す空気ビジネスなんてものは、この先余程地球環境が悪化されない限りは出てこないでしょう。 まぁ酸素バーなるものは既にあるらしいすが・・ でも空気に価値が無いなんて、直感的におかしいとは思わないでしょうか? 人間は空気が無ければ生きられません。 また、現時点の地球環境において、土地には価値が生まれた為に地価という経済的価値がつきましたが、 それは居住スペース確保という動機と、その土地を欲求する人口密度が高い時に、ある種の欲求のぶつかり合いという妨害が働き、価値があることになります。 したがって万が一地球の人口が100名になってしまった場合、土地の使用率は極めて自由になり、必然的に土地の価値もほとんど無くなります。 1名になってしまった場合などは、土地の価値観を相対的に共有する者は無く、妨害する者もありませんから、土地はまったく価値が無いということになり、土地の価値を認知できなくなります。 このたった1名になった状態といのは、人間が内在的に持ちながらも実現が極めて困難な、真・善・美という絶対的価値を統括する「神」の状態と恐らく類似している状態です。 ジンメルの価値に対する考察は、通貨経済に代表されるような、俗的な人間的思考であるので、この人間社会のみで通用する価値判断に過ぎず、絶対的な価値というものにはなりえません。 人間は失ってから愛の重さに気付くなんてこともよくあるように、 その規定で空気に価値が生まれる価値論というのは、欲求階層で言えば最も低次である生理的欲求の、最も基本的な呼吸さえもが妨害されてしまった時にしか価値が生まれないということになります。 つまりその思考基準では価値は評価する側にしかないのではないでしょうか。 その人間的思考は、主観に囚われる事で妨害も生み出していて、それが価値のインフレスパイラルの様な状態を創り出しています。 さらにその妨害を生まない価値観の相違というのは、人間同士の関係性の中では面白みが無く、時として人間関係においても決定的な影響を与えます。 まさにこれが人間レベルの思考でありますが、 しかし真理としては、視点を変えることによって、評価する者にもただの物にも、あるいは得体の知れぬ何かにも、全ての物に価値があり、 しかし人間にそれを知る能力が乏しいか或いは無い為、妨害されなければ価値を見出すことができないということだと思います。

noname#15238
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 価値に対してこの規定を元に考えると、ご回答者のような結論(人間にそれを知る能力が乏しいか或いは無い)になりますね。 しかし、この規定も、説得力が有って間違っているとも言い切れないところです。 本当に必要なものに「価値」を認識できず、さしあたり獲得できないものに「価値」を感じるようでは、価値はそれこそ価値は無いことになってしまいますね。

回答No.5

ジンメルさんの難解なドイツ語の翻訳はよーするに次のようなことを言っているのかな? 「獲得することが困難だから価値があるわけではない。 獲得しようとする欲求に対して, 障害があるものを価値とよぶ。 その物を獲得しようとする欲求が阻害されない限り, その物の価値を認めることはない。」 つまり, 獲得が困難だとしても要らないものなら,当然, 価値は無い。 しかし, 欲しいものに対して獲得が困難になったとき, 価値が出てくるということかしら。 空気は必要だけど, それを獲得することはたいした困難ではない。 しかし, 大気汚染などによって新鮮な空気を手に入れることに障害が生じた場合, 空気は価値を持ってくるといことかな。 -------- お金で買えるもの 窒素を液体にしたもの, 10リットル1000~2000円。 窒素ボンベ, 中身のガス3000円前後(ボンベセットは3万円ぐらい)。 工場だらけで空気の汚い田舎の土地。 自転車とかに必要な空気ボンベ。 潜水用の空気ボンベ。 空気清浄機。 プライスレス-お金では買えないもの。 空気…。 国会にある衆議員用の酸素室。 安全な牛丼を食べたいし, 鯨も食べてみたいけど… 我慢、我慢。。

noname#15238
質問者

お礼

これはこれは、難解な文章を間違えずに書き写すしか能の無い質問者に代わり、解りやすく書き直すとともに、丁寧なご解説迄つけていただき、感謝に耐えません。 ところで、肝心なところで、「肩透かし」していません。 おっと、アドバイスでしたね、有難うございます。

回答No.4

毎回、私も一緒に考えてみたいと思うのですが、 どうも価値の「定義」が問題のような気がして なりません。 ジンメルさんの言葉があまりに難しすぎて、小生のような 哲学の本をほとんど読んでいない人間には、どうもその言 葉がよくわからないのですが・・・ どうやらジンメルという人は、価値の量・質のことを いっているのであり、価値の定義を言っているように は思えません。 ジンメルという人の言っている真の意味を小生が 理解していないのなら、ごめんさいね。 けど、どうもそういうふうに思えてなりません。 ジンメルさんのおっしゃることは、価値の定義ではなく、 先回申し上げた言葉を用いれば、 「量・質の差異」のことだと思います。 それは、心情的な価値とも言えるでしょうね。 苦労して手に入れたものであればあるほど、価値がある。 というようにです・・・ 空気を必要としている人にとっては、空気は価値 があります。主体の欲求が認めた性質を対象が有すれば、 その対象は主体にとって「価値」があるといえます。 空気が、「絶対的に」価値があるのか? と問われれば、それは、神様が人間を創造し、 そのために、空気をもお創りになられたので、 空気は、神の絶対的な創造目的故、 その存在目的・存在価値も絶対的だといえます。 もし、創造された目的がもともとなくて、 単なる大昔に偶発的に発生したガスであるのなら、 空気自体に何ら潜在的価値はないといえます。 それでも、空気を必要としている存在にとっては、 空気は現実的価値があるのですね。 しかし、何人と雖も、絶対的に例外なく必要としている以上、 万人にとって空気は現実的に価値がある と断言せざるを得ません。 神様の絶対的な創造目的を中心として授受作用して その結果の価値であるのなら、その価値は絶対的 ですが、そうでない限り、価値は常に相対的なものなの です。 では、必要じゃないと思う人には、空気は価値はないのでしょうか。 そんなことはないですよね。今申し上げたとおりです。 なんびとにも必要なのです。 つまり、主体的条件が必要だと先回言いましたが、 「空気が必要じゃないと思っている人」がいるとすれば、 すなわち、それは主体的条件が十分でない人なんですね。 なぜなら、空気の潜在的価値どころか、 現実的価値をも評価できない人だからです。 それは、主体の問題であって、対象である空気のせいで はありませんね。 ですから、空気には価値がある という表現は 神様の創造目的からして当然の帰結であり、 また、たとえ、神様を信じない人にとっても、 空気は当然人間にとって必要なのは自明の理なんですから、 万民に対して現実的価値があるわけです。 空気が、もし、偶然に発生したガスであってもです。 空気に価値がある という表現はいずれにせよ、 (有神論でも無神論の立場でも・・・) 客観的に考えても当然間違いではありません。 間違いだというのなら、その人が主体的条件を 兼ね備えていないのですね。対象である空気のせい ではないんです。主体が問題なんです。 結局、先回とほとんど同じ回答ですね。 それでは、どうも失礼いたしました。

noname#15238
質問者

お礼

何時も丁重なご回答を頂き有難うございます。 私の質問は、「価値」を定義する「目的」の為の「手段」なんですね、一休さんでしたか、トラを捕まえるから、屏風からトラを追い出すように頼んだのは、トラ(価値の定義)を、多くの書物の中から、私なりに抜き出すことに苦労しています(笑。 ジンメルの記述は、経験的には思い当たる部分は多く、私は評価しているのですが、妨害が無いと承認されないのは、質や量的な差異以前の「価値」そのものに光を当てているような気がします。 普通は、経験的感情的に、空気の価値を意識しないのです、空気に価値ありという認識は、カントの言葉を借りると、感性ではなく悟性による業績のような気もします。 そうすると、価値の認識が、感性・悟性・理性といったレベルでの価値認識、つまり、価値に形容詞をつけるといった、自らの思考に墓穴を掘るような方向を向いてしまいます、これも困るんです。 >主体が問題なんです。 同感です、空気の性質ではなく、人間の問題ですね。 絶対的価値=人々が望み、いまだだれも知らないもの。 だれの言葉だったか、ちょっと違うかも。

  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.3

自然を破壊しなくても、空気が足りない場所や空気をより多く欲する場合があります。 例えは、海中や地中、高山や宇宙などでは、元々空気がありません。そのために空気を持ち込む為の専用の労働が必要だったり、特殊な機器が開発されました。このような場所にある空気は価値のある(有料の)モノです。 また、高温の炎を必要とする産業において、普通に存在する空気では足りません。ですから空気を濃縮する労働や機材が必要になります。空気が足りている場所でも、空気を加工することにより価値を与えることができます。

noname#15238
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 私、個人的に時間がなくなりました。 質問の最後に「基本的」と言う表現をわざわざ使用しました、ご回答にあるような「特殊」な場合は確かに「経済的価値」が有りますが、一般的に「妨害」が価値とどう関係するかを強調したいところです。 ほんとにズサンなお礼で済みません。

  • 134
  • ベストアンサー率27% (162/600)
回答No.2

 空気は当たり前に周囲にありますから、その価値というのは、日常的には感じ得ないかもしれませんね。  個人的に、化学を生業にしているので、例えば空気があったから、思う反応が行かなかったり、原料が分解してしまったりということがあり、特別なガス「アルゴン」で封じ込めたりすることもあります。  あるいは、設備の洗浄に人が入らざるを得ず、中に異臭はないかとか、空気は十分かということを確認してから、作業しています。  特別な環境ではありますが、空気の存在を意識している世界もあるかもしれません。 

noname#15238
質問者

お礼

早速のご回答有難うございます。 なるほど、空気が邪魔な事もあるのですね。 特別の環境は、空気の希少性が現れているようですね。 失わないと有り難味を感じないようでは、困ったものだ。 参考になります。

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